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日本銀行が利上げを決めた16日の金融政策決定会合後の記者会見は、入院中の植田総裁の代行で内田副総裁が行った。代行という役割も踏まえ、内田副総裁は今後の金融政策について踏み込んだ発言を避けた。その結果、通常の総裁記者会見よりも先行きの金融政策を判断する材料に乏しい記者会見となった。

一方、声明文や記者会見が示すのは、物価上昇率と比べて低すぎる政策金利を緩やかに引き上げて行くという従来の方針を日本銀行が修正し始めたことだ。それは、政策金利の引き上げが一定程度進んだことで、政策金利が中立金利に従来よりも接近してきたことがある。

ただし、その中立金利の水準は正確には分からないことから、従来よりも慎重に利上げを決定しなければならない。しかし他方で、今回の声明文で指摘されたが、原油価格上昇の影響で基調的な物価上昇率は目標よりも上振れるリスクが出てきた。それへの対応は、中立金利を上回る水準まで政策金利を急いで上げねばならない可能性もでてきた。結局、日本銀行の政策方針のフェーズが変わってきたことが、当面の利上げペースを不確実にしている。。

また、足もとでの米国とイランの戦闘終結に向けた覚書の合意、原油価格の下落が当面の金融政策に与える影響も不確実だ。原油・ナフサ不足によって経済が大きく下振れるリスクを懸念し利上げに慎重であった総裁など執行部にとっては、利上げに前向きとなる材料だろう。他方、原油価格の上昇が物価上昇率の上振れリスクを懸念し、早期の利上げを志向してきた非執行部にとっては、利上げの前傾姿勢をやや修正する材料ともなる。

金融政策の不確実性が一段と強まったというのが、異例の総裁不在の中で行われた内田副総裁の記者会見の印象だ。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。