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10月4日に、自民党総裁選の国会議員投票・党員票開票が行われる。そこで新総裁が選出され、その人物が、臨時国会の首班指名投票で首相に選出される可能性が高い。少数与党の新政権は、石破政権と同様に、厳しい政策運営を強いられる可能性がある。他方、野党の政策を取り入れることで、野党との安定した連携や連立政権を実現すれば、安定した政策運営を実現できる可能性も出てくる。以下では、新政権に望む8つの経済政策を挙げた。
 
1)物価高に耐え得る所得税制の抜本見直しを
 
過去数年にわたる物価の高騰は、低所得層の生活を圧迫している。これに対して有効な対策を講じることができなかったことが、与党が衆参両院で大幅に議席を減らし、少数与党に陥った原因の一つだろう。
 
さらに、物価高は食料品、エネルギーなど必需性の高い品目を中心に生じていることから、消費に占めるそれらの割合が高い低所得層の実質所得をより大きく減少させ、所得格差を拡大させていることも深刻な問題だ。
 
物価が高まり、それに応じて名目賃金が増加しても、課税最低限や所得税区分を変えなければ、課税対象となる人が増え、また高い税率が適用される人が増えるため、実質増税となってしまう。この実質増税の問題を世に知らしめたのは国民民主党の功績であるが、国民民主党が求めている178万円までの基礎控除額などの引き上げでは、高額所得者により大きな減税となることから、所得格差は一段と拡大してしまうという問題がある。
 
物価上昇が実質増税になることを避けるためには、課税最低限や所得税区分を物価連動型にすることを検討すべきだろう。新政権は、そうした物価高に耐え得る所得税制の抜本見直しにまず着手すべきである。
 
2)低所得層支援強化と社会保障制度の抜本見直しを
 
他方、こうした見直しでは、非課税所得者に恩恵が及ばないことが大きな欠点だ。そこで、第2のステップとしては、立憲民主党が掲げる給付付き税額控除が検討に値するのではないか。税額控除に所得制限を設けることによって、所得格差を縮小させ、低所得層の支援を強化できる。税控除額、給付額ともに物価に連動させることも選択肢となるのではないか。
 
第3のステップとしては、社会保障制度の抜本的な改革となる、自民党総裁選候補の林氏が提唱する「日本版ユニバーサルクレディット」が検討に値するのではないか。
 
この制度では、各種給付を簡素化できる一方、低所得者に対して十分な支援を行うことが可能となる。申請を必要としない給付制度であるため、給付制度を知らずに給付を受けられないことや、生活保護などの申請に伴う精神的抵抗から申請を控えることなどがなくなる。
 
3)財政健全化方針の堅持を
 
このような所得税制や社会保障制度の見直しにはコストがかかるが、それを恒久財源で賄うべきだ。立憲民主党は給付付き税額控除の財源に、大企業への優遇措置を是正し、応分の負担を求める「法人税制の見直し」、高額所得層に対する所得税の最高税率引き上げなど「富裕層への課税強化」などを検討しているが、実際、それらは選択肢となるだろう。
 
さらに、所得税や社会保障制度の見直しの財源とするのみならず、財政や社会保障制度の持続性を高めるために、国民の資産を把握し、資産額に応じた社会保障給付や課税なども将来的には選択肢とすべきだろう。
 
自民党総裁選では、こうした財源についての議論が極めて希薄であることが問題だ。政府が投資を拡大して成長率を高めれば税収が増えるため、財源の確保は可能、との意見が多く聞かれる。しかし、これは全く根拠のない、無責任な議論なのではないか。
 
高市氏は「危機管理型投資」として、災害対策、防衛力強化、経済安全保障強化、食・エネルギーの自給率向上などのための政府の投資を主張しているが、こうした投資は成長率には直接貢献しない、波及効果の小さいタイプの投資と言えるだろう。また、必要であれば赤字国債発行で賄う形で政府投資を拡大し、成長率が高まれば、それは将来世代に恩恵をもたらす、との高市氏の主張は、根拠を欠くだけでなく危険性がある。
 
国債発行による政府債務の一段の悪化がすぐに財政危機を生じさせるものではないとしても、国債発行は将来の需要を前借りするものであり、その分、将来世代に負担を転嫁し、将来の需要を奪ってしまう。これは、将来の成長期待を低下させ、経済活動を委縮させてしまう恐れがある。
 
また、日本銀行が政策金利の引き上げ、保有国債残高の削減など金融政策の正常化を進めるなか、国債市場の機能も回復してきており、財政悪化リスクを反映しやすくなってきた。国債発行による積極財政を行えば、長期金利が顕著に上昇し、経済を悪化させる可能性がある。また財政環境の一段の悪化は通貨価値の低下をもたらすことで、円安進行を促す可能性がある。それは物価高を通じて国民生活を圧迫してしまう。こうした経路で、財源の裏付けのない積極財政政策は、経済、国民生活にむしろ逆風となりかねないのである。
 
特に、新政権が消費税減税議論を進める場合には、それは国債の格付け引き下げ懸念を誘発し、金融市場を混乱させる可能性が生じるのではないか。
 
内閣府の最新試算(2024年7月)では、2025年度の国と地方を合わせたプライマリーバランスが約8,000億円の黒字になると見込まれている。しかし、それが実現する可能性は高いとは言えないだろう。プライマリーバランスの定義がやや異なっている可能性はあるが、国際通貨基金(IMF)の見通しによれば、2025年の日本のプライマリーバランスの名目GDP比率は-2.4%であり、2023年には-3.2%と、先行き赤字額は拡大していく見通しとなっている。
 
プライマリーバランスの黒字化は、財政健全化の「一里塚」、つまり第一歩だ。新政権は引き続き、プライマリーバランス黒字化目標の達成に真摯に取り組む必要がある。その後には、政府債務のGDP比率を新たな目標とし、それを相応に引き下げることを目指す必要があるだろう。さらに、財政赤字全体の解消に取り組む必要もある。
 
そのうえで、選挙や政権交代などに左右されずに、中長期的に財政健全化路線を確保するために、政治から中立な組織体など新たな枠組みの構築を考える必要があるのではないか。
 
4)実質賃金引き上げに物価安定と労働生産性向上を
 
総裁選では各候補者とも賃上げの重要性を訴えているが、それを実現するための施策については十分に説明がなされていない。既存の賃上げ税制には、中小・零細企業に多い赤字企業は活用できないという問題がある。政府が進めてきた最低賃金の引き上げは、零細企業の経営を圧迫する恐れがある。さらに、「官製春闘」と呼ばれるように政府が賃金交渉に直接介入することも、市場メカニズムによる賃金決定を歪め、弊害が小さくないだろう。
 
消費者にとって重要なのは、名目賃金上昇率がどの程度物価上昇率を上回るのか、つまり実質賃金がどの程度上昇するのかである。総裁選で小泉氏、林氏の両氏は、石破首相が掲げる実質賃金の年1%程度の上昇という目標を支持している。
 
実質賃金の上昇を回復するためには、短期的には行き過ぎた物価上昇率を下げる施策が必要だろう。物価上昇率が大きく上振れる中、それを上回る大幅賃上げを実施することには、企業も労働者も慎重であるように思われる。ひとたび経済環境が悪化すれば、高い賃上げが企業収益を圧迫すること、それが雇用の抑制につながることを、企業、労働者が警戒しているためである。 
 
コメ価格高騰への対策、そして食料・エネルギー価格の上昇をもたらす円安の修正を、必要に応じて為替介入や日本銀行の金融政策正常化などによって実現を目指すことが求められる。
 
ただし、行き過ぎた物価上昇率の押し下げは、実質賃金の上昇を達成する短期的な手段でしかない。持続的に1%など高めの実質賃金上昇率を達成するには、別の施策を講じる必要がある。実質賃金上昇率のトレンドは、分配環境に変化がなければ労働生産性上昇率で決まることから、労働生産性上昇率を向上させる構造改革、成長戦略が必要となる。
 
このように、実質賃金を引き上げるのには、短期、中長期に分けた施策が求められる。
 
5)アベノミクスの総括を
 
石破首相は2024年の自民党総裁選で、「アベノミクスからの軌道修正を図らなければならない」「経済危機時には有効だったアベノミクスには弊害が大きいと考えている」などと発言し、アベノミクスを見直す考えを表明した。
 
石破政権は、実際にはアベノミクスの見直しを実施していない。しかし、今後の適切な経済政策を考える上では、アベノミクスの功罪を整理し、総括することが欠かせないのではないか。
 
安倍元首相が主張した、「日本銀行の積極的な金融緩和でデフレ克服を図る」という考え方は、現状では大きな弊害をもたらしているように思える。異例な金融緩和が長く続く中、それは経済に好影響を与えるよりも悪影響を与えている。異例な金融緩和は急速な円安をもたらし、物価高騰を生じさせている。
 
当時は「物価上昇率が高まれば、個人が消費を前倒しで行うため、経済成長率は高まる」との主張が広く支持されていたが、現在、実際に生じているのは、物価高騰下での個人消費低迷である。
 
日本銀行の異例の金融緩和で物価上昇率を高めれば、日本経済はデフレから脱却し、国民生活は大きく改善する、とのアベノミクスの主張は誤りだった。この点を総括しないと、より適切な経済政策が選択されるようにはならないのではないか。
 
また、アベノミクスの主張のもとで、政府が日本銀行の金融政策に関与することを容認する風潮や、財政健全化を疎かにし、積極財政政策を支持する風潮が強まったことも大きな弊害だろう。
 
こうした点を踏まえると、新政権が「アベノミクスの総括」をしっかりと行うことは非常に重要だ。
 
6)日本銀行の中立性尊重を
 
トランプ米大統領は、人事を通じて米連邦準備制度理事会(FRB)に介入し、事実上の支配を進めている。FRBの独立性低下は、世界の中央銀行や金融市場に大きな懸念を生じさせている。
 
そうした中、日本銀行の独立性の維持はより重要性を増している。自民党総裁選で高市氏は、「政策の方針は政府が決め、政策手段は日本銀行が決める」という考え方を明確に提唱している。政策手段は日本銀行が決める、としている点で、日本銀行の独立性に一定程度配慮しているとも言えるが、政策の方針を政府が決めるのであれば、やはり日本銀行の独立性は大きく制限される、と言わざるを得ない。現在の日本銀行法が示すのは、日本銀行は政府と意志疎通を図りつつ独自に金融政策を判断し、その具体的手段を決定するというものだ。
 
2024年3月に金融政策の正常化に着手した日本銀行は、政策金利をさらに引き上げるなど、正常化を進めていく方針だ。そうした中、新政権が日本銀行の独立性を尊重せず、金融緩和継続などを求めて事実上の政治介入を行えば、財源の裏付けのない積極財政政策と同様に、それは円安の進行を助長し、物価高を通じて国民生活を圧迫してしまう可能性があるだろう。
 
新政権は「アベノミクスの総括」を行い、その中で日本銀行の独立性を尊重する姿勢を明確に示すべきだ。
 
7)日米関税合意と投資計画の見直しを
 
7月22日に、日米関税合意が成立した。トランプ政権によって25%と設定されていた相互関税は15%となり、4月から25%の水準で始められていた自動車関税なども15%へと引き下げられた。
 
しかし、日本経済には相応の逆風は残る。第2次トランプ政権のもとで日本に課された関税は、日本の実質GDPを1年間程度で0.55%押し下げられる計算となる。2025年度実質GDP成長率への影響は-0.53%、関税の海外経済への影響である間接効果も含めると-0.66%と試算される。
 
さらに、日米関税合意の一環で日本が米国に約束した5500億ドルの投資計画は、米国政府が主導し、日本の政府系金融機関が米国製造業の再生のためにそれを資金面から支援するという、極めて不平等なスキームとなっており問題だ。
 
トランプ政権が日本、その他の国々に課した関税はそもそも不当なものであり、新政権は15%の関税率を受け入れるのではなく、欧州連合(EU)など他国と連携して、トランプ政権に関税の撤廃を働きかけるべきだろう。それは、日本の産業界に恩恵をもたらし、日本の国益に資するものだ。
 
また、5500億ドルの投資計画は、不平等な取り決めとなっており、これについても日本の国益にかなう形へと修正するよう、新政権はトランプ政権に働きかけるべきだ。
 
8)供給力を強化する成長戦略の推進を
 
石破政権はその発足時に、岸田政権の経済政策を引き継ぐと宣言した。実際、物価上昇を上回る賃上げの定着を目指す方針などは、岸田政権の政策を引き継いだものと言える。しかし、岸田政権が着手した成長戦略のほとんどについては、石破政権は引き継いだとは言えないだろう。ライフワークとも言える地方創生策について、石破首相は「地方創生2.0」を打ち出したものの、目立った成果を上げていないように見える。
 
日本経済の再生を目指す経済政策は、常に安易な方向に流れやすい。近年では、日本銀行の異例の金融緩和、積極財政政策、消費税減税などがその代表だろう。このような短期的に需要に働きかける政策では、日本経済が成長軌道に復し、国民生活が持続的に改善して、国民が将来に明るい展望を持てるようにはならない。
 
既に見たように、実質賃金の持続的な上昇には労働生産性向上が必要であり、それは金融緩和、財政出動、減税といった一時的に需要を押し上げるような政策では実現できない。
 
労働生産性向上には、企業の設備投資の拡大が必要であり、そのためには、将来に向けた成長期待の上昇が欠かせない。それに寄与するのが、少子化対策、外国人材活用、東京一極集中是正、インバウンド戦略などの政府の経済政策だ。さらに、労働市場改革を通じて成長産業に労働力を移動させることも、生産性及び成長率を向上させる。
 
これらの施策が本格的に効果を発揮するまでには時間を要するが、政府が信頼される有効な成長戦略を打ち出すことができれば、企業の先行きの成長期待は高まり、設備投資を積極化させるだろう。その結果、生産性、成長率向上の効果が前倒しで得られることも期待される。
 
アベノミクスで謳われた金融緩和、積極財政は比較的容易に実施できるが、持続的に日本経済の供給力を高めることにはならない。新政権はアベノミクスをしっかりと総括したうえで、今度こそ成長戦略を強く推進することに注力すべきだ。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。