
経営役 デジタルトラスト基盤事業本部 副本部長 小林 賢治
先端の人工知能が、世界の主要な基本ソフトや業務用ソフトに潜む未知の欠陥を人間の手を借りずに次々と見つけ出し、それを突く攻撃の手口まで自力でつくり上げてしまう。少し前まで空想に近かったこの能力が、現実のものとしてあらわになった。
機械の速度が人間の速度を超えた先
専門家の検証によれば、こうした力は、文章を読み、考え、コードを書くという人工知能の汎用的な賢さが高度に伸びていけば、その延長線上に自然と備わってくるものだという。何か特殊な目的のために設計されたものではなく、賢さそのものの帰結である。つまりこの流れは、誰かが意図して押しとどめられる類いのものではないことを意味する。
私たちが直面しているのは、単なる新しい脅威ではない。これまでは、欠陥が見つかり、攻撃がつくられ、被害が広がるまでにはいくらかの時間の猶予があった。その間に人間がそのことに気づき、手を打つことができた。ところが攻撃も防御も機械の速さで進む世界では、人間が報告を受け、会議で検討し、対策を承認するという、これまで当たり前だった手順がそもそも間に合わなくなる。技術が刻む時間が、人間が考え、合意するために必要な時間を一瞬にして追い抜いてしまったのである。
私たちが直面しているのは、単なる新しい脅威ではない。これまでは、欠陥が見つかり、攻撃がつくられ、被害が広がるまでにはいくらかの時間の猶予があった。その間に人間がそのことに気づき、手を打つことができた。ところが攻撃も防御も機械の速さで進む世界では、人間が報告を受け、会議で検討し、対策を承認するという、これまで当たり前だった手順がそもそも間に合わなくなる。技術が刻む時間が、人間が考え、合意するために必要な時間を一瞬にして追い抜いてしまったのである。
近代の秩序を揺るがす時間軸の矛盾
ここで気づかされるのは、私たちが2つの異なる時間を生きているという事実である。1つは機械が刻む時間。ミリ秒を単位とし、休むことなく、ひたすら速さだけを競う。もう1つは人間の時間。考え、迷い、誰かと言葉を交わし、納得して初めて前に進む。遅く、途切れがちだが、意味を醸成するための時間だ。
近代という時代は、いわば人間の時間を基準にして築かれてきた。制度も組織も意思決定のプロセスも、人が考え語り合うのに要する時間を前提に設計されている。報告し、議論し、合意するという手順が成り立っていたのは、世界がおおむね人間の速度で動いていたからにほかならない。ところが、機械の時間がそれを追い抜いた今、その静かな前提が崩れ始めている。私たちが直面しているのは一過性の混乱ではなく、人間の時間を基準としてきた世界そのものの、時間の地殻変動なのである。
ここで多くの専門家は、ならば人間も意思決定をもっと速くせよと説く。判断を機械に委ね、組織を機械の時間に同調させよ、と。その方向そのものは正しい。現場の防御を機械の速さに引き上げなければ、立ち行かないのは確かである。けれども、人間の時間をすべて機械の時間に明け渡してしまえば、何が起きるだろうか。社会や組織が速くなればなるほど、私たちはかえって時間に追われ、立ち止まって考える余裕を失っていく。速さを増すこと自体が自己目的となり、何のために速めるのかという問いが置き去りにされる。
近代という時代は、いわば人間の時間を基準にして築かれてきた。制度も組織も意思決定のプロセスも、人が考え語り合うのに要する時間を前提に設計されている。報告し、議論し、合意するという手順が成り立っていたのは、世界がおおむね人間の速度で動いていたからにほかならない。ところが、機械の時間がそれを追い抜いた今、その静かな前提が崩れ始めている。私たちが直面しているのは一過性の混乱ではなく、人間の時間を基準としてきた世界そのものの、時間の地殻変動なのである。
ここで多くの専門家は、ならば人間も意思決定をもっと速くせよと説く。判断を機械に委ね、組織を機械の時間に同調させよ、と。その方向そのものは正しい。現場の防御を機械の速さに引き上げなければ、立ち行かないのは確かである。けれども、人間の時間をすべて機械の時間に明け渡してしまえば、何が起きるだろうか。社会や組織が速くなればなるほど、私たちはかえって時間に追われ、立ち止まって考える余裕を失っていく。速さを増すこと自体が自己目的となり、何のために速めるのかという問いが置き去りにされる。
経営者が引くべき「速さ」と「静止」の境界線
ドイツの社会学者ハルトムート・ローザは、これこそが現代の逆説だと論じている。すべてが猛烈に加速しているのに、社会の深部はかえって停滞し、進んでいるようでいて実はどこにもたどり着いていない、と。速さそのものが目的になったとき、組織は猛烈に動きながらも行き先を見失うのである。
だとすれば、経営に求められるのは、ただすべてを速くすることではない。2つの時間を見極め、どこを機械の速さに委ね、どこを人間の時間として守り抜くのか、その境界を引くことである。一瞬の遅れも許されない防御は、ためらわず機械に託してよい。むしろ、人間がいちいち口を挟むことが、かえって危険を招く領域すらある。
しかし、自社が何を最も大切に守るのか、どの危険までなら引き受け、どこで踏みとどまるのか。こうした問いは、いかに時間がかかろうとも、人間の時間に委ねるべき領域であり、速さにとらわれて機械に明け渡してはならない。境界を引くとは、速い領域と遅い領域とを意識して使い分けることにほかならない。
だとすれば、経営に求められるのは、ただすべてを速くすることではない。2つの時間を見極め、どこを機械の速さに委ね、どこを人間の時間として守り抜くのか、その境界を引くことである。一瞬の遅れも許されない防御は、ためらわず機械に託してよい。むしろ、人間がいちいち口を挟むことが、かえって危険を招く領域すらある。
しかし、自社が何を最も大切に守るのか、どの危険までなら引き受け、どこで踏みとどまるのか。こうした問いは、いかに時間がかかろうとも、人間の時間に委ねるべき領域であり、速さにとらわれて機械に明け渡してはならない。境界を引くとは、速い領域と遅い領域とを意識して使い分けることにほかならない。
境界を引いた先に残る「信頼」を担保する人間の本質的役割
そして、ここにもう一つ、見落としてはならない視点がある。どれほど精緻な仕組みを築いても、その仕組み自体が信頼に値するかどうかは、仕組みの内側からは決して証明できないということだ。これは数学者クルト・ゲーデルが100年近く前に明らかにした不完全性定理にも通じる。自らを完全に検証できる体系は存在しないのである。つまり、どれほど高度な機械であっても、それ自身で自らの正しさを担保することはできない。だからこそ、その判断を信じて社会に送り出すという「信頼の付与」だけは、体系の外に立つ人間に残される。その一点まで明け渡してしまえば、もはや人間に残されるものは何もない。
経営者の仕事とは、速さを競うことではなく、機械に委ねてよいものと人間が引き受け続けるべきものとを見分けることにあるのだと思う。そしてその見分けこそ、機械には決して肩代わりできない、人間の時間にのみ属する営みなのだ。加速する時代にあって、最も価値ある経営判断は、しばしば、あえて立ち止まる勇気の中にある。
経営者の仕事とは、速さを競うことではなく、機械に委ねてよいものと人間が引き受け続けるべきものとを見分けることにあるのだと思う。そしてその見分けこそ、機械には決して肩代わりできない、人間の時間にのみ属する営みなのだ。加速する時代にあって、最も価値ある経営判断は、しばしば、あえて立ち止まる勇気の中にある。
プロフィール
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小林 賢治のポートレート 小林 賢治
経営役
デジタルトラスト基盤事業本部 副本部長
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。