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金融庁の「金融レポート」を読む

2016/09/20

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2016年9月15日、金融庁が「平成27事務年度 金融レポート」を公表した。これは昨年同庁が公表した「金融行政方針」に基づく諸施策の進捗状況や実績等に対する評価を明らかにするものである。

筆者がとりわけ興味深く読んだのは、「国民の安定的な資産形成の促進:「貯蓄から資産形成へ」と題された節である。その内容を要約すれば、次のようになる。

日本の家計金融資産は、米国や英国と比較するとその構成が預貯金に偏っており、超低金利が持続する中、運用リターンが相当低い水準で推移している。そこで国民の中長期の安定的な資産形成を進めていくことが課題となる。その際の有力な手法となり得るのが、投資対象と投資時期を分散させた上で長期に保有する長期・積立・分散投資である。ところが家計の金融・投資リテラシーは低く、2014年から開始された少額投資非課税制度(NISA)もかなりの拡がりはみせているものの、長期・積立・分散投資には十分活用されておらず、制度自体そうした観点からは改善の余地がある。

また、国民の安定的な資産形成を進めるためには、銀行や証券会社、投資運用会社など、投資商品の開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関等が、真に顧客の利益のために行動し、質の高い金融商品・サービスを提供することが重要である。しかし、現在の投資信託や貯蓄性保険商品、ファンドラップといった商品・サービスの販売状況を検証したところでは、真に顧客本位とはいえないような販売実態があり、業績目標や業績評価の手法、営業体制などについても改善の余地がある。総じていえば、金融機関が短期的な利益を優先させるあまり、顧客の安定的な資産形成に資する業務運営が行われているとは必ずしも言えない状況にある。

金融庁は、ここ数年、家計の「ポートフォリオ・リバランス」、すなわち個人の金融資産を預貯金や国債など元本確保型商品中心の資産運用からバランスのとれたポートフォリオへとシフトさせていくことの重要性を強調してきた。高齢化が急速に進む一方、国の財政状況は厳しく、社会保障給付の大幅な拡大は難しい。とりわけ若い世代は、自助努力によって老後の生活資金を確保する必要があるとすれば、ポートフォリオ・リバランスが喫緊の課題になるというわけである。その具体的な手段が、長期・積立・分散投資だとされる。

とはいえ、日米の比較などを持ち出しながらポートフォリオ・リバランスの重要性が説かれることに対しては、過去の相場動向や金利動向を熟知する者にとっては、やや違和感もあるだろう。米国では、様々な浮き沈みを経験しながらも、20年、30年という長期では国内株式への投資がそれなりのリターンを持続的に提供してきたのに対し、日本では、バブル崩壊後長期で見ても株式投資のリターンが振るわなかったという現実があるからである。

こうした彼我の違いは無視できないとはいえ、中央銀行がマイナス金利政策をとり、超低金利が長期間続く中でインフレ期待を高めようとしていることを踏まえれば、過去の株式市場が振るわなかったからといって、元本確保型商品中心の資産構成を続けたのでは、実質的な資産の目減りが懸念されることになる。

だからこそ金融庁は、ポートフォリオ・リバランスを説くことと並行して、コーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの制定など、上場企業のガバナンス改革を推進しているのであろう。いわばガバナンス改革との合わせ技で、国民の安定的な資産形成を進めようとしているわけである。周知のように、このガバナンス改革は、「攻めのガバナンス」を通じて上場企業の収益力向上、ひいては株価の上昇を実現しようというものである。そうした政策が功を奏するのであれば、ますますポートフォリオ・リバランスの必要性は大きいということになるだろう。

「金融レポート」からは、この金融庁の目指すポートフォリオ・リバランスを阻害している大きな要因が、個人向けに金融商品の販売を行う金融機関における「フィデューシャリー・デューティー」や「顧客本位の業務運営」の欠如、あるいは不足であるという認識と危機意識が強く伝わってくる。

もちろん、金融庁は、個人向けに金融商品を販売するすべての金融機関が、顧客の利益を軽視するような経営姿勢をとっているなどと決め付けているわけではない。「金融レポート」においても、金融庁が好ましいと考える営業手法や管理手法の具体例が掲げられており、そうした「ベスト・プラクティス」が多くの金融機関によって共有されることで、個人金融資産のバランスのとれたポートフォリオへの転換が進むというのが、金融庁の期待する姿であろう。

これに対して、金融機関の経営者、現場の管理者からは、顧客の利益を踏みにじってでも利益を上げろなどとは言っていないし、難しい市場環境の下で、精一杯の取り組みを進めてきたとか、「フィデューシャリー・デューティー」といった英米法特有の概念を持ち出されても対応に困るとかいうような声も出そうである。

確かに、もともと日本とは法体系がかなり異なる英米法に由来する「フィデューシャリー・デューティー」の概念を直輸入することで、金融機関の正当なビジネスが持続できなくなるような現実離れした規制が設けられたり、「顧客本位の業務運営」の具体的な内容やそれが貫徹されることを担保するための仕組みが、事細かにルール化(場合によっては法令上の義務として)され、その「コンプライアンス」の徹底を求められることになったりすれば大きな問題である。拙速な規制の強化は避けるべきであろう。

もちろん、一部の金融機関が既に実践しているような「フィデューシャリー宣言」を高らかに行えば、それで「フィデューシャリー・デューティー」や「顧客本位の業務運営」が確立するというような単純な話では到底ない。しかし、「顧客本位」といった「姿勢」の問題は、画一的なルールとして定められるものではなく、金融機関が試行錯誤と監督当局との対話を重ねながら、次第に「ベスト・プラクティス」を見出していくという形で解決されるべきものではないだろうか。そこに一定の競争圧力が働けば、長期的には、「ベスト・プラクティス」からかけ離れた対応を続ける金融機関は顧客から見捨てられ、市場から退場していくということになるのだろう。

その点では、今回の「金融レポート」が、金融庁が金融機関によるどのような対応を望ましいと考え、どのような対応を望ましくないと考えているかをかなり踏み込んで明示していることの意義は大きい。金融機関の側では、今回のレポートを金融庁による一定の対応方法の押し付けなどと受け取ることなく、自社の業務運営を見直して行く上での参考にするとともに、当局との対話の材料とするといった姿勢が求められるだろう。

また、「フィデューシャリー・デューティー」という概念自体には、金融機関としては、あまり拘泥し過ぎない方が生産的であるようにも思われる。確かに金融庁は、ここ数年、「フィデューシャリー・デューティー」の意義を強調しながら、金融機関に対する監督と対話を進めてきた。しかし、そこで求められてきたものが、厳密な意味で、英米法上の「フィデューシャリー・デューティー」概念をそのまま適用しようとするものであったとは考えにくい。金融庁が是正を求めてきたのは、一部の金融機関に散見される、顧客の利益を少しくらい損なっても自社の利益が短期的に高まれば構わないと言わんばかりの営業姿勢やそれを是認するような経営姿勢だということなのではないだろうか。

執筆者情報

  • 大崎貞和

    大崎 貞和

    未来創発センター

    未来創発センター

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