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トランプ大統領の演説では買収の具体策は説明されず

日本製鉄によるUSスチールの買収計画を巡りトランプ大統領は、米国時間5月30日にペンシルバニア州ピッツバーグにあるUSスチールの製鉄所の集会で演説を行った。トランプ大統領がこの場で買収計画を正式に認めるかどうかが注目されていたが、実際には「買収」「完全子会社化」などの説明はなく、「提携(パートナーシップ)」「取引(ディール)」といった言葉が用いられ、また具体策への言及はなかった。「日本製鉄が140億ドルの投資を約束した」「USスチールが米国にコントロールされ続ける」などの言及がされた。
 
他方、集会には日本製鉄の森高弘副会長が参加し、「(両社の間で)パートナーシップ」が成立した、との主旨の発言を行った。また、トランプ大統領への謝意も伝えた。
 
演説後にトランプ大統領は記者の質問に答えて、買収計画を承認するかどうかの判断はまだしていないと説明した。その期限は6月6日だ。
 
ただし、森副会長がUSスチールの集会に参加し、トランプ大統領への謝意も伝えたことなどを踏まえると、日本製鉄とトランプ政権との間で、合意に向けた何らかの前進があったと推察される。

完全子会社化の方向との報道も

トランプ大統領の演説に先立ち読売新聞は、日本製鉄がUSスチールの株式を100%取得し完全子会社化することをトランプ政権が承認する方向で最終調整に入った、と報じている。米政府がUSスチールの経営に一定程度の影響力を持てるように、日本製鉄は米国政府と「国家安全保障協定」を締結するという。この協定には米当局の許可なくUSスチールの生産能力を削減しないことや生産拠点を海外に移転しないことなどが含まれるとされる。
 
米政府がUSスチールの経営に影響力を持つために、USスチールが、取締役の選任・解任や株主総会決議を拒否できるなど、通常の議決権よりも強い権限を持つ「黄金株」を米政府に譲渡する案が検討されてきたとされるが、これも引き続き選択肢だろう。
 
日本製鉄は一貫してUSスチールの完全子会社化を目指しており、140億ドルの巨額の設備投資の実施もそれが前提だ。経営権を十分に握れない状態でUSスチールに巨額の投資を行えば、高級鋼などの製造技術の流出につながるリスクがあるためだ。
 
トランプ大統領は過半数を超える出資に反対の姿勢を維持してきたが、過半数未満の出資しか求められないのであれば、日本製鉄は買収計画と投資計画を破棄するだろう。この点から、トランプ政権との間ではUSスチールの100%の株式取得、あるいは少なくとも過半数の株式取得で、協議が進められているのではないかと推測される。日本製鉄が、100%でなくても過半数の株式取得を受け入れるのであれば、合意は成立に向かうのではないか。
 
日本製鉄が上記のような条件を受け入れて買収を決める場合、また、100%にとどかない過半数の株式取得を決める場合には、巨額の投資のコスト、米国政府に経営を縛られること、USスチールへの投資に伴う技術流出などのリスクを抱えることになるだろう。
 
依然として合意の詳細については明らかでなく、トランプ政権あるいは日本製鉄、USスチールからの正式発表を待ちたい。

鉄鋼の関税率を50%に引き上げ:対米鉄鋼輸出額は年間1,145億円程度減少

トランプ大統領は30日の演説で、輸入鉄鋼追加関税を現状の25%から50%に引き上げると突然表明した。関税率引き上げにはアルミニウム製品も含まれ、6月4日に実施される。
 
昨年の日本から米国への鉄鋼輸出額は3,027億円、アルミニウムは245億円だった。既に課されている25%の関税によって対米鉄鋼・アルミ輸出額は概ね1年間で573億円程度減少すると試算される。関税率が50%に引き上げられれば、輸出額は概ね1年間でその倍の1,145億円減少する計算だ。年間名目GDPへのマイナス効果は-0.01%から-0.02%に拡大する。現在の追加関税が日本のGDPに与える影響は-0.46%から-0.47%へとわずかに拡大する計算となる。
 
関税率の引き上げによって米国で製造される鉄鋼の海外製品との価格競争力はさらに高まることになるため、日本製鉄がUSスチールを買収した際に、米国市場でのシェアを早期に拡大することを後押しする可能性が考えられる。
 
(参考資料)
「日鉄、完全子会社化へ」、2025年5月31日、読売新聞

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。