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木内登英の経済の潮流――「デフレ脱却」とは何か?

金融ITイノベーション事業本部  エグゼクティブ・エコノミスト  木内 登英

「デフレ」とは何か?「デフレ脱却」とは果たして何を意味するのか?それらが明確に定義されないまま重要な政策目標と位置付けられてきたことが、今後混乱を生んでしまうことが懸念されます。

 

「デフレ脱却宣言」の可能性は小さい

 

11月16日に開かれた経済財政諮問会議では、以前から政府がデフレ脱却の判断に利用してきた4つの指標が全てプラスに転じたことから、内閣府は「デフレ脱却に向けた局面変化」がみられるとしました。これを受けて、政府が近い将来に「デフレ脱却宣言」をおこなうとの観測や、さらにそれが日本銀行の金融政策の正常化に道を開く、との観測も一部に浮上しています。

しかし実際には、政府が近い将来に「デフレ脱却宣言」をおこなう可能性は小さいと思われます。確かに政府が「デフレ脱却宣言」をすれば、政権発足以来の経済政策の成果をアピールできる、といった政治的なメリットはあるでしょう。しかし現状は、経済的な恩恵を十分に享受できてないと考える国民が依然として多数派でしょうから、この「デフレ脱却宣言」に反発し、政治的にはむしろマイナスとなってしまう可能性もあります。

「デフレ脱却」というスローガンを掲げることは、政府が、国民のいわば敵に敢然と立ち向かう姿をアピールし、政治的な求心力を高める手段、という面があるように感じられます。そうであれば、「デフレ脱却宣言」をせずに、政府はデフレと戦う姿を国民に見せ続ける方が、政治的にはプラスなのかもしれません。

 

敢えてデフレを明確に定義しない

 

このように、デフレ局面についての政府の判断は、経済情勢に関する国民の評価や、その時点での政治情勢といった様々な要素を考慮しながら、戦略的に示していくものであるように思われます。こうした点から、デフレを明確に定義しない方が柔軟な判断をすることができ、政治的には得策であるとも言えるでしょう。

しかし2013年1月の「政府・日本銀行の共同声明」では、政府と日本銀行がデフレ脱却に向けて、それぞれできることをすると約束しています。日本銀行は2%の物価安定目標を掲げて、積極的な金融緩和を通じてその達成を目指す考えを表明しました。他方、政府は財政健全化と成長戦略の遂行を表明したのです。これは、明確に定義されていないデフレ脱却という政治スローガン的なものに、日本銀行が巻き込まれていったことを意味したと言えるのではないでしょうか。

 

政府と日本銀行の政策協調を見直すことが必要に

 

消費者物価上昇率が現状のように2%を大幅に下回る状態が続く中で、将来、政府が「デフレ脱却宣言」を実施したらどうなるでしょうか。それでも日本銀行は、自らが設定した2%の物価安定目標の位置づけを修正しない限り、異例の金融緩和を継続することになるでしょう。しかしそうした政策姿勢は、もはや政府からも国民からも支持されるものではなくなってしまいます。「政府・日本銀行の共同声明」で確認した政府と日本銀行の政策協調は、崩れてしまうのです。

こうした点を踏まえると、政府と日本銀行の政策協調のあり方を示した「政府・日本銀行の共同声明」を見直すことが必要ではないかと思います。その際には、「デフレ脱却」といった、定義されない不明確な目標ではなく、国民生活の満足度をさらに高めるためには具体的にどのような施策が有効であり、それを担うのは政府なのか日本銀行なのか等についても、しっかりと議論し明記することが重要でしょう。

 

 

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前日銀審議委員が考えに考え抜いた日本改革論

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プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。