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金融ITイノベーション事業本部 エグゼクティブ・エコノミスト 木内 登英

2026年2月末に始まった中東情勢の緊迫化は、原油価格の高騰を引き起こしました。それが物価の上昇リスクと景気の下振れリスクを同時に高める中、各国中央銀行の金融政策は難しい判断を迫られ、様子見姿勢を続けてきました。しかし、6月11日にはECB(欧州中央銀行)が2023年9月以来となる0.25%の政策金利引き上げ(利上げ)に踏み切りました。また、6月16日には日本銀行も利上げを実施する可能性が高まっています。さらに雇用情勢の改善を受けて、FRB(米連邦準備制度理事会)についても、年内に利上げに転じるとの市場見方が一部浮上しています。原油価格の高騰に対して、各主要中央銀行は利上げ方向での反応を揃って見せ始めています。

供給ショックに対して中央銀行は様子見が定石

一般に、中央銀行の金融政策は、政策金利の調整で需要に働きかけ、それを通じて経済と物価の安定を確保するというのが伝統的な考え方です。需要が強すぎることで物価上昇率が上振れ、それが経済の安定を損ねる懸念が高まる局面では、中央銀行は政策金利を引き上げて需要を抑えて、物価の安定回復を図ります。
しかし、物価上昇率の上振れが需要の強さではなく、関税率の引き上げ、円安による輸入物価上昇、そして今回のような原油価格高騰といった供給ショックによって引き起こされる場合には、中央銀行の金融政策対応は一気に難易度が高まります。
中央銀行が利上げを行っても、物価高の原因である原油価格を下げることはできません。また、原油価格高騰が景気を悪化させる可能性がある中、利上げがそうした傾向をさらに後押しする結果となってしまうことも考えられます。
したがって、原油価格高騰といった供給ショックが生じた際には、物価の上振れリスクと景気の下振れリスクのどちらが大きいかを見極めるため、中央銀行はしばらく政策変更を見送り、様子見をするのが定石と言えます。今回も、主要中央銀行は様子見姿勢を続けてきました。

「2次的波及効果」に注目

原油価格の高騰は物価を押し上げますが、その直接的な影響は一時的なものです。しかし中央銀行は、その一時的な影響がきっかけとなり、より持続的な物価上昇率の上振れにつながる可能性を警戒します。それが、「2次的波及効果」のメカニズムです。
第1が賃金上昇率の上振れ、第2が中長期の予想物価上昇率の上振れです。原油価格の高騰が製品価格の上昇を引き起こし、それが賃金上昇率の上振れにつながれば、賃金と物価のスパイラル的上昇が生じ、持続的な物価上昇率の上振れへと発展する可能性が出てきます。
また、原油価格の高騰が企業や家計の中長期の予想物価上昇率を上振れさせれば、企業によるコスト上昇の製品価格への転嫁を容易にし、持続的な物価上昇率の上振れにつながる可能性が出てきます。
伝統的に、こうした「2次的波及効果」を警戒する傾向が強いのが、欧州の中央銀行です。そこで今回も、ECBが主要中央銀行の中で先陣を切って利上げに踏み切ったのです。

第1次オイルショック時の経験と「ビハインド・ザ・カーブ」に陥るリスク

中東情勢の緊迫化が経済に与える影響は、欧米と日本とでは異なります。原油価格が高騰し、経済と物価に打撃を与える点は共通していますが、ホルムズ海峡を通じた原油調達への依存度が高い日本などアジア諸国では、海峡の事実上の封鎖が長期化すれば、先行き、深刻な原油不足に陥るリスクがあります。そうしたサプライチェーンの大規模な混乱が生じれば、景気の下振れリスクは甚大なものとなります。
その可能性は必ずしも高くはないと思いますが、そうしたリスクも考慮に入れて、日本銀行は金融政策を決める必要があります。欧米以上に、日本の金融政策決定は慎重さが求められると言えるでしょう。
原油価格高騰への日本銀行の対応を考える際に、1970年代の第1次オイルショック時の経験がしばしば注目されます。当時の対応については、日本銀行の利上げが遅れ、賃金と物価のスパイラル的上昇を許してしまった、との指摘もあります。
しかし、日本銀行の植田総裁は、こうした見方を否定しています。日本銀行が5月27日に開催した国際コンファランスで植田総裁は、第1次オイルショック後に生じた物価上昇率の上振れは、日本銀行の原油価格高騰への対応が遅れた結果、つまり金融政策が後手に回ってしまう「ビハインド・ザ・カーブ」に陥ったことによるものではない、との考えを示しました。そして、原油価格の高騰が賃金・物価のスパイラルを通じた持続的な物価上昇率の上振れにつながるかどうかは、初期条件、つまり原油価格の高騰が生じる前の賃金・物価環境に左右される、と説明しています。
第1次オイルショックが生じる前に、既に賃金・物価のスパイラルは生じており、その段階で日本銀行の利上げが遅れていたことが問題である、との認識を示しました。
一方で植田総裁は、近年の経済動向について「1970年代前半のような賃金・物価スパイラルは起きていません」、「中長期の予想物価上昇率は、(中略)長期的に陥っていたゼロ近くの水準から1.5~2%台へと緩やかに上方シフトしたのみです」と第1次オイルショック時との違いを強調しました。
そのうえで、「中央銀行は原油価格を単独でみるべきではない」として、原油価格の高騰のみを受けて拙速に利上げを判断してはいけないとの考えを滲ませました。

植田総裁発言の急変に違和感

ところが、この国際コンファランスから1週間後の6月3日の講演会で、植田総裁は金融政策運営について全く異なる印象を与える説明をしました。6月の金融政策決定会合については、利上げの見送りから一転して利上げの実施を強く示唆するメッセージを送ったのです。それは、例えば以下のような発言から読み取れます。
「現在のわが国は、他の主要国や過去のわが国と比べても、原油高を起点とする物価上昇の『2次的波及効果』が基調的な物価の上振れに繋がりやすい状況にあり、日本銀行としても、このことを前提に、今後の政策を判断していく必要があると考えています」、「物価上昇は一時的なものにとどまらず、基調的な物価上昇率が上振れていくリスクも意識せざるを得ない状況です」。
植田総裁の発言が、このようにわずか1週間で大幅に変わったことには強い違和感があります。ただし、植田総裁を含めた執行部は、本音のところでは、先の国際コンファランスで植田総裁が示した考え方に基づき、依然として早期の利上げに慎重な姿勢なのではないかと推察されます。

非執行部の主導で政策変更が行われる初めてのケースか

ところが、日本銀行の政策委員会内の非執行部、つまり総裁、副総裁以外の審議委員らの見解は異なると見られます。利上げの見送りを決めた前回4月の金融政策決定会合では、3人の審議委員が利上げを主張して、利上げ見送りの議長案に反対票を投じました。さらにその後の講演では、別の2人の審議委員も早期の利上げに前向きな発言をしています。
現時点で採決を行えば、議長である総裁が利上げ見送りの議長案を提出しても、9人の政策委員のうち5人の審議委員が利上げに賛成し、多数決で利上げが決まってしまう可能性が十分に考えられる状況です。
そうした可能性が高まると判断すれば、総裁は議長案を利上げ見送りから利上げへと差し替え、議長案が否決されるといった不名誉な事態を回避しようとするかも知れません。総裁の発言が短期間で大きく修正された背景には、こうした事情があるのではないかと推察されます。
仮にそうであれば、非執行部が主導する形で政策変更が決まる、新日本銀行法のもとでは初めての歴史的ケースとなるでしょう。6月に利上げを実施することの是非は別にして、多数決で政策が決まることは、合議制という民主主義的な日本銀行の政策決定制度が機能したことの表れと評価できます。
ただし、このような形で利上げが実施されると、利上げを歓迎しないとみられる政府と日本銀行との関係が悪化してしまうことが懸念されます。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。