投資家に高く評価される一流のエコノミストを目指して、厳しい競争を潜り抜け、経済予測や日本銀行での金融政策決定などに従事してきた木内登英。多数派の意見に流されずに、正しいと思うことを堂々と世に問う姿勢や信念は、どのように培われたのでしょうか。
エコノミストとしてキャリアを積み、国の政策決定にも関与
私は1987年に野村総合研究所(NRI)に入社以来、基本的にエコノミストの道を歩んできました。日本経済の分析・予測チームに在籍した後、1990年にドイツに駐在してヨーロッパ経済を、1996年からはニューヨークでアメリカ経済を担当しました。2002年に帰国後、2004年に野村證券に部署ごと転籍。金融経済研究所経済調査部で部長兼チーフエコノミストを務めました。
2012年に日本銀行政策委員審議員に就任しました。これは、一般企業の取締役会メンバーに相当するもので外部人材が登用されます。私は長年、経済見通しを立てる仕事をするうちに、投資家のためだけでなく、もっと幅広い人に貢献する仕事がしたい、それができるのは政策に関わる仕事だろうと考えるようになっていました。ですから、声をかけていただいたときには、すぐに承諾しました。
5年間の任期の中で、金融政策や重要な業務案件の意思決定に携わりました。そして2017年7月に古巣のNRIに戻り、現在は金融ITイノベーション事業本部でエコノミストとして活動しています。
通貨統合の裏には、経済合理性を超えた歴史的な信念があった
キャリアの中で、エコノミストとしての私の考え方に大きな影響を与えたのが、2回にわたる海外駐在時の出来事です。最初の赴任地では、1990年7月の東西ドイツの経済・通貨統合の歩みを間近で見守ることになりました。東西間で経済的な壁がなくなり、通貨が統一され、そこから東ドイツがどのように立ち直るのか。西ドイツがどう経済復興を助けるのか。問題は山積し、西ドイツの住民には増税などの負担が重くのしかかりました。一時は東・西の関係が悪化する局面もありましたが、最終的にかなりスムーズに進んでいったように思います。
ドイツ赴任の後半では、イギリスやイタリアで通貨危機が起こりました。ヨーロッパの通貨制度が崩れ、統一通貨を作ろうとする動きが出てきたのです。通貨を統合すれば、どの国も失うものがあります。特にドイツは、信頼性の高いマルクや金融政策の決定権を手放さなくてはなりません。得るものが少ないのに、なぜ統一に向かっていくのかと、私も最初の頃は懐疑的に見ていました。けれども、二度と戦争を起こさないという平和に向けた強い決意を持ち、欧州統合という理念に立って、通貨統合はやり遂げられました。そこには、ドイツ特有の過去の歴史に基づいた信念があり、非常に印象深い経験となりました。
国民性が現れる、国家にとっての非常事態後の経済動向
次の赴任地のニューヨークでは、2001年に同時多発テロに遭遇しました。私は事件当日、ワールドトレード・センター近くの高層ビルの中におり、飛行機が突っ込む様子を目の当たりにしました。真昼なのに辺りが粉塵で真っ暗になり、ビルに閉じ込められ、その後の混乱にも巻き込まれ、本当に大変な経験でした。
通常勤務に戻った時点で、経済見通しの改定に取り掛かりました。こうした大きな事件が起こった時には、どのように見通しを変えるかが重要です。とはいえ、エコノミストも生身の人間ですから、心理的な影響を受けて経済見通しは低くなりがちです。私はだいぶ迷った末に、翌年はマイナス成長になるという予測を出しましたが、これはあまり当たりませんでした。
この時、私の頭にあったのは1995年に起きた日本の阪神・淡路大震災時のイメージでした。あの時は6500人近い方が亡くなったため、喪に服して多くのイベントが中止となり、関西だけでなく東京地区でも消費マインドが冷え込みました。その経験をもとに、アメリカでも同様のことがおこると考えたのです。ところが、アメリカ人は消費が弱くなればテロに屈したことになると考え、消費行動を変えませんでした。さすがに飛行機やホテルの利用者は激減しましたが、企業側は飛行機代や宿泊代を大幅に引き下げ、議会も特別支出を増やす法案を一気に通過させました。こうした努力が奏功し、2001年秋以降2002年春にかけて、アメリカの景気は急回復しました。
マクロとミクロの視点を持ち、冷静さを保つ
ドイツとアメリカでの経験を通じて私が学んだのは、日本と同じ発想ではいけない。経済の分析や見通しには、その国々の国民性、気質、歴史を踏まえて考える必要があるということでした。
エコノミストとして、経済予測を立てるときには、経済統計などを用いてマクロで捉えるだけでなく、実体験やヒアリングを通じて得たミクロの情報も組み合わせることも大切です。たとえば東日本大震災のときには、私は何回も現場に足を運び、復興作業の進捗を観察し、地元住民の声を聞きました。このように大きな出来事がないときでも、経済指標のみに頼るのではなく、百貨店や店舗などに足を運び、実体験を踏まえて、複合的に経済の分析・予測をするように心掛けています。
ニュートラルな立場で積極的に情報発信をしていく
私は現在、金融政策や金融全般の分析を行い、それに基づき、講演、レポート執筆、顧客や海外投資家との面談などに取り組んでいます。コラムの執筆や雑誌への寄稿に加えて、メディアから取材を受けることもよくあります。金融政策は重要な政策ですから、偏った方向に進んでいると思うのであれば、きちんと批判すべきです。これからもニュートラルな立場で、積極的に情報発信をしていくつもりです。
以前から、形に残るものとして本を書きたいと思っていたので、今は休日になると、家の近所のカフェで本の執筆に励んでいます。NRIに戻ってからの最初の2冊は金融政策がテーマでしたが、3冊目はデジタル通貨を取り上げています。ブロックチェーンの仕組みなどは専門外ですが、通貨に対する考え方であれば、これまでのバックグラウンドや知見を重ね合わせることができます。今後はできる限り時間を捻出して、NRIの事業に近いテーマも含めて幅広く取り上げ、考えを深めていければと思っています。
エグゼクティブ・エコノミスト
木内 登英
Profile
- 1987年 野村総合研究所に入社
経済研究部・日本経済調査室に配属され、以降、エコノミストとして職歴を重ねる。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の政策委員会審議委員に就任。5年の任期の後、2017年7月より現職。
著書に、「異次元緩和の真実」(日本経済新聞出版社)などがある。
活動実績
-
2024/10/04
石破首相の所信表明演説:デフレ脱却最優先と金融政策
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/04
ハリケーン『へリーン』は米大統領選挙の『オクトーバー・サプライズ』になるか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/03
石破首相が所信表明へ:岸田路線の継承が鮮明に:日銀利上げへの慎重発言と円安の影響
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/03
石破首相と植田日銀総裁の初会談
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/03
イランがイスラエルに報復攻撃:報復の応酬にエスカレートするか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/02
赤沢・新経済再生担当相が日銀の利上げに慎重姿勢
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/02
米大統領選前にオクトーバー・サプライズはあるか?:イスラエルのレバノン地上作戦など地政学リスクにも注意
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/10/01
人手不足が強まる中でも円高が物価を抑制(9月短観):日銀の追加利上げへの慎重姿勢を後押しか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/30
週明け後の『石破ショック』の余波と早期の解散総選挙
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/30
石破新政権の人事案:刷新感よりも安定感重視か:経済政策は岸田路線継承とアベノミクス脱却のパッケージ
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/30
金融市場の「石破ショック」は一時的:石破新総裁は経済政策で岸田路線継承を表明
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/27
自民党新総裁に石破氏が選出:地方創生を中核に据えた成長戦略の推進に期待:財政・金融政策の正常化も後押しか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/27
物価高対策で下振れる9月東京都区部CPI:基調的物価上昇率は2%割れが続く:追加利上げの後ずれ要因に
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/27
ハリス氏が追加の経済政策を発表:中国に勝つための先端産業支援
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/27
自民党総裁選での経済政策論争⑧:賃上げ
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/26
9月短観の見通し:日銀は円高の経済・物価への影響を注視:追加利上げへの慎重姿勢が強まる可能性も
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/26
自民党総裁選での経済政策論争⑦:規制改革
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/26
自民党総裁選での経済政策論争⑥:労働市場改革
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/25
自民党総裁選での経済政策論争⑤:社会保障制度改革
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/25
自民党総裁選での経済政策論争④:増税策と減税策
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/25
自民党総裁選での経済政策論争③:物価高対策
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/24
野田元首相が立憲民主党新代表に選出:総裁選後の自民党との対立軸は経済政策よりも政治改革か
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/24
自民党総裁選での経済政策論争②:貯蓄から投資へ
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/24
自民党総裁選での経済政策論争①:地域経済活性化・東京一極集中是正
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/20
年内追加利上げの可能性は後退か(日銀総裁記者会見):国内経済・物価はオントラックも米国経済の行方などを慎重に見極める時間が必要に
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/20
日銀追加利上げのペースは鈍化か(日銀金融政策決定会合):米国の動向次第で追加利上げは後ずれ:首相交代の影響も
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/20
全国8月コアCPIは4か月連続で上昇も事前予想通り:今後の金融政策を占う観点からも注目される円安修正の物価への影響
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/19
FRBが0.5%の大幅利下げで労働市場の悪化に先手を打つ:大幅利下げは米大統領選挙に影響も
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/18
高齢者の働く意欲を削ぐ在職老齢年金の見直し検討:自民党総裁選でも社会保障制度改革の議論を深めよ
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/17
一時1ドル139円50銭台まで円高が進む:米国の大幅利下げ観測は行き過ぎか?
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/17
自民党総裁選討論会:経済政策の具体的な議論は深まらず:高市氏は日銀の利上げに明確に反対
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/13
ECBは予想通りに0.25%の利下げを実施:10月の連続利下げ観測は後退
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/12
自民党総裁選告示:新政権には日本経済の潜在力向上に資する経済政策の推進を
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/12
米国8月コアCPIは予想を上回る:FRBは9月FOMCで0.25%の利下げの観測強まる
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/11
米大統領選TV討論会:ハリス氏は予想よりも健闘か
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/11
『資産運用立国実現プラン』は岸田政権が残した成果:金融所得課税強化は慎重な議論を
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/10
立憲民主党代表選で4候補が論戦
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/09
高市氏が自民党総裁選に立候補を表明:戦略的な財政出動を掲げ、日銀利上げに慎重な姿勢
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/09
9月の利下げ幅で見方が分かれる(米国8月雇用統計):米国景気減速・円高で日銀利上げは後ずれも
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/09
自民党総裁選:『小石河』有力3候補の経済政策
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/06
米大統領選挙でマイノリティからの支持獲得に課題を残すハリス陣営
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/05
日本製鉄のUSスチール買収をバイデン大統領が正式に阻止へ
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/05
実質賃金が2か月連続でプラス:総裁選でのデフレ脱却宣言の議論にも影響
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/05
次期政権に引き継がれる防衛増税:議論は迷走を続けるか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/04
再燃した日本株の大幅下落
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/04
次期政権に期待される『地方経済活性化』と『大都市一極集中の是正』:インバウンド需要を起爆剤に
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/03
規制改革と自民党総裁選:ライドシェア全面解禁が試金石に:小泉政権以来の規制改革の大きな流れを作れるか
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/09/02
膨張を続ける予算規模(2025年度予算概算要求):自民党総裁選で財政健全化を争点に
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/08/30
事前予想を上回った8月分東京都区部CPI:コメ価格高騰の影響も:日銀の追加利上げを後押しするか?
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight
-
2024/08/30
自民党総裁選ではアベノミクスの功罪の評価を
木内登英のGlobal Economy & Policy Insight