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「我々にはまだやるべきことがある」

米連邦準備制度理事会(FRB)のウォーシュ議長は8月28日、ジャクソンホール会議で講演した。この中でウォーシュ議長は、「物価安定の観点から見ると、(物価指標の)数値はより懸念される状況にある(But on the price-stability side of our mandate, the numbers are more concerning.)」「基調的なインフレ率が目標に向かって、明確かつ十分なペースで推移していると確信できる必要がある。そうでなければ、我々にはまだやるべきことがある。それこそが我々の仕事であり、責務であり、そして遂行すべき使命だ(We must be confident that underlying inflation is moving to our objective, clearly and at sufficient speed. Otherwise, we have work to do. That's our job . . . our mandate . . . and our charge to keep.)」
 
これらの発言を受けて金融市場では、9月の米連邦公開市場委員会(FOMC)での利上げ観測が強まった。金融市場が織り込む9月の利上げ確率は、講演前の約35%から講演後は50~57%程度へと上昇した。また、利上げ観測の高まりは28日の米国市場で、短期ゾーンを中心に金利を押し上げるとともに、1ドル160円台までドル高円安が進んだ。
 
ウォーシュ議長は、7月の議会証言でも「インフレの高止まりを容認しない」とインフレを警戒する発言をしており、今回の発言の趣旨は必ずしも新しいものとは言えない。しかし、金融政策の先行きの見通しを語ることに否定的なウォーシュ議長は、ジャクソンホール会議では金融政策の先行きに関わる発言をしないとの見通しが事前に有力だったことから、これらの発言がやや意外感を持って金融市場で受け止められた可能性がある。
 
仮に、金融市場の受け止めがウォーシュ議長の発言の意図とは異なるとしても、議長はそれを修正するような発言を行うことはないだろう。一方、7月のFOMCでは、3人が利上げを主張しており、その後も地区連銀総裁からは早期の利上げに前向きな発言が増えていることから、9月に利上げが行われる可能性は相応に高いと言えるのではないか。

フォワードガイダンスに改めて否定的な見解を示す

ウォーシュ議長は講演で、金融政策の先行きを示すフォワードガイダンスについて、改めて否定的な議論を展開した。
 
フォワードガイダンスは、金融政策に関する金融市場とのコミュニケーションの透明性を高める手段と受け止められているが、この点についてウォーシュ議長は、「将来の政策決定に関するコミュニケーションにおける透明性は、それ自体が美徳というわけではなく、コミュニケーションは、FRBの最優先の責務である『金融政策を適切に運営すること』に資するものでなければならない」とした。
 
さらに議長は、従来の主張を繰り返し、フォワードガイダンスは、グローバル金融危機の際には不可欠だったが、平時においてはフォワードガイダンスの役割は限定的かつ慎重に定められたものであるべきとし、現在ではその役割を終えている、と断じた。
 
そして、政策審議の内容を過度に開示したり、将来の決定について過度なコミットメントを行ったりすることは、市場、企業、家計を誤った方向に導きかねない。政策担当者が金利に関するコミットメントを行うと、いざ決定を下すべき時に適切な判断を行うための自らの自由を制限することになる、とその弊害を強調した。
 
ウォーシュ議長の今回のフォワードガイダンスについての議論の中で、特に注目されたのは「合わせ鏡(ホール・オブ・ミラーズ)」の問題だ。
 
これは、金融市場が中央銀行の示すガイダンスに大きく依存し、また、中央銀行も金融市場での価格に強く依存するようになれば、中央銀行は、新たな事態の変化を見落としやすくなり、金融政策運営において誤りを犯す可能性が高まってしまうことを意味するものだ。

金融政策の原則を示すことを重視

ウォーシュ議長は、金融政策の透明性を高める手段として、フォワードガイダンスよりも金融政策の原則(principle)を示すことを重視している。今回の講演でも、6つの原則を示した。
 
第一に、古かったり不正確だったりするデータに基づいて将来の金融政策を策定しないよう、現実を十分に精査して確認する必要がある。また、断片的なデータに依存するのではなく、トレンドを重視すべきだ。そしてFRBが参照するデータは、可能な限り適切かつ最新で、正確、そして政策判断に資するものである必要がある。
 
第二に、FRBの行動は、経済の需要と供給を整合させることを意図している。しかし供給側で実際に何が起きているかを直接見ることはできず、推測するしかない。総供給と総需要の現在および将来のバランスを評価することは、不確実性を伴う作業となる。
 
第三に、物価安定は自動的に実現するものではなく、インフレ率が必ずしも自然に平均値に回帰するわけでもない。物価を安定させることはFRBの重要な責務だ。
 
第四に、FRBは「雇用の最大化」の実現に対しても責任を負っている。中期的に責務の両面を達成することは、どちらか一方を選ぶという二者択一の問題ではない。物価の安定とFRBの「デュアル・マンデート(二つの責務)」は相反するものではない。そもそも、高インフレそのものが経済の繁栄を大きく損なう。
 
第五に、短期金利の操作は、デュアル・マンデートを達成するための主要な手段だ。経済活動を刺激するための非伝統的な政策は、真の危機的状況には適しているが、それ以外の場合には、使用するとしても慎重かつ限定的であるべきだ。
 
第六に、金融政策において「マネー(貨幣)」は引き続き重要な役割を担っている。中央銀行が供給するマネーや、銀行・金融システムを通じて生み出されるマネーは、金融環境や物価に大きな影響をもたらす。
 
金融市場では、フォワードガイダンスや過度な情報提供に否定的なウォーシュ議長の姿勢について、必ずしも好意的に受け止められていないように思う。情報不足は先行きの金融政策についての不確実性の高まりにつながり、金融市場のボラティリティの上昇、イールドカーブのスティープ化につながっている面もあるだろう。
 
ウォーシュ議長の金融市場とのコミュニケーション戦略の見直しは始まったばかりであり、議長が望むような大幅な見直しが最終的に実現できるかどうかはまだ分からない。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。