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概要

日本企業は、組織の同質性や失敗を恐れる風土が起因して、イノベーションの種となる新規事業や組織変革のアイデアを生み出しにくく、その実現にも課題を抱えている。その解決策として注目されているのが「越境学習」である。越境学習は、社員が一時的に他組織で多様な経験を積み、新たな知見や視点を自社に持ち帰る仕組みである。本コラムでは、越境学習が企業のイノベーション創出に有効な理由と、導入・推進のための具体的なポイントについて解説する。

はじめに:日本企業におけるイノベーション創出の難しさ

日本企業において、イノベーションを創出することの難しさはかねてより指摘されてきた。
まず、イノベーションの種となる事業創造・組織変革のアイデアを「創出」することの難しさが指摘される。経済学者シュンペーターによれば、イノベーションの源泉である「新しい知」は、「既存の知」を組み合わせることで生まれるとされる。この理論が正しいとするならば、企業は多様な人材を集め、「既存の知」の組み合わせをできる限り増やすことが重要である。しかし、日本の雇用慣行は転職が一般的な海外と異なり、多様な職歴やバックグラウンドを持つ人材を集めることが難しい。このため、日本企業は自社社員に外部の知を積極的に探索・還流させる仕組みを構築し、アイデア創出を促す必要がある。
また、アイデアを「創出」できたとしても、その「実現」には大きなハードルがある。事業創造・組織変革等のアイデアは、実現の不確実性が高く、社内の反対を押し切らないと推進できないものも多い。既存事業・組織の漸進的な改善を通じて価値を創造してきた日本企業の経営スタイルは、事業・組織の急進的な変化を含む失敗リスクを排除することに長けているが、結果的にイノベーションの種となるアイデアを受容して実行に移すことには躊躇する構造となっている。そのため、組織が急進的な変化や失敗を積極的に許容するような環境を意図的に構築しなければ、イノベーションの種となるアイデアを積極的に実現していくことは難しいのである。

「日本流」の人材流動・イノベーション創出手段としての「越境学習」

上述のような、イノベーションを創出・実現していく上での日本企業特有の課題にアプローチする手段として、「越境学習」という取り組みが現在注目されている。越境学習とは、「所属組織の設置する制度・仕組みの下で、所属する人材が、所属企業に戻ることを前提として、一時的に越境先の業務に携わる体験のこと」である(図1)。異動や転職とは異なり、越境学習者が一定期間を経て所属組織に帰ってくる「往還」の形を取ることが特徴である。
越境学習にも多様なプログラムがあり、越境先に数か月フルコミットするプログラム(「大きな」越境学習と呼ぶ)や、数日間のワークショップ、個人の副業など(「小さな」越境学習と呼ぶ)が存在する。越境先は、スタートアップやNPO、大企業、中小企業などさまざまな選択肢がある。一方で、イノベーションの創出を目的とする場合、これまで関わったことのない属性のメンバーが多く、業務内容や職務分掌が明確に定義されていない環境に越境することが望ましい。このような条件を満たしやすいのはスタートアップやNPOであるため、本コラムではこれらを主要な越境先として取り上げて説明する。

越境学習の概要
越境学習の概要

出所)経済産業省「越境学習をイノベーション創出につなげるために ー越境学習グッドプラクティスー」

越境学習が大企業にもたらす具体的な効果

なぜ越境学習は注目を浴びているのか。それは、これまで述べてきた日本企業におけるイノベーション創出の課題、すなわちイノベーションの種となるアイデアの創出と、その実現に大きく寄与するものであるからである。以後、経済産業省「越境学習をイノベーションにつなげるためにー越境学習グッドプラクティスー」で紹介されている事例も踏まえながら、なぜ越境学習がアイデアの創出と実現に寄与するのかを説明していく。

<イノベーションの種となるアイデアの創出>

まず、越境体験を通じて、越境学習者のスキルやコンピテンシーが変革されていく。越境先であるスタートアップやNPOでは、所属組織でこれまでかかわってきた人とは全く異なる属性の人と仕事をすることになる。また、越境先では役割分担が厳密に決まっていないこともあり、主体的かつ柔軟な対応も求められる。そのような中で、試行錯誤を重ねながら業務を遂行していくことで、質の高い仮説検証を行うことのできる能力のみならず、不確実な環境下で失敗を恐れずに挑戦していく力、リーダーシップを発揮する能力を身に着けることができる。
これらのスキル・コンピテンシーを身に着けた越境学習者は、新規事業の探索や所属企業とスタートアップの協業の推進に貢献する。越境学習者は、越境先で全く異なる業界や技術に触れることとなる。越境先での業務経験によっては、新たな顧客層のニーズや事業アイデアを発見するきっかけが得られるかもしれない。また、大企業とスタートアップ双方の意思決定プロセスを理解できるため、協業の実現にも寄与することができる。
その例として、高齢者向けサービスを提供するベンチャー企業である株式会社チカクが株式会社NTTドコモから受け入れた越境学習者を紹介する。株式会社チカクは、株式会社NTTドコモと “デジタル近居”サービス「ちかく」の実現にあたり協業したが、その実現に大きく寄与したのが越境学習者であった。協業にあたり、越境学習者が、大企業とスタートアップ双方の動き方を理解している人材として、両者の認識のギャップを橋渡しする(例:「なぜ大企業は意思決定に時間がかかるのか?」をスタートアップ側に伝達する)存在として活躍し、協業の実現に非常に重要な役割を果たした。

<イノベーションの種となるアイデアの実現>

越境学習者は、組織文化を変革し、新たなアイデアを受容し実現していくための基盤づくりにも寄与する。
まず、越境学習者は、イノベーションを創出し、組織を変革する「リーダー」として、越境中に培ったリーダーシップ・巻き込み力を発揮し、周囲の同僚の主体性の変化を促す。また、フラットな組織構造や柔軟な人材活用を体験した越境学習者が、所属組織に帰ってきた後、自身や周囲の働き方・評価制度を見直す働きが起きることも期待できる。
パナソニックグループは越境学習の制度を導入しており、特に変革を牽引する人材育成を図ることを目的としてサイボウズ株式会社への越境学習者をこれまで多数送り出してきた。同社への越境学習者は、「フラットに情報を共有する組織風土」や「社員が企業の存在意義・文化に腹落ちしている状態」 を目の当たりにし、帰任後、所属組織内にも同様の風土をもたらそうと積極的に活動するようになった。具体的には、人事制度・ツール・風土等の組織開発に関する情報共有ができるチャットスペースの立ち上げや、「企業理念を自分たちが語る会」と呼ばれる、自社の企業理念を腹落ちさせるための社内イベントの開催などを実現した。
また、越境学習は、イノベーションを創出・実現できる「リーダー」の育成としてのみならず、変化を受容する「フォロワー」としても機能する。越境学習者は、普段なじみのない環境で挑戦を重ね、変化に対応してきた経験から、他者の新たなアイデアを柔軟に受け入れることができる。そのような人材が増えることで、イノベーションが生まれやすい組織文化が自ずと醸成されていく。
越境学習者は、越境学習を契機として、部署間・会社間の境界を越えて組織・個人を結び付け、縦横無尽に組織行動に影響を及ぼすことのできる人材へと成長していく。こういった存在は、「バウンダリー・スパナー」と呼ばれる。越境学習者が「バウンダリー・スパナー」に変容していく過程の中で、大企業には、イノベーションの「実弾」の創出のみならず、イノベーションフレンドリーな組織風土への変革がもたらされる。

越境学習を導入・推進し、イノベーションを創出するにあたってのポイント

実際に越境学習を導入・推進し、イノベーションを創出するにあたり、経営層・人事部をはじめとした、導入の意思決定権者が意識すべきポイントを下記に記す。

<越境学習者が、ミッション・ビジョンに共感でき、自らで実施事項を主体的に定められるような組織に越境すること>

越境学習には、「大きな」越境学習と、「小さな」越境学習が存在することを前述したが、特に前者については、越境学習者が越境先のミッション・ビジョンに共感し、その実現のために自ら主体的に実施事項を定めることが重要である。自らで実施事項を主体的に定め、仮説検証を高速で実施していくことができれば、意思決定をスピーディーに行い、イノベーションの種となるアイデアを生み出し、実現させていく能力を身に着けることができる。越境学習者の所属企業の経営層や人事部は、越境学習者がミッション・ビジョンに共感できるよう、事前にその重要性を伝えるなどのサポートが求められる。

<多様な越境学習を推進し、社内の越境経験者を増やすこと>

イノベーションの種となるアイデアを創出できる人材を増やしつつ、組織文化を変革し新たなアイデアを受容し実現していくための基盤を作るためには、「大きな」越境学習と、「小さな」越境学習を両輪で促進し、越境学習経験者の数を増やすことが重要である。
具体的には、一部の社員が「大きな」越境学習を通じて越境先でイノベーション創出のノウハウを深く学ぶだけでなく、より多くの社員が「小さな」越境学習を通じて「アウェイ」や「異文化」といった環境を体験し、イノベーションを受容する力を高めることが求められる。これにより、組織全体で「イノベーションの種となるアイデアを生み出し、実現する」という一連のプロセスを構築することができる。
ただし、これから越境学習の制度を導入しようとする企業が、いきなり複数の越境学習プログラムを導入・促進することは難しい。その場合は、「大きな」越境学習からはじめることが望ましい。越境経験者が社内で学びを周囲に伝え、「越境学習を少しでも体験してみたい」と考える社員を増えれば、自然と「小さな」越境学習の制度の導入を議論することになるだろう。

<越境学習者を継続的にサポートする仕組みを作ること>

越境学習がイノベーションの創出に寄与する前提として、越境学習者が学習効果を最大化させることが重要である。学習効果を最大化させるために、越境学習者の周囲(人事担当者、所属部の上司)が、越境学習者の状況を定期的に理解し、支援するための仕組みづくりが重要である。
具体的には、人事担当者や所属部の上司に、越境学習中も越境学習者と面談を行い、必要に応じてアドバイスを行う役割を付与することが求められる。また、越境学習経験者のコミュニティ形成を促進し、越境学習者同士で日々の困難を共有し、解決策を話し合う場を作ることができる場づくりをサポートすることも重要である。

<経営層が継続的にコミットし続け、越境学習の普及推進をイノベーションの創出につなげるための施策を打つこと(図2)>

越境学習をイノベーションの創出につなげるためには、多様な越境学習プログラムの導入や越境学習者の成長を継続的にサポートする仕組みづくりに加えて、事業戦略、人事戦略(人事評価制度・副業制度)などの見直しも含めた、人的資本の価値向上に向けた幅広い施策の検討が求められる。これらの取り組みを実現するためには、経営層のコミットが不可欠である。経営層自らが越境学習者の成長や組織風土の変化を確認しつつ、越境学習をはじめとする多様な施策を推進し、イノベーションの創出につなげていく施策を整備していく必要がある。

越境学習をイノベーションにつなげるために経営層に求められるアクション
越境学習をイノベーションにつなげるために経営層に求められるアクション

出所)経済産業省「越境学習をイノベーション創出につなげるために ー越境学習グッドプラクティスー」を踏まえてNRI作成

当社は社内での越境学習の導入・普及に向けた各種検討(越境学習プログラムの設計や、越境学習者の伴走体制の構築に係る制度設計など)や、越境学習の導入・普及を起点とした人事戦略・新規事業立案戦略の検討を実施可能である。ぜひお気軽にお問合せいただきたい。
なお、経済産業省の事業として受託して作成した成果物である
「越境学習をイノベーション創出につなげるために ー越境学習グッドプラクティスー」
「越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン」も併せてご参照いただきたい。

経済産業省「越境学習をイノベーション創出につなげるために ー越境学習グッドプラクティスー」
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/shukkokigyo/jireisyu.pdf

経済産業省「越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン」
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/shukkokigyo/gaidorain.pdf

プロフィール

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    駒場 凜太郎

    社会システムコンサルティング部

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。