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「平均物価目標」政策を撤回へ

米連邦準備制度理事会(FRB)は現在、金融政策の枠組み見直しの作業を進めている。この枠組みは中長期的な政策方針であり、その見直しは短期的な金融政策判断には直接影響を与えないとの位置づけである。しかし、トランプ米大統領が利下げに慎重なパウエルFRB議長を連日のように強く批判し、早期利下げの実施を要求する中、FRBの次の一手を占ううえで注目される材料の一つだ。
 
FRBは今年8月あるいは9月までに見直し作業を終え、その結果を公表する可能性があるとしており、FRBの利下げ再開時期と重なる可能性もある。
 
FRBは、この金融政策の枠組みの見直しを5年前の2020年にも行った。この際には、物価上昇率の中長期のトレンドが、FRBが目標とする2%を下回っていることが問題視されていた。
 
その際、2%の物価目標が実際には上下双方向に対称ではなく、上限の目標になってしまっているとの指摘がなされた。つまり、FRBは物価上昇率を中長期的に2%程度とする目標を掲げながらも、実際には物価上昇率が上昇して2%に接近する、あるいは2%を上回ると金融政策を引き締める。そのため、金融市場、企業、家計はFRBが2%を超える物価上昇率を容認していないと受け止めるようになる。その結果、中長期の物価上昇率見通し(インフレ期待)が2%を下回り、その影響から実際の物価上昇率の平均値も2%を下回ってしまう、との指摘だ。
 
こうした課題への対応策としてFRBは、物価上昇率を期間平均で目標値に近づけることを目指す「平均物価目標」を導入する必要があるとの結論に達した。そして、物価上昇率が一定期間目標値を下回った場合、その後一定期間は目標値を上回ることを容認する、という「埋め合わせ」政策の方針を導入したのである。
 
しかしパウエル議長は今回、「(物価上昇率を目標値よりも)意図的に、緩やかに超過させるという考えは、FRBの政策協議に意味がなく、今日までそうあり続けていることが分かった」と話し、その方針を今回撤回する考えを示している。
 
前回、金融政策の枠組みの見直しを行った際には、物価上昇率の下振れがFRBの大きな課題であったが、その後は、物価上昇率の上振れが課題となったことを反映した結論である。

枠組み見直しは利下げに慎重な現在のFRBの姿勢を正当化するものとなるか

パウエル議長は、「経済情勢は2020年以降で大きく変わった。FRBの再検討は、そうした変化の評価を踏まえたものになる」と話している。また議長は、実質金利の上昇は「危機のはざまにあった10年代より、今後はインフレが一段と激しく変動する可能性を反映」しているかもしれないとの認識を示している。その意図するところは明確ではないが、過去と比べて高めの実質金利が、物価変動リスクというリスクプレミアムを反映しているとの認識なのではないか。その場合、実質金利が従来と比べて高めであっても、必ずしも景気抑制的とはならないことになり、利下げに慎重なFRBの姿勢を正当化すると思われる。
 
またパウエル議長は、「供給ショックがさらに頻繁に起き、長期化する局面に入りつつあるのかもしれない。これは経済と中銀にとって難しい課題だ」と語っている。この供給ショックとは、コロナショック、ロシアのウクライナ侵攻による食料・エネルギー価格の上昇に加えて、トランプ政権の関税政策の影響を指すのだろう。
 
中長期的な金融政策の枠組みという位置づけであっても、その見直しがこのように足元の環境変化に大きく左右されるのであれば、枠組みを設定する意味は薄いのではないかとも思われる。
 
夏にも公表されるFRBの金融政策の枠組み見直しは、全体として利下げに慎重な現在のFRBの姿勢を正当化する内容となり、FRBに利下げを求めるトランプ大統領との対決を煽るものとなる可能性がある。枠組み見直しも、トランプ大統領の新たな攻撃対象となるのではないか。

(参考資料)
“Powell Steers New Strategy for a World Where Very Low Rates Are No Sure Thing(FRB、政策枠組み見直しへ=パウエル氏)”, Wall Street Journal, May 16, 2025

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。