概要
近年、インドの医薬品産業はグローバル市場で地位を高めており、従来の原薬供給拠点の役割に加え、研究開発や商業展開の観点からも注目を集めている。これは疾病構造の変化、高度人材の集積、制度整備の進展等の要因が、同市場の発展を促しているためと考えられる。本稿ではインド医薬品市場の変化を概観し、日系製薬企業の進出可能性について論じる。
インド医薬品市場の概観
インドの医薬品市場は世界でも有数の規模を誇り、依然としてジェネリック医薬品を主軸に据え、今後も着実な成長が見込まれる。高い生産能力から「世界の薬局」とも称されるインドは、NAFTA諸国、アフリカ、ASEAN諸国を中心に輸出を拡大しており、グローバルサプライチェーンでの存在感を一層強めている。
またインド国内の疾病構造に目を向けると、かつて主流であった感染症に代わり、生活習慣の変化や都市化の進展を背景に、糖尿病・心疾患・がんといった非感染性疾患(NCD)の有病率が上昇している。これを受けて、インド政府もNCDに対応した医療インフラの強化を進めている。こうした動きは、感染症中心の医療需要から、先進国型の疾病構造への移行が進み、医療ニーズも大きく変化し始めていることを示している。実際、2020年時点のインドにおける治療分野別医薬品売上では循環器系薬が最多であり、その他抗感染症薬、消化器系薬、抗糖尿病薬、栄養補助薬など、複数領域に売上が幅広く分散している。
インドの製薬産業ケーパビリティの成長
インドは、医薬品分野で研究開発・製造の高度化を進めている。研究開発面では、ヘルスケア分野における高等教育の拡大で、PhD人材の増加が見られ、加えてGCC(Global Capability Center)の設立も相次いでおり、知的基盤の整備が加速している。
一方、製造面ではGMPを含む国際的なコンプライアンス対応が進展し、特に米国FDAの査察対応は、2020年以降明確な改善があった。基準が年々厳格化する中で、この傾向は2023-2024年でも継続し、インド製造業の品質対応力が着実に強化されている。さらに、2023年にはインド政府が国内GMP基準の強化に向けた制度改正を発表し、国際基準との整合性確保に向けた規制整備も進展している。
こうした産業基盤の高度化を支えるため、インド政府は政策面でも包括的な支援を展開する。具体的には、PLI(生産連動型奨励)スキームやFDI(海外直接投資)を含む国内外企業の投資推進の各種インセンティブ施策に加え、製薬分野における研究・製造インフラの整備を目的とした政策が体系的に整備されている。なかでも、PLIスキームでは原薬、医療機器、医薬品を対象に、投資額および売上高に応じたインセンティブが供与され、関連企業の資金調達環境が大きく改善している。FDIに関しても、グリーンフィールド投資(新規製造拠点やインフラの設立を伴う投資)については100%、ブラウンフィールド投資(既存企業の買収・資本参加)においても最大74%まで政府の事前承認を必要としない自動承認ルートが認められ、外資参入を強力に後押しする枠組みが整備されつつある。加えて、これらの重点施策を財政面からも下支えするため、インド政府は医薬品局(DoP)に対し総額5,000億ルピー(約60億米ドル)超の予算を割り当てており、今後はインフラ整備と制度運用の両面で、産業の一層の活性化が期待される。
日系製薬企業のインド市場戦略的進出の可能性
これまで日本の製薬企業はインド市場進出に対し慎重な姿勢を保っていた。その背景には、①需要構造、②製造品質、③知的基盤に関するボトルネックの存在があった。しかしながら、前段で見たようにインド市場を取り巻く環境は大きく変容しており、これらの障壁は着実に解消されつつある。以下では、ボトルネックごとにその変化を整理し、今後の日系企業の市場参入方法を展望する。
①需要構造
従来、感染症を中心とするインドの疾病構造は、日本企業が強みを持つ高付加価値型製品との適合性に欠けていた。しかし現在、都市化と生活習慣の変化を背景に、糖尿病・心疾患・がん等のNCDの有病率が上昇し、疾病構造は先進国型へとシフトしている。この変化は、日本企業の既存ポートフォリオとの整合性を高め、市場参入余地を拡大させる契機となっている。
一方顧客層の観点で、依然としてジェネリック医薬品の供給が市場で飽和しており、これまで差別化が可能だったのは新薬領域に限られていた。ただし、その対象顧客は一部の富裕層に限定されており、実質的にはニッチな市場にとどまっていた。しかしながら近年、インドにおける世帯収入の上位層の比率は今後急速に拡大すると見込まれており、それに伴い高価格帯医薬品への市場受容性も中長期的に大きく向上することが予測されている。これにより、新薬市場のボリュームとアクセス可能な顧客基盤がともに拡大し、従来困難であった高付加価値製品の展開可能性が着実に高まりつつある。
②製造品質
インドの医薬品製造業は、過去には品質のばらつきや規制対応の不十分さが指摘され、日本企業からは信頼性に一定の懸念が持たれていた。しかし近年、GMP準拠を含む製造および品質管理体制の整備が進展しており、国際的なコンプライアンス基準への対応力が着実に向上している。特に米国FDAによる査察対応の改善は顕著であり、品質に対する再評価が進みつつある。
③知的基盤
インドの製薬産業はこれまで、高度専門人材や知的基盤の不足が指摘されてきたが、近年、医学・薬学分野での高学歴人材やヘルスケア分野のGCC設立が増えていることから知的基盤の整備が進んでいるといえる。これはインドが単なる製造拠点から、グローバルなナレッジ拠点として活用できる可能性を示している。
こうした構造的な変化を踏まえると、日本の製薬企業にとってインド市場参入へのボトルネックは解消しつつあり、関与の在り方は再定義すべき局面を迎えている。従来は、原薬(API)調達や一部製品の輸出といった探索的なアプローチが中心であったが、今後は市場ポテンシャルを見据えた、より戦略的かつ中長期的視点に基づく展開が想定される。
例えばインド国内の製造インフラと品質水準の向上を踏まえ、原薬のみでなく製剤までの製造を一貫して担う製造統合型の進出、あるいは現地製造品を直接インド市場へ展開する市場参入型の進出が現実的な選択肢として浮上している。さらに、豊富なIT人材や研究機能との連携を活かしたグローバルR&D機能の集約など、バリューチェーン全体を担う拠点としての活用可能性も高まっている。
インド市場の変容による新たなビジネスモデルの可能性
出典:NRI分析
このように、従来は製造や調達等の一部機能に限定されていたインドの活用は、今後、研究開発・製造・販売を包括した統合型の事業展開への進化が期待される。以上を踏まえ、日本の製薬企業にとって、インド市場はグローバル戦略上の中核拠点としての重要性を高めつつあるといえる。
GCCを軸とした海外製薬企業の先行事例
実際欧米を中心とする製薬企業は既に、インドをグローバル戦略上の中核拠点の一つとして位置づけており、先行的な取り組みを進めている。多くの企業がインド国内にGCCを設置し、データ解析、創薬支援、薬事・安全性評価など、R&Dに関わる中核機能をインドで実施する動きを強めている。例えばPfizer社等のグローバル大手は、複数のGCC拠点を展開し、それぞれの機能を差別化しながら運用する体制を構築している。
加えて、インドの豊富なIT・理系人材を背景に、AI創薬やデジタルヘルスといった先端分野でも、同国を開発拠点として積極的に活用する動きが顕著になっている。こうした事例は、インドが単なるコストセービングのためのオペレーション拠点から、高付加価値機能を担う戦略的中枢として再評価されていることを如実に示している。
今後の展望/終わりに
インド市場の構造的変化と、先行する海外企業の動向を踏まえると、日系製薬企業も従来の慎重なスタンスを見直し、市場参入の在り方を再考すべき段階に来ている。今後は、製造や販売に留まらない、研究開発を含む高付加価値機能の集約と、現地市場との接続を両立する多層的な戦略構築が求められる。特に、GCCを活用する海外企業の事例に見られるように、IT人材を活用したR&D機能の展開、オペレーション変革を含む統合的な参入モデルの設計は、中長期的な競争優位の確立に向けた重要な要素となるだろう。
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