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金融ITイノベーション事業本部 エグゼクティブ・エコノミスト 木内 登英

原油価格の高騰にもかかわらず、日本銀行の短観(6月調査)で示された企業の収益環境と景況感は予想以上に良好でした。企業の川下への価格転嫁が円滑に進んでいることがその理由の一つと考えられます。そのため、川下の消費者物価はこれから年末にかけて本格的に上昇し、個人消費に打撃を与えることが予想されます。また、この先円安が進めば、物価の安定はさらに後ずれしていきます。
さらなる円安の回避には、政府と日本銀行とが強く連携することが必要です。また政府には、先行きの財政が大きく悪化するとの金融市場の懸念を払拭する取り組みも求められます。

進む企業の価格転嫁と個人消費への打撃

日本銀行は7月1日に、短観(6月調査)を発表しました。前回の3月調査ではまだ明確には確認できなかった中東情勢の緊迫化、原油価格の高騰が、企業の景況感にどのように影響を与えたかが最大の注目点でした。
事前には悪化が予想されていた大企業製造業の業況判断DI(現状)は5ポイントの改善、大企業非製造業の業況判断DI(現状)は1ポイントの改善となりました。原油価格の高騰によるコスト増で、景況感が大幅に悪化することが予想された石油・石炭製品、化学、電気・ガスの景況感は、それぞれ事前予想を上回りました。
企業の景況感が予想以上に良好であった背景には、AIブームの追い風や、6月に入ってからの中東情勢の改善、原油価格の下落の影響が反映された可能性が考えられます。加えて、企業がコスト上昇分を比較的円滑に川下に価格転嫁しており、それが企業収益の悪化を回避させた面もあると考えられます。
製造業の価格判断DIで、仕入れ価格判断DI(現状)は前回比で16ポイントと大きく上昇しましたが、販売価格判断DIも前回比で12ポイントと大きく上昇しており、企業がコスト上昇分を円滑に販売価格に転嫁している姿がうかがえます。その結果、原油価格上昇の影響は企業収益で吸収されるのではなく、最終的に消費者に転嫁される割合が高まったと考えられます。
現状の業況判断DIは予想よりも良好でしたが、先行きの業況判断DIについては、個人消費関連の食料品、小売、対個人サービス、宿泊・飲食はいずれも大きく悪化しています。今後の注目点は、原油価格上昇による企業収益の悪化への影響から、価格転嫁が進むことによる消費者物価の上昇とそれが個人消費に与える悪影響へと移ってくると思われます。

消費者物価上昇は7月から本格化か

6月には米国とイランとの間で戦争終結の最終合意に向けた覚書が締結されるなど、中東情勢には改善の方向が見られます。それを受けて一時1バレル100ドルを上回っていたWTI原油先物価格は、足もとでは1バレル70ドル前後にまで大幅に低下しています。
ホルムズ海峡の封鎖が長期化し、日本で原油、ナフサの調達が行き詰まることで日本経済が深刻な打撃を受けるリスクを企業は警戒してきましたが、その可能性は低下してきています。しかし、足もとでの原油価格の下落とは対照的に、国内での日用品、食料品の価格には、それ以前の原油価格の高騰の影響が遅れて表れるため、価格の上昇はこれから本格化するでしょう。
4月以降、ごみ袋、包装材、シンナー、塗料、医療品などの価格高騰が見られました。6月にはゴム製品であるタイヤの価格も上昇が目立ちました。7月以降は値上げの動きがナフサ由来の製品を中心に、さらに広がりを見せ、洗剤、シャンプー、化学繊維を用いた衣料品、各種プラスチック製品の価格上昇が目立ってくることが予想されます。
11月以降には、国民は原油価格の下落を受けた物価情勢の安定を徐々に確認できるようになると予想します。しかし、ごみ袋など一部の製品を除けば、価格の水準が低下する可能性は低く、あくまでも物価上昇率の低下にとどまるでしょう。

円安によって歴史的な物価高の沈静化が後ずれするリスク

ところで、今年1月から5月まで、消費者物価上昇率(除く生鮮食品)は前年同月比1%台を続けており、過去数年にわたる歴史的な物価高には一巡感がみられています。ガソリン暫定税率の廃止、電気ガス補助金といった一時的な物価押し下げ要因によるところもありますが、それに加えて、円安を受けた食料品などの値上げの動きが鈍化し始めたことによる点も大きいと考えられます。
ドル円レートは2022年年初の1ドル115円程度から、2024年には1ドル160円程度にまで円安が進みましたが、その後はさらなる円安には歯止めが掛かっていました。そのため、2026年に入ってからは、円安を受けた食料品などの値上げの動きが鈍化し始めたものとみられます。
その直後に生じたのが、中東情勢の緊迫化を受けた原油価格の高騰です。先述したように、7月から10月頃にかけてはナフサ由来の製品を中心に、物価上昇が本格化し、その後、年末にかけては再び物価の安定がみられ始めると考えられます。しかし、円安がさらに進めば、物価上昇圧力は再び強まり、歴史的な物価高が沈静化する時期が後ずれして、個人消費への打撃がより長く続くことになってしまうでしょう。
円安が進めば、輸入品の価格が上昇し、国内の物価上昇率が高まります。一方で、物価高は、通貨の価値を薄めてしまうことから円安要因となります。その円安がさらに物価高を生じさせるという形で、円安と物価高との間の連鎖が生じており、それが過度な円安が長期化している主な理由だと考えられます。

10%の円安で物価は0.27%上昇、家計負担増は年間1万2千円に

内閣府の「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」によると、10%の円安は物価(個人消費デフレータ)を3年間で累積0.27%押し上げます。
一方、家計調査統計によると、4人世帯の2025年の消費支出は、年間で447万4,932円です。10%の円安によって物価が0.27%上昇(高止まり)する場合、同じ消費行動を続けても消費支出額は毎年0.27%分だけ増加する計算です。それを、この物価高止まり、円安による家計負担増と考えると、金額は年間1万2,082円となります。
円安に弾みがつく場合には1ドル170円程度まで円安が進む可能性を当面は見ておきたいと思いますが、仮にドル円レートが1ドル160円から170円に6.3%円安が進む場合には、先の10%の円安による影響度(0.27%)をベースに比例計算すると、年間の家計負担増は7,551円となります。
さらに、急速な円安が始まった2022年年初の1ドル115円程度から足もとの1ドル160円程度までの39.1%の円安によって、家計の負担は4万7,241円増加した計算となります(2022年以降円安が進まなかった場合と比較した際の、年間家計負担増)。
このように、最近の円安は、家計の大きな負担となっています。円安がさらに進む場合には、その負担は一段と増加し、原油高の影響と併せると、食料品の消費税率引き下げなど物価高対策によっても容易に相殺できなくなる可能性が考えられます。

財政悪化懸念が高める円安リスク

4月末から1か月の間に、政府は約11.7兆円という巨額のドル売り円買い介入を実施しました。しかしそれによる円安修正効果は長くは続きませんでした。
政府は近い将来に、再びドル売り円買い介入を実施する可能性は比較的高いとみられますが、それでも円安に歯止めを掛けることができるかどうかは不確実です。悪いケースでは、1ドル170円程度まで円安が進み、政府が想定しているとみられる防衛ラインが、1ドル160円程度から170円程度へと、10円程度後退を余儀なくされる可能性もあるのではないかと思います。
足もとで目立ったドル高円安要因となっているのは、FRB(米連邦準備制度理事会)の利上げ観測です。それに加えて、日本政府の政策についての金融市場の観測も、円安リスクを高めている面があると思われます。それは、日本銀行の利上げ牽制への観測と財政悪化の懸念です。
政府が毎年策定する経済・財政政策の基本方針である骨太の方針の原案に、日本銀行の利上げを牽制する趣旨にも読める内容が入ったことで、金融市場は日本銀行の利上げが後ずれするとの観測を強め、円安圧力を生じさせました。
さらに、政府は食料品の消費税率引き下げや戦略17分野の官民投資を進める方針を示す一方、その財源についての具体的な説明がなされていないことや、財政健全化目標を見直す方針であることなどを受けて、金融市場では先行きの財政悪化懸念が高まり、円安が進んでいる面もあると考えられます。
政府は為替介入あるいは口先介入で円安を食い止めようとする一方、このような政策姿勢によって自ら円安リスクを高めてしまう、といったやや矛盾した行動を見せているようにも感じられます。

円安阻止に向けて政府と日本銀行が緊密に連携できるか

一般に、政府による為替介入の規模は為替市場の取引量全体と比較すると小さいことから、為替介入によって為替市場の方向性に大きな影響を与えることは難しいと考えられます。為替介入は、それによって時間を稼いでいる間に、経済ファンダメンタルズが変化して為替が望ましい方向に動くことを期待する、「時間を買う」政策と言えます。
ただし、政府の為替介入と日本銀行の金融政策が緊密に連携する場合には、円安阻止に一定の効果を発揮できるものと考えられます。しかし、高市首相は、先般の衆院選で円安のメリットを強調した発言をしたこともあり、円安を食い止める強い意志を持っていないのではないか、と金融市場では受け止められているようです。一方、景気への悪影響を警戒して日本銀行の利上げを牽制している、との見方も根強くあります。
そのため、現在は、円安阻止に向けて政府と日本銀行が緊密に連携できる環境にはないと金融市場が考えていることが、円安の流れを後押ししている面もあるように思います。
円安阻止に向けては、政府が財政健全化の方針を重視し、財政政策運営で市場の信認を高めるように努めること、日本銀行の金融政策を尊重し、為替市場の安定に向けて緊密に連携していくことが重要でしょう。国民生活の安定の観点からは、こうした取り組みを通じてさらなる円安の進行を回避し、過去数年にわたる円安と物価高の連鎖を徐々に沈静化させていくことが求められます。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。