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岸田政権の所得倍増計画に対して石破政権は所得5割増計画

石破首相は9日、2040年に日本の名目GDPを1,000兆円まで引き上げること、国民の平均所得を5割以上増加させること、を参院選公約に掲げるよう党幹部に指示した。
 
所得の5割増加目標は、2021年に当時の岸田首相が掲げた「令和版所得倍増計画」を思い起こさせるものだ。岸田政権は、「所得倍増」から「資産所得倍増」に政策の軸足を移していき、「所得倍増計画」はうやむやに終わった感がある。
 
その後、日本では物価上昇率と賃金上昇率が予想外に上振れ、名目GDP成長率も高まった。そこで、所得増加に関する目標を設定することは、当時と比べれば現実的であるように感じられる。しかも国民の所得は倍増ではなく5割増と控えめなため、より達成可能に見える。
 
2024年の名目GDPは609.5兆円だった。これが2040年に1,000兆円になるのであれば、名目GDPは16年間で1.64倍増加することになる。一方、この間の国民の平均所得の増加目標が5割以上と、名目GDPの伸びよりも控えめな理由は明確ではない。労働分配率に変化がないのであれば、一人当たり所得の増加率は、労働力人口の減少分だけ名目GDP成長率よりも大きくなるはずだ。両者が逆転しているのは、労働分配率の低下を想定しているのか、労働力人口の増加を想定しているのか、不明だ。

足もとの高い名目成長率の持続を前提に目標を設定するのは無理がある

2024年の名目GDP609.5兆円を2040年に1,000兆円にするには、毎年平均で+3.1%の名目GDPの成長が必要となる。これはかなり高い成長率の想定と言えるだろう。2021年から2024年までの名目GDP成長率の年平均の実績値が+3.1%であったことから、これを参考にして目標を設定した可能性があるだろう。
 
ただし、この間の経済環境は異例だったと言える。コロナショック、ロシアのウクライナ侵攻、日米金利差急拡大などを受けた歴史的円安など、物価を大きく押し上げる要因が重なった期間だ。こうした特殊な経済環境の下で実現した名目成長率が今後も続くとの前提で2040年に名目GDP1,000兆円という目標を設定するのは、やや無理があるのではないか。

実質値の目標と成長戦略を公約に

さらに、物価上昇率、賃金上昇率が大きく上振れるもとでも、多くの人が経済環境の改善を実感していないというのが現状であり、それを踏まえた上で目標を設定すべきではないか。
 
名目賃金上昇率が高まる下でも、それが高い物価上昇率に追い付かないことから、人々の生活は圧迫されている。こうした足元の状況を踏まえると、名目GDPや名目所得で将来に向けて高い目標を設定しても、人々は経済環境、生活環境が改善するとの楽観的な期待を高めることは難しいのではないか。重要なのは、名目賃金上昇率が物価上昇率をどの程度上回っているかを示す実質賃金上昇率の改善、それに大きな影響を与える労働生産性上昇率の改善、あるいは名目ではなく実質GDP成長率の改善などだ。
 
自民党および石破政権は、いわば水膨れの名目値の改善に目標を設定するのではなく、国民生活に深く関わる実質値の改善にしっかりと目標を設定し、それを達成するための具体策、いわゆる成長戦略を公約に掲げて欲しい。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。