年金制度改革法案の国会提出は当初予定よりも2か月遅れ
政府は5月16日にも年金制度改革法案を閣議決定し、今国会に提出する予定だ。国会提出は当初は3月中旬を予定していたが、それが2か月も遅れた背景には、夏の参院選挙への悪影響を警戒する自民党内、特に参院の自民党議員らの反対があった。
今国会は6月22日と審議期間は限られている。しかも、野党からは修正案が出される可能性が高いことから、野党の協力を得て今国会中に年金制度改革法案を成立させることはかなり難しくなったのではないか。将来にわたる国民生活の安定、将来不安の緩和に資する年金制度改革を、選挙という目先の政治的要因によって先送りさせることになれば、それは大いに問題だ。
今国会は6月22日と審議期間は限られている。しかも、野党からは修正案が出される可能性が高いことから、野党の協力を得て今国会中に年金制度改革法案を成立させることはかなり難しくなったのではないか。将来にわたる国民生活の安定、将来不安の緩和に資する年金制度改革を、選挙という目先の政治的要因によって先送りさせることになれば、それは大いに問題だ。
厚生年金の対象拡大は必要な改革の方向性
今回の年金改革では、年金財政の安定性維持に加えて、労働供給を促すという観点が重視された点が大きな特徴だ。
従来、106万円以上が厚生年金加入の賃金要件であったが、年収を106万円未満に抑えて保険料の支払いを避けるために、パート労働者が働き控えをする傾向があった。そのことが、人手不足をより深刻化させるとともに、低所得層の所得環境の改善の障害となっていた面もあるだろう。いわゆる「106万円の壁」問題である。
そこで今回の改革案では、厚生年金加入の賃金要件を撤廃して「106万円の壁」をなくすとともに、従業員51人以上としてきた従来の企業の規模要件も段階的になくす。2035年に10人以下の企業までを加入対象にする。
厚生年金の対象を拡大することは、保険料収入の拡大を通じて年金財政を改善させるばかりでなく、将来の年金受給額を増加させ、将来の生活不安を緩和させるという重要な効果がある。新たに厚生年金に加入する労働者や中小企業には負担増となるものの、厚生年金の対象拡大は必要な改革の方向性だ。
従来、106万円以上が厚生年金加入の賃金要件であったが、年収を106万円未満に抑えて保険料の支払いを避けるために、パート労働者が働き控えをする傾向があった。そのことが、人手不足をより深刻化させるとともに、低所得層の所得環境の改善の障害となっていた面もあるだろう。いわゆる「106万円の壁」問題である。
そこで今回の改革案では、厚生年金加入の賃金要件を撤廃して「106万円の壁」をなくすとともに、従業員51人以上としてきた従来の企業の規模要件も段階的になくす。2035年に10人以下の企業までを加入対象にする。
厚生年金の対象を拡大することは、保険料収入の拡大を通じて年金財政を改善させるばかりでなく、将来の年金受給額を増加させ、将来の生活不安を緩和させるという重要な効果がある。新たに厚生年金に加入する労働者や中小企業には負担増となるものの、厚生年金の対象拡大は必要な改革の方向性だ。
「在職老齢年金」制度見直しでどれだけ高齢者の労働供給が増えるかは不確実
また法案には、65歳以上の働く高齢者の厚生年金の一部をカットする「在職老齢年金」制度の見直しが盛り込まれる。65歳以上の高齢者は、厚生年金と賃金の合計が月50万円を超えると受け取る厚生年金が減らされる。このことが労働時間の調整を引き起こし、人手不足を深刻化させている面もある。そのため今回の改革案では、月62万円までなら満額を支給するようにし、高齢者の労働供給を促す。
ただし、「在職老齢年金」制度の見直しには新たな財源が必要になる。厚生年金と賃金の合計が月50万円以上の比較的生活に余裕がある高齢者が働くのは、所得よりも生き甲斐を目的とする場合が少なくないのではないか。そうした人はそもそも年金の減額を避けるために働く時間を調整しておらず、年金減額の水準を引き上げても労働時間は増えないだろう。
「在職老齢年金」制度の見直しによる高齢者の労働供給の拡大というベネフィットと、給付増加というコストとの比較は、もっと精緻になされるべきではなかったか。
それ以外に、高所得者らの厚生年金保険料の引き上げも法案に盛り込まれる。年金財政が厳しい環境に置かれる中、所得が一定額を超えると厚生年金社会保険料の支払額が増えなくなるが、その水準を引き上げ、高所得者の厚生年金保険料支払いを増やすことは必要な措置なのではないか。
ただし、「在職老齢年金」制度の見直しには新たな財源が必要になる。厚生年金と賃金の合計が月50万円以上の比較的生活に余裕がある高齢者が働くのは、所得よりも生き甲斐を目的とする場合が少なくないのではないか。そうした人はそもそも年金の減額を避けるために働く時間を調整しておらず、年金減額の水準を引き上げても労働時間は増えないだろう。
「在職老齢年金」制度の見直しによる高齢者の労働供給の拡大というベネフィットと、給付増加というコストとの比較は、もっと精緻になされるべきではなかったか。
それ以外に、高所得者らの厚生年金保険料の引き上げも法案に盛り込まれる。年金財政が厳しい環境に置かれる中、所得が一定額を超えると厚生年金社会保険料の支払額が増えなくなるが、その水準を引き上げ、高所得者の厚生年金保険料支払いを増やすことは必要な措置なのではないか。
氷河期世代の低年金問題
今回の年金改革で最も議論となったのは、低年金対策としての基礎年金の底上げ策であったが、最終的に法案に盛り込まれない。このことは大いに問題だろう。
2024年7月に公表された公的年金の財政検証で、厚生労働省は、現役世代の平均手取り収入と比較した年金の給付水準、いわゆる「所得代替率」の推計を示していた。経済成長が過去30年間と同じ0%前後である場合、所得代替率は2057年度に50.4%と2024年度から18%下がる。下限目標に設定されている50%は下回らないが、このうち基礎年金については、足元から3割も下がってしまう。
厚生年金に加入していない自営業者や非正規労働の期間が長く、厚生年金の受給額が少ない人達は、退職後に十分な所得が得られない。特に注目されるのは、就職がバブル崩壊や金融危機と重なって非正規雇用が広がった氷河期世代が退職後に低年金の問題に直面し、生活保護に頼らざるを得なくなる事態への対応だ。
2024年7月に公表された公的年金の財政検証で、厚生労働省は、現役世代の平均手取り収入と比較した年金の給付水準、いわゆる「所得代替率」の推計を示していた。経済成長が過去30年間と同じ0%前後である場合、所得代替率は2057年度に50.4%と2024年度から18%下がる。下限目標に設定されている50%は下回らないが、このうち基礎年金については、足元から3割も下がってしまう。
厚生年金に加入していない自営業者や非正規労働の期間が長く、厚生年金の受給額が少ない人達は、退職後に十分な所得が得られない。特に注目されるのは、就職がバブル崩壊や金融危機と重なって非正規雇用が広がった氷河期世代が退職後に低年金の問題に直面し、生活保護に頼らざるを得なくなる事態への対応だ。
基礎年金の給付3割底上げは先送り
そこで厚生労働省は、相対的に余裕のある厚生年金の積立金を財源にして、基礎年金を底上げすることを検討していた。しかし、参院選への悪影響を懸念する参院の自民党議員らから反発が出て、今回の法案には盛り込まれなくなった。
反発が出たのは、厚生年金給付が減額されるためだ。基礎年金の底上げのために、厚生年金の給付が最大で月7,000円減ることが計画された。これが厚生年金加入者や厚生年金受給者の批判を高めることが懸念された。
また、基礎年金の底上げには国庫も充てられる計画だ。それは最大2.6兆円である。その規模はちょうど1%の消費税率引き上げ分に相当するが、基礎年金の底上が、消費税率引き上げによって賄われるとの観測が浮上すれば、参院選で与党に強い逆風となってしまうことが懸念されたのである。
結局、厚生年金の積立金を基礎年金に振替え、給付水準を3割底上げする案は、参院自民などから「厚生年金の流用」との批判に晒され、事実上削除された。
反発が出たのは、厚生年金給付が減額されるためだ。基礎年金の底上げのために、厚生年金の給付が最大で月7,000円減ることが計画された。これが厚生年金加入者や厚生年金受給者の批判を高めることが懸念された。
また、基礎年金の底上げには国庫も充てられる計画だ。それは最大2.6兆円である。その規模はちょうど1%の消費税率引き上げ分に相当するが、基礎年金の底上が、消費税率引き上げによって賄われるとの観測が浮上すれば、参院選で与党に強い逆風となってしまうことが懸念されたのである。
結局、厚生年金の積立金を基礎年金に振替え、給付水準を3割底上げする案は、参院自民などから「厚生年金の流用」との批判に晒され、事実上削除された。
年金制度の持続性・信頼性確保のために政治環境に左右されない改革を
しかし、低所得層の退職後の生活を支える基礎年金制度の拡充は、優先順位の高い政策と言えるだろう。目先の選挙を意識して基礎年金の底上げ策を先送りすれば、今後も年金制度改革が選挙など政治的要因によって妨げられるとの観測を生み、その結果、年金制度の安定性、信頼性が揺らいでしまうのではないか。それは国民の将来の生活不安を高めることになり、消費活動にも悪影響を生じさせるだろう。
政府・与党が、短期の景気対策のために、年金を含めた社会保障制度の基礎財源である消費税の減税を検討することは、国民生活を将来にわたって支えていくという観点からは責任ある姿勢とは言えない。同様に、目先の選挙への悪影響を警戒して、年金制度改革を先送りすることもまた、責任ある姿勢とは言えないのではないか。
(参考資料)
「政府、低年金対策を削除 法案提出へ 給付3割低下に現実味」、2025年5月14日、日本経済新聞
「与野党、責任回避の年金改革 参院選控え会社員ら負担増に及び腰 氷河期世代にあおり」、2025年5月14日、日本経済新聞
「クローズアップ:提出優先、骨抜き年金法案 「基礎」底上げ削除 16日閣議決定」、2025年5月14日、毎日新聞
政府・与党が、短期の景気対策のために、年金を含めた社会保障制度の基礎財源である消費税の減税を検討することは、国民生活を将来にわたって支えていくという観点からは責任ある姿勢とは言えない。同様に、目先の選挙への悪影響を警戒して、年金制度改革を先送りすることもまた、責任ある姿勢とは言えないのではないか。
(参考資料)
「政府、低年金対策を削除 法案提出へ 給付3割低下に現実味」、2025年5月14日、日本経済新聞
「与野党、責任回避の年金改革 参院選控え会社員ら負担増に及び腰 氷河期世代にあおり」、2025年5月14日、日本経済新聞
「クローズアップ:提出優先、骨抜き年金法案 「基礎」底上げ削除 16日閣議決定」、2025年5月14日、毎日新聞
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。