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日本銀行の氷見野副総裁が、9月2日に実施する講演(道東地域金融経済懇談会)のテキストが事前に公表された。氷見野副総裁のテキストは、日本銀行が従来行ってきた情報発信の内容と大きな違いは見られず、金融政策を巡る金融市場の認識に修正を与えることを意図したメッセージ性の高い発言もなかった。
 
後半の金融政策運営に関する発言では、「実質金利は依然極めて低い水準にあり」、「経済・物価のメイン・シナリオが実現していくとすれば、経済・物価情勢の改善に応じて、引き続き政策金利を引き上げ」と、先行き利上げを進めていく考えを改めて示している。
 
しかし、「メイン・シナリオが本当に実現していくかどうかについては、予断を持たずにみていきたい」、「私たちの前からリスクや不確実性がなくなることはありません」、「メイン・シナリオから離れた時にもあまり困ったことにならないよう、適時適切に対応してまいりたい」などとしている。
 
こうした一連の発言は、日本銀行がなお追加利上げに慎重な姿勢であることを示唆している。4月以降、日本銀行の利上げは事実上一時停止の状態にあると考えられる。日本銀行がなお追加利上げに慎重であるのは、トランプ関税の影響が不確実である点が最大の要因と考えられる。
 
テキスト前半の経済・物価の分析では、トランプ政権の政策、特に関税政策に多くのスペースを割いている。関税の影響についてのメイン・シナリオは、「各国の通商政策の影響はいずれ顕在化し、海外経済が減速、わが国の企業の収益も下押しされる」、「日本経済の成長ペースは鈍化する」としている。さらに「当面は(影響が)大きくなる可能性の方により注意が必要」と強調している。
 
トランプ関税の経済への影響は、当初懸念されていたほどではないことから、日本銀行は早期に利上げに動く、との見方も金融市場では少なくない。しかし氷見野副総裁の今回の発言内容は、それとは一線を画したものであり、なお慎重に状況を見極める必要がある、との考えに基づいている。利上げの事実上の一時停止措置が解除されるまでには、しばらく時間がかかるだろう。
氷見野副総裁の慎重な発言を踏まえると、日本銀行が9月18~19日の次回金融政策決定会合で利上げを実施する可能性は極めて低いと考えられる。最短では、10月29~30日の金融政策決定で利上げが実施される可能性はあるが、筆者はさらに後ずれする可能性の方が大きく、現時点では12月18~19日を利上げ実施時期のメイン・シナリオとしている。
 
トランプ関税の影響以外に、トランプ政権が米連邦準備制度理事会(FRB)への政治介入を強めることで世界の金融市場が不安定化すれば、それは日本銀行の利上げ時期を後ずれさせるだろう。他方、トランプ政権がドル高修正を視野に入れて、FRBへの利下げ圧力を強めるだけでなく、日本銀行に利上げによる円安修正を求める場合には、日本銀行の政策はその影響を受けることになるだろう。日本銀行の金融政策は、関税政策を中心としたトランプ政権の政策に大きく左右される状況だ。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。