&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

10年前の議事録を現在の金融政策決定に活かす

日本銀行は7月16日(水)の8時50分に、2015年1~6月開催の金融政策決定会合の議事録を公表する。消費者物価上昇率の下振れを受けて、日本銀行は2014年10月に「金融緩和の拡大」を実施した。今回議事録が公表される半年間は、この金融緩和策の効果を見極める期間に当たる。サプライズを狙った「金融緩和の拡大」は、株高など金融市場には影響を与えたが、物価上昇率の押し上げには目立った効果を発揮しなかった。
 
円安効果の一巡、原油価格下落など供給面、コスト面から物価上昇率が下振れたことを受けて、日本銀行は「金融緩和の拡大」を決めたが、こうした物価上昇率の下振れは本来景気に好影響を与えるものであり、それに金融緩和の強化で対応したのは誤りだったと考えられる。当時の日本銀行は、2%の物価目標達成に強くこだわっていた結果、金融政策は柔軟性を欠き、適切な金融政策判断ができなかったのではないか。
 
翻って現在は、当時とは逆に消費者物価上昇率は2%の目標を大きく上回っている。しかし、足もとの物価上昇率の上振れも、堅調な需要の増加に支えられた「良い物価上昇」ではなく、流通の問題、投機などによる米の価格高騰、天候要因による生鮮野菜の価格高騰、円安の影響によるエネルギー、加工食品の価格上昇といった「悪い物価上昇」の性格が強い。それらは景気の下方リスクとなっている。
 
日本銀行はさらなる金融政策正常化を進める必要があるが、表面的な物価上昇率の上振れを理由に利上げを急ぐことは、経済、金融市場の安定を損ねるリスクがある点には留意が必要だ。
 
10年前は良い物価上昇率の下振れであり、現状は悪い物価上昇率の上振れと言える。いずれも供給要因による物価上昇率の変化であり、需要要因による物価上昇率の変化とは異なる金融政策の対応が求められる。
 
良い物価上昇率の下振れに対して過度な金融緩和を実施してしまった10年前の失敗の経験を現在に活かすという観点から、2015年上期の議事録をしっかりと読み込み、金融政策決定プロセスを検証することが必要だ。

「量的・質的金融緩和の拡大」は物価の押し上げに失敗

2014年10月の「量的・質的金融緩和の拡大」は、サプライズを演出したものだった。実施後の2週間で日経平均株価は11.7%上昇した。また2週間で、対ドルでの円レートは6.5%円安が進んだ。実施時には108円台だったドル円レートは、2015年には120円台に乗せていった。また株価も上昇傾向に弾みがかかった。
 
拡大は、このように株式及び為替に大きな影響を与えたが、それとは対照的に、その後の経済や物価に対して明確な影響は見られなかったのである。サプライズ戦略で市場の期待を動かすことはできたが、この政策で企業や個人の期待インフレ率など、実体経済活動の期待を動かすことはできなかったと言える。
 
2015年8月には消費者物価(除く生鮮食品)の前年同上昇率は再びマイナスにまで低下し、2013年4月に日本銀行が「量的・質的緩和政策」を実施する前の状況にまで戻ってしまったのである。

金融政策の効果に懐疑的な見方が世間で広がる

2013年4月の「量的・質的金融緩和」、2014年10月の「金融緩和の拡大」が、ともに持続的な物価上昇率の上振れと2%の物価目標の達成につながらなかったことを受けて、金融政策の効果についての「量的・質的金融緩和」開始時の人々の熱狂的な期待は大きく低下して懐疑的な見方が広がっていった。今回公表される議事録の2015年1~6月は、まさにそうした時期と重なる。
 
金融緩和で仮に物価上昇率が高まっても、賃金が上がらなければ実質賃金は高まらず、国民生活は改善しない、との声も世間では高まった。これは、現在にも通じる議論だ。また、金融緩和の効果で需要は押し上げられても、供給力が高まらなければ経済は成長の天井に直ぐに当たってしまい、実質成長率は高まらない、との議論も聞かれた。
 
日本経済が活力を取り戻し、国民生活が改善するためには、金融緩和ではなく、成長力を高める成長戦略、構造改革が重要との認識は、この時期に、一定程度国民の間に浸透していったと考えられる。いわゆるアベノミクスの第1、第2の矢ではなく、第3の矢が重要ということである。しかし日本銀行はその後も異例の金融緩和を続け、翌年の2016年にはマイナス金利政策へとさらに歩みを進めていった。いわば深みに嵌まっていったとも言えるだろう。

消費者物価上昇率は再び大きく下振れた

2015年1~6月には7回の金融政策決定会合が行われ、その議事録が公表される。この間、政策変更は実施されなかったものの、後の政策転換につながる重要な議論が始まっていた点は注目される。以下では、既に公表されている議事要旨から、この期間の決定会合での議論を振り返ってみたい。
 
デフレマインドの転換は進んでおり、2%の物価目標達成に向けて物価情勢は改善している、との執行部の見解は多数意見として維持されていた。しかし、実際の消費者物価上昇率は前年同月比で再びマイナスに向かって急速に低下しており、物価上昇に対する強気の見方も揺らいでいたのである。その中で、複数の委員は、2%の物価目標達成に懐疑的な見方を一貫して示していた。
 
日本銀行は当初、異例の金融緩和を通じて金融市場や家計、企業の中長期の予想物価上昇率を2%に誘導し、それを原動力にして早期に2%の物価目標を達成する考えを示していた。しかし、先験的期待形成という考え方から、適合的期待形成という考え方へと、日本銀行の中長期の予想物価上昇率形成の説明はシフトしていったのである。
 
原油価格の下落は、景気にもプラスであり、いずれは物価上昇率を高める要因になるものの、短期的には表面的な物価上昇率を下振れさせることから、それが中長期の予想物価上昇率を下振れさせてしまう、との議論が2015年1月の会合でなされていた。前年10月の量的緩和の拡大は、原油価格下落が中長期の予想物価上昇率を下振れさせ、それがデフレ脱却と2%の物価目標達成を遅らさせてしまうリスクに対応したもの、との説明が2015年1月の会合ではなされていた。

翌年の長期国債買い入れ減額につながる議論が活発にされ始めた

2015年1月下旬には、長期金利が顕著に上昇したことから、それを踏まえた議論も、2月、3月の会合では活発になされていた。これは、現状の超長期・長期金利の上昇への日本銀行の対応とも重なる面がある。
 
長期金利上昇の背景には、日本銀行による大量の国債買い入れによって国債市場の機能が低下した結果である可能性が、2月、3月の会合では議論された。
 
また4月の会合では、この長期金利上昇に関連して、財政ファイナンスの議論もされていた。日本銀行が大量の国債買い入れを実施することで、政府がそれに依存して財政規律を緩めてしまうことが、財政リスクと長期金利の上昇リスクを高める、との議論もされていた。いわゆる財政ファイナンスの問題が扱われていたのである。
 
このように、長期金利上昇を受けて、日本銀行の国債買い入れの2つのリスク、市場機能の低下と財政ファイナンス問題の議論が活発に会合で議論され始めたのがこの時期だ。
 
そのうえで、国債買いれの減額についても議論が及んでいたのである。実際には日本銀行は翌年の2016年9月にはイールドカーブ・コントロールを導入するとともに、長期国債の買い入れ目標は撤廃し、長期国債の買い入れ額を急速に減らし始めた。それにつながる議論が、2015年上期の決定会合ではなされていたのである。
 
今回、議事録が公表された2015年上期には、日本銀行は金融政策変更を実施していないが、翌年の大きな政策転換に繋がる議論が活発に行われ始めた、非常に重要な時期にあたる。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。