米国での経済政策の失敗のつけを他国が支払わされたプラザ合意
間もなくプラザ合意(Plaza Accord)から40年を迎える。プラザ合意とは、1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開かれた先進5か国(G5)による会合で結ばれた、国際的な為替政策協調の合意だ。協調の為替介入を通じてドルの秩序だった減価を図り、ドルの暴落を回避する狙いがあった。
プラザ合意は、世界経済に大きな影響を与えたが、特に日本では、バブル形成と崩壊のきっかけとなり、現在に至るまでの経済低迷の要因の一つとなった。
プラザ合意の本質は、米国での経済政策の失敗のつけを他国が支払わされた、という点にある。70年代以降の高インフレ体質からの脱却を目指し、1979年に米連邦準備制度理事会(FRB)議長に就任したボルカー氏は、積極的な利上げ策でインフレ退治を進めた。その中で、為替市場では急速にドル高が進んでいった。1981年に就任したレーガン大統領もドル高を容認した。一方、レーガン大統領はその1期目に、旧ソ連への対抗から軍事費を大幅に拡大させるとともに、1981年には個人所得税の最高税率を70%から50%に引き下げる大型減税を実施した。
「レーガノミクス」とも呼ばれたこうした政策パッケージは、財政赤字を拡大させるとともに、ドル高と国内過剰需要を反映した貿易赤字の拡大をもたらした。いわゆる「双子の赤字」の問題が深刻化していったのである。それはドルの信頼性を大きく損ねるものであり、積極的な利上げ策による行き過ぎたドル高のもとでは、ドル暴落への懸念を高めることになった。
プラザ合意は、世界経済に大きな影響を与えたが、特に日本では、バブル形成と崩壊のきっかけとなり、現在に至るまでの経済低迷の要因の一つとなった。
プラザ合意の本質は、米国での経済政策の失敗のつけを他国が支払わされた、という点にある。70年代以降の高インフレ体質からの脱却を目指し、1979年に米連邦準備制度理事会(FRB)議長に就任したボルカー氏は、積極的な利上げ策でインフレ退治を進めた。その中で、為替市場では急速にドル高が進んでいった。1981年に就任したレーガン大統領もドル高を容認した。一方、レーガン大統領はその1期目に、旧ソ連への対抗から軍事費を大幅に拡大させるとともに、1981年には個人所得税の最高税率を70%から50%に引き下げる大型減税を実施した。
「レーガノミクス」とも呼ばれたこうした政策パッケージは、財政赤字を拡大させるとともに、ドル高と国内過剰需要を反映した貿易赤字の拡大をもたらした。いわゆる「双子の赤字」の問題が深刻化していったのである。それはドルの信頼性を大きく損ねるものであり、積極的な利上げ策による行き過ぎたドル高のもとでは、ドル暴落への懸念を高めることになった。
プラザ合意が日本のバブル形成と崩壊、その後の長期経済低迷のきっかけに
ドルが暴落すれば、米国のみならず他国も大きな打撃を受けることは避けられない。自国通貨が大幅に上昇することは、自国経済に大きな打撃となる。また、ドル建ての貿易決済の混乱が生じ、企業の輸出入活動を動揺させる。金融機関が保有するドル資産の減価は、金融システム不安を生じさせる。
このように、ドルが暴落すれば、世界全体が大きな被害を受けることになる。世界が一蓮托生の状況に追い込まれた中、米国は他の主要国に協調為替介入で行き過ぎたドル高を修正することを呼びかけたのである。それが、プラザ合意だ。これは米国の一種の「瀬戸際外交」でもあり、その政策の失敗の後始末を他国に押し付けるものだった。
当時は日米貿易摩擦のもとで、日本は米国から貿易不均衡を是正するために内需拡大を求められ、それが日本銀行に低金利の維持を強いていた。加えて、プラザ合意後の急速なドル安円高が重なったことで、日本銀行の低金利政策はますます強化されたのである。ドル安円高下で日本銀行が利上げに転じれば、ドル暴落の引き金になってしまう可能性があったためだ。
既述のように、それが日本のバブル形成と崩壊、その後の長期経済低迷のきっかけとなった。米国の政策の失敗の被害を最も受けたのは日本だ。
このように、ドルが暴落すれば、世界全体が大きな被害を受けることになる。世界が一蓮托生の状況に追い込まれた中、米国は他の主要国に協調為替介入で行き過ぎたドル高を修正することを呼びかけたのである。それが、プラザ合意だ。これは米国の一種の「瀬戸際外交」でもあり、その政策の失敗の後始末を他国に押し付けるものだった。
当時は日米貿易摩擦のもとで、日本は米国から貿易不均衡を是正するために内需拡大を求められ、それが日本銀行に低金利の維持を強いていた。加えて、プラザ合意後の急速なドル安円高が重なったことで、日本銀行の低金利政策はますます強化されたのである。ドル安円高下で日本銀行が利上げに転じれば、ドル暴落の引き金になってしまう可能性があったためだ。
既述のように、それが日本のバブル形成と崩壊、その後の長期経済低迷のきっかけとなった。米国の政策の失敗の被害を最も受けたのは日本だ。
人為的な為替調整の難しさも教訓に
また、プラザ合意は、協調の為替介入を通じた通貨誘導が難しいという教訓も残した。プラザ合意を受けて、ドル円レートは1日で約20円下落するなど劇的な効果を生じさせ、その後もドルは急速に減価を続けたが、今度はそれを止めることができなくなったのである。
1987年2月のルーブル合意(Louvre Accord)では、主要国が、為替レートは「現在の水準で安定させるべき」との共同声明を出し、ドル安に歯止めをかけようとした。それでもドル安には歯止めがかからなかった。
プラザ合意前にドル円レートは1ドル=240円台だったが、1986年には1ドル150円台まで円高が進み、ルーブル合意後もその流れは変わらずに、1987年には1ドル120円台に達した。円の価値はこの間、ほぼ2倍に上昇したのである。
1987年2月のルーブル合意(Louvre Accord)では、主要国が、為替レートは「現在の水準で安定させるべき」との共同声明を出し、ドル安に歯止めをかけようとした。それでもドル安には歯止めがかからなかった。
プラザ合意前にドル円レートは1ドル=240円台だったが、1986年には1ドル150円台まで円高が進み、ルーブル合意後もその流れは変わらずに、1987年には1ドル120円台に達した。円の価値はこの間、ほぼ2倍に上昇したのである。
トランプ政権の「マールアラーゴ合意」構想
このように、大きな課題と教訓を残したプラザ合意だが、40年後にトランプ政権は再びドル高修正を構想している可能性がある。トランプ大統領の経済アドバイザーである大統領経済諮問委員会(CEA)委員長のミラン氏は、昨年11月に公表した論文で、米国の貿易赤字を縮小、解消する手段として、関税を主張するとともに、それに続く施策として多国間が協調して行き過ぎたドル高を是正する第2のプラザ合意、あるいは「マールアラーゴ合意」を提唱した。ベッセント財務長官もそれを支持している。
40年前のプラザ合意時とは異なり、他の主要国はドル暴落のリスクを懸念している訳ではないことから、この多国間の通貨政策協調は成立しない。そのため、トランプ政権は、関税策に次ぐ貿易赤字削減策として、米国単独でのドル高是正策、あるいは日本を巻き込んだ「ミニ・マールアラーゴ合意」を模索する可能性がある。
トランプ政権が進めるFRBへの政治介入はその一環とも考えられる。人事を通じてFRBを支配し、大幅な利下げを進めることでドル高を修正することを狙っている可能性があるだろう。また将来的には、日本銀行の利上げを促すことで、ドル高円安の是正を進めることも視野に入れている可能性がある。
ただし、プラザ合意は、事実上の基軸通貨であるドルを人為的に誘導することの難しさを教訓として残した。ドル安が急速に進み、それがコントロールできなくなれば、世界経済に大きな打撃が及ぶ。また、トランプ政権もドル高の是正が、ドルの事実上の基軸通貨としての地位を危うくしてしまうことを警戒しているのである。
40年前のプラザ合意時とは異なり、他の主要国はドル暴落のリスクを懸念している訳ではないことから、この多国間の通貨政策協調は成立しない。そのため、トランプ政権は、関税策に次ぐ貿易赤字削減策として、米国単独でのドル高是正策、あるいは日本を巻き込んだ「ミニ・マールアラーゴ合意」を模索する可能性がある。
トランプ政権が進めるFRBへの政治介入はその一環とも考えられる。人事を通じてFRBを支配し、大幅な利下げを進めることでドル高を修正することを狙っている可能性があるだろう。また将来的には、日本銀行の利上げを促すことで、ドル高円安の是正を進めることも視野に入れている可能性がある。
ただし、プラザ合意は、事実上の基軸通貨であるドルを人為的に誘導することの難しさを教訓として残した。ドル安が急速に進み、それがコントロールできなくなれば、世界経済に大きな打撃が及ぶ。また、トランプ政権もドル高の是正が、ドルの事実上の基軸通貨としての地位を危うくしてしまうことを警戒しているのである。
トランプ政権のステーブルコインによるドル支配維持の構想
2025年7月には「ステーブルコイン」の規制環境の整備を進めることでその健全な発展を目指す、ジーニアス法(GENIUS: Guiding and Establishing National Innovation for US Stablecoins Act)が成立した。トランプ政権は、ドル建てのステーブルコインを使った決済を、米国内だけでなく世界に広めることで、ドルの覇権を維持することを狙っている。
ドル建てステーブルコインを米国内外で広げていくにはまだ乗り越えなければならない課題が多く残されており、その対応には時間を要する。しかしトランプ政権は、将来のドル建てステーブルコインの利用拡大がドルの信認を支えると主張して、ドルの信認低下のリスクを抑えつつ、FRBの利下げを通じたドル安政策に着手する可能性があるのではないかと思われる。
ただしそうした政策も、ドルの信認を損ね、米国の金融市場を混乱させてしまうため、結局は、長続きしない可能性が高いのではないか。
ドル建てステーブルコインを米国内外で広げていくにはまだ乗り越えなければならない課題が多く残されており、その対応には時間を要する。しかしトランプ政権は、将来のドル建てステーブルコインの利用拡大がドルの信認を支えると主張して、ドルの信認低下のリスクを抑えつつ、FRBの利下げを通じたドル安政策に着手する可能性があるのではないかと思われる。
ただしそうした政策も、ドルの信認を損ね、米国の金融市場を混乱させてしまうため、結局は、長続きしない可能性が高いのではないか。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。