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経営役 コンサルティング事業本部副本部長 鳩宿 潤二

先日、採用担当者から「応募者のレジュメがあまりにも洗練されすぎていて良し悪しの判断が難しい」という悩みを聞いた。おそらく生成AIでの文章作成者が一定数いるのだろう。MIT Sloanの研究によれば※1、生成AIを使って作成されたレジュメは採用担当者に高く評価され、採用の可能性が8%向上すると報告されている。このような動きを受け、一部の企業では事前提出の書類審査を減らし、対面やその場での試験に注力する動きが見られる。

生成AI時代に問われる「リアル」の価値

近年、生成AIの普及に伴い、デジタルの影響力が一段と増しているが、その一方で、経営資源としての「リアル」の重要性も再評価されている。経営におけるリアルの代表的な要素は「リアルチャネル」である。リアルチャネルはこれまでも重要視されてきたが、主に企業が消費者に対して説明や相談に応じるアウトフロー、つまりプッシュ型の機能が中心であった。ただ、このプッシュ型のリアルチャネルは、ユーザーのデジタル志向の高まりや企業側のコスト対効果から縮小傾向にある。その典型例として、国内のメガバンクはコスト削減の観点から継続的にリアル店舗を減らし、デジタルチャネルにシフトしている。たとえば、2001年3月末の都市銀行本支店数は2365であったが、2023年末には13%減の2072※2になっている。
このような中で、前述のリアルタイムでの試験に注力する動きのように、情報の「インフロー(静脈)」としてのリアルチャネルの重要性や、それによる競争力の創出機会が増している。フランスのコスメ専門チェーン店セフォラは、店舗のデジタル・リアルの融合と顧客ID統合に基づく「チャネルの垣根を超えた買い物体験の統合」、いわゆる「ユニファイドコマース戦略」を先行して展開している。店舗に設置された肌チェックツール「Color IQ」により、顧客の適切なシェードマッチを抽出し、顧客自身が最適なコスメを判定できるようにしている。さらに、顧客のSNS上でコミュニティを形成し、ユーザー同士の商品の利用感想を取得することで、単なるデータではなく「顧客体験に対する反応や評価」を収集し、商品開発・プロモーションを進化させている。同社は、リアル チャネルを最大限に活用することで、このようなデータの正の循環を実現している。これらの情報は収集が難しいが故にオリジナリティの高いデータであり、商品開発やマーケティングにおいて競争戦略上重要な差別化要因となる。
このような「静脈データ」の改革には生成AIが大きくかかわっている。生成AIの進化は多岐にわたるが、その一つがマルチモーダルである。これまでの分析や機械学習では意味をなさなかった情報群が、価値あるデータとして利用できるようになった。この点からも、データ情報収集源としてのリアルチャネルの存在意義はさらに増すであろう。顧客の動線分析や購買動態から顧客の抱える背景情報の理解など、小売業界が先行している分析手法が、サービス業や金融業にも広がることは容易に想像できる。たとえば、金融機関のコンサルティング窓口で、お客様の会話内容や商品選定に関する質問内容から顧客の金融リテラシーを判定し、適切な提案を行うことが考えられる。

人的資本の活性化とAIコーチング

リアルアセットに目を向けると、実物希少財(不動産、レア資源など)の影響は増し続けているが、特に人的資本はその最たるものである。希少な人的資本を最大限に活かすにはヒト資源の投下による活性化が不可欠であるが、この分野でも生成AIの存在は無視できない。AIコーチングはすでに実用段階に入っており、相談者のパフォーマンスに基づく適切な改善提案などはヒトよりも得意になっている。その意味で、実存在(リアルアセット)としての上司や先輩は、部下や対象者との信頼関係構築や悩みへの共感、承認欲求の充足など、ヒトにしか提供できない価値の磨き上げが求められる。

デジタル技術の進化で、リアル資産価値も変化する

日本国内では約30年の静寂を破り、「金利ある世界」が近づいている。この動きは一般消費者の生活に大きな影響を与えるだけでなく、ビジネスの世界でも大きな行動変容を引き起こす。構造変化として事業再編に伴う事業アセットの見直しが予想される。米国では2016年頃からの金利上昇に伴い、M&A件数の増加が見られる。この背景には金利上昇に伴うWACC(加重平均資本コスト)の上昇もあると考えている。
事業再編では、「収益性の低い資産から高い資産への入れ替え」による企業価値向上が要諦である。30年前とは異なる次元でのデジタル技術進化を受け、ここで述べたようにリアルのビジネス資産の価値も大きく変容している。生成AIをはじめとするテクノロジーの環境変化と自社ビジネスへの適用可能性を吟味して、リアルな資産価値を再考し、リアルならではの価値の真贋を見抜くことが求められる。これこそが、今後も続く大きな環境変化を追い風にするために、経営リーダーに求められる視点の一つであろう。

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NRIオピニオン 知的資産創造

特集:消費財業界が立ち向かうVUCAの時代における収益性

プロフィール

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    鳩宿 潤二

    経営役 コンサルティング事業本部副本部長

    兼 金融ITイノベーション事業本部副本部長

    

    東京工業大学 計算工学専攻 修了
    University of Michigan Business School 修了。
    2000年にNRI入社。
    コンサルティング事業本部に入社後、営業開発部(新規ソリューションビジネス開発部署)、MBA留学を経て、2018年 金融コンサルティング部長に就任。
    金融機関における、マーケティング、事業戦略、新サービス立上、事業会社における、金融サービスの立ち上げ・導入支援などを担当。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。