1月23日の金融政策決定会合で日本銀行は政策金利の引き上げを見送り、さらに総裁記者会見で植田総裁は、次回利上げの時期について明確なヒントを出さなかった。
これによって、早期利上げ観測が後退し、為替市場ではドル円レートは159円台まで一気に円安が進んだ。しかしその直後に、157円台前半まで2円程度も円高方向に押し戻されるという激しい動きを見せた。
これについて、日本銀行が市場参加者に為替水準を尋ねる「レートチェック」を実施したのではないか、との観測が広がっている。実際、その可能性はあるのではないか。
為替介入は政府が決定し、日本銀行がその指示の下で業務を代行する。以前は、政府が為替介入を決めると、それを実施するまでの形式的な段取りの一つとして、日本銀行が「レートチェック」を実施していた。その場合、「レートチェック」の直後には、日本銀行が実際に為替介入を実施する。
しかし近年では、為替市場への口先介入の手段として「レートチェック」を行う例が出てきたように思う。その場合、為替介入という実弾は打たれずに、口先介入だけで終わる。
今回は、1ドル157円台前半まで円高が進んだ直後に、再びドル円レートは158円台前半まで円安方向に押し戻されている。仮に為替介入という実弾が打たれたのであれば、円高方向への振れはもっと大きくなり、また介入効果の持続性はもっと高かったはずだ。こうした点から、今回は口先介入としての「レートチェック」だけが行われた可能性が考えられる。
ただしそれでも、政府が1ドル160円に達する前に市場を強くけん制したことになり、さらに、為替介入の実施が近いことを示している。本日は日本銀行の金融政策を巡る観測で為替市場は動いたが、過去数か月間は、物価高対策を含む高市政権の積極財政政策が円安を後押ししてきた。他方政府は、物価高を通じた経済、国民生活への悪影響に配慮して、1ドル160円程度を防衛ラインとして、円安阻止に向けて為替介入も辞さない強い姿勢を見せている。双方の政策は矛盾しており大きな問題だ。
これによって、早期利上げ観測が後退し、為替市場ではドル円レートは159円台まで一気に円安が進んだ。しかしその直後に、157円台前半まで2円程度も円高方向に押し戻されるという激しい動きを見せた。
これについて、日本銀行が市場参加者に為替水準を尋ねる「レートチェック」を実施したのではないか、との観測が広がっている。実際、その可能性はあるのではないか。
為替介入は政府が決定し、日本銀行がその指示の下で業務を代行する。以前は、政府が為替介入を決めると、それを実施するまでの形式的な段取りの一つとして、日本銀行が「レートチェック」を実施していた。その場合、「レートチェック」の直後には、日本銀行が実際に為替介入を実施する。
しかし近年では、為替市場への口先介入の手段として「レートチェック」を行う例が出てきたように思う。その場合、為替介入という実弾は打たれずに、口先介入だけで終わる。
今回は、1ドル157円台前半まで円高が進んだ直後に、再びドル円レートは158円台前半まで円安方向に押し戻されている。仮に為替介入という実弾が打たれたのであれば、円高方向への振れはもっと大きくなり、また介入効果の持続性はもっと高かったはずだ。こうした点から、今回は口先介入としての「レートチェック」だけが行われた可能性が考えられる。
ただしそれでも、政府が1ドル160円に達する前に市場を強くけん制したことになり、さらに、為替介入の実施が近いことを示している。本日は日本銀行の金融政策を巡る観測で為替市場は動いたが、過去数か月間は、物価高対策を含む高市政権の積極財政政策が円安を後押ししてきた。他方政府は、物価高を通じた経済、国民生活への悪影響に配慮して、1ドル160円程度を防衛ラインとして、円安阻止に向けて為替介入も辞さない強い姿勢を見せている。双方の政策は矛盾しており大きな問題だ。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。