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「トゥキディデスの罠」とは何か

5月14日に開かれた米中首脳会談の冒頭で、中国の習近平国家主席が「トゥキディデスの罠」に言及したことは驚きだった。米中両大国が軍事的な衝突を回避できるかどうかという極めてセンシティブなテーマを、トランプ米大統領に直接投げかけたからだ。

覇権国がその地位を維持する高い負担に耐えかねて、自ら静かに覇権国の地位を降りる形で覇権国の交代が実現するケースよりも、覇権国同士の軍事的対立を通じて覇権国の交代がもたらされるケースの方が、歴史的に見ればより一般的だろう。これを、米国の政治学者グレハム・アリソンは「トゥキディデスの罠(The Thucydides Trap)」と呼び警告した(コラム、「米中首脳会談とトゥキディデスの罠」、2022年11月15日)。

トゥキディデスとは古代ギリシアの歴史家であり、その著書「戦史」のなかで、海上交易を抑える経済大国としてアテナイが台頭し、陸上における軍事的覇権を事実上握っていたスパルタとの間で対立が生じたことを記述した。30年不戦条約など、両国間で戦争を回避する試みは何度もなされたものの、最終的にはどちらの国も望まない戦争が勃発してしまった。それが、30年近くの長年にわたる戦争、ペロポネソス戦争であった。

そこから、急速に台頭する大国が既成の支配的な大国とライバル関係に発展する際に、当初はお互いに決して望まなかった軍事的な対立に、いずれは及んでしまうという様子を、アリソンはトゥキディデスの罠と表現したのである。

トゥキディデスは、アテナイの台頭がスパルタに与えた恐怖が、戦争を避けられなくしたと分析した。中国にいずれ覇権を奪われてしまうことへの強い恐怖心が、米国の対中姿勢を強硬にさせてしまった面があることとも似ている。

歴史的には軍事衝突を伴う覇権交代の事例は多い

アリソンが率いるハーバード大学のベルファー・センターの研究によると、過去500年にわたる新興国とその挑戦を受ける覇権国との関係を示す16の事例で、実に12件までが戦争に至った。つまりトゥキディデスの罠が当てはまったと分析している。20世紀に日本が台頭した際の日露戦争、太平洋戦争などもそれにあたるという。

過去の歴史を紐解けば、このように、戦争を伴う形で覇権交代が実現されたケースは多い。しかし、そうした安易な運命論に陥ってしまうことなく、当事国である米国、中国、そして他国も、戦争回避に向けて知恵を絞らねばならないだろう。また、米中衝突となれば最も大きな打撃を受けるのは、米国の同盟国である日本であることを考えれば、日本も外交力を最大限駆使して、トゥキディデスの罠に陥る事態を回避することに努めることが求められる。

世界秩序の見直しも

アリソン氏の分析によれば、新興国と覇権国の2大国が戦争を回避できたケースでは、覇権国が国際システムやルールの改変を実施したことがそれを可能にしたという。

一般論で言えば、米国も、多様な国家形態、経済システム並びに価値観を認める寛容性をもっと持たねばならないだろう。米国、あるいは先進各国が共有してきた様々な価値観が、果たして普遍的なものであったのか、一度立ち止まって再検証をしてみることも必要なのではないか。

過去に新興の大国と既存の覇権国との間の対立が生じた際と、現在の状況とが異なるのは、絶対的な強国である二大国間の闘いという構図ではなく、先進国の盟主と新興国の盟主との闘いが生じているということなのではないか。

中国に限らず、新興国全体が大きな経済的影響力を持つようになっているもとでは、米国をリーダーとする先進国が作り上げた秩序だけでは、新興国の間での理解を十分に得ることは難しく、結果的に世界が安定を維持できなくなっているという認識も持つべきではないか。

「ドンロー主義」への不安

他方、年初のベネズエラ攻撃での見られたように、トランプ大統領は「モンロー主義」の復活を目指している。南北米大陸を中心とする西半球での覇権を目指すトランプ版の「モンロー主義」は「ドンロー主義」とも呼ばれる。

「モンロー主義」はもともと、米国が欧州の問題に干渉しない代わりに、欧州諸国に南北米大陸の問題に介入しないことを求めるものだ。仮に、トランプ大統領が「ドンロー主義」をアジア地域に拡大させて、アジア地域への関与を後退させる場合には、アジア地域でのパワーバランスの大きな変化をもたらすことになるのではないか。

日本にとっては、「トゥキディデスの罠」も気がかりであるが、トランプ政権が「ドンロー主義」をこのような修正することがないかどうかも懸念されるところだ。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。