トランプ政権は金融規制を緩和するのか
世界の注目を集めた米国大統領選挙は、大方の予想を裏切って共和党のドナルド・トランプ候補が勝利を収めた。選挙前の段階では、もしトランプ氏が当選すれば米国の株価が暴落するなど市場は混乱に陥るといった見方が強かったが、実際には、選挙後の株価は順調で、ダウ平均株価は史上最高値を更新している。
その背景には、トランプ次期大統領の経済政策に対する期待感がある。減税やインフラ投資の拡大で景気が加速するというのである。ドッド=フランク法の廃止などの規制緩和が断行され、金融機関の収益拡大につながるとの思惑も株価を押し上げている。トランプ氏の政権移行チームは、「ドッド=フランク法を解体し(dismantle)、経済成長と雇用創出を促す新たな政策によって置き換えます」とうたっているのである。
2008年の世界金融危機の経験を踏まえて金融機関に対する規制を強化したドッド=フランク法は、2010年7月に成立した。民主党のバラク・オバマ大統領率いる当時の政権が法案作成に深く関与し、議会における法案スポンサーとなったのも共に民主党のクリス・ドッド上院議員とバーニー・フランク下院議員であった。下院の採決では共和党所属議員からの賛成票は1票もなく、上院でも賛成にまわった共和党所属議員は3名にとどまった。今回の大統領選挙と同時に行われた議会選挙で、共和党は上下両院の多数を確保しており、今後、民主党政権の置き土産ともいうべき同法の見直しが本格化する可能性は高い。
トランプ氏の政権移行チームは、ドッド=フランク法が新たな規制機関を創設し、複雑なルールを導入したことで、中小金融機関が規制遵守のコスト負担に苦しみ、景気拡大を妨げていると批判する。確かに同法は、法律自体が16編、848頁という膨大で複雑なものであるだけでなく、証券取引委員会(SEC)をはじめとする規制機関が制定すべきルールの数も240以上にのぼる。「官僚的繁文縟礼(bureaucratic red tape)」という移行チームの指摘にうなずく人は多いだろう。
だからといって、今後の見直しが、いま言われているようなドッド=フランク法の全面的な「廃止」や「解体」に直結するのかというと、事はそれほど単純ではないと言わざるを得ない。そもそも同法やそれに基づくルールをすべて廃止して2010年以前の状態に単純に復帰することは事実上困難なのである。
まず、ドッド=フランク法の中には、米国の政府・議会だけの判断で導入されたとはいえない、G20による国際的な合意に基づく新たな規制が含まれる。その代表的な例としては、店頭デリバティブ取引に対する規制、ヘッジファンドに対する規制、資産証券化プロセスに対する規制などを挙げることができる。もちろん、これらについても、国際法上拘束力のある条約が締結されたわけではないので、法的な議論としては、米国独自に改廃可能である。とはいえ、G20の議論自体、米国が欧州連合(EU)とともに主導したという経緯を考えれば、一方的な見直しに動くことは政治的に極めて難しいと言えるだろう。
他方、ドッド=フランク法の中には、単純に廃止すれば従来トランプ氏やその支持者が展開してきた主張にそぐわない結果を招きかねないような規定も含まれる。移行チームは、ドッド=フランク法が制定された結果、「巨大銀行が更に巨大化した」とか「納税者は『大きすぎて潰せない』とされる金融機関を救済させられるという厄介な立場に置かれたままだ」などと指摘している。こうした主張からは、トランプ氏や移行チームが、大手金融グループの収益性を高めるような政策には否定的であることがうかがわれる。
この点で注目されるのは、ドッド=フランク法の主要な柱の一つである、いわゆる「ボルカー・ルール」の取扱いである。同ルールは、銀行や銀行持株会社によるヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンドへの投資や顧客向けサービスと関係のない自己勘定でのトレーディングを禁止するといった内容を有する(ドッド=フランク法619条、銀行持株会社法13条)。こうした規制の是非はさておくとしても、このルールは、中小金融機関というよりも、幅広い金融取引を行っている大規模な金融グループの経営に大きな影響を及ぼすように思われる。事実、大手銀行は、ルール導入に強く反対していた。
トランプ氏やその政権移行チームが、この問題についてどう考えているのかは必ずしも定かでないが、少なくともトランプ氏は、1933年に制定され、銀行証券分離規制を導入したグラス=スティーガル法の「21世紀版」の導入を主張している。ボルカー・ルールとグラス=スティーガル法を同視することは適切とは言えないが、銀行証券分離規制の理論的背景の一つが預金取扱金融機関による過剰なリスク・テイクを防ぐという点に求められたことを考えれば、両者は同じような観点に立つ規制だとみることができるだろう。だとすれば、グラス=スティーガル法の復活やその「21世紀版」の導入とドッド=フランク法の全廃すなわちボルカー・ルールの撤廃とは、論理的に整合性のある政策とはいえないのではなかろうか。
むしろ「ドッド=フランク法の解体」というスローガンが掲げられているのは、医療保険制度オバマ・ケアの廃止を訴えているのと同様に、民主党政権の政策を否定するという姿勢の表れに過ぎないと理解すべきではなかろうか。今後、金融規制の見直し論議が深められていけば、同法の全廃といった大胆な改正の可能性は小さくなっていくようにも思われる。
また、トランプ氏が強調する中小金融機関の活性化を通じた中小企業の資金調達環境の改善や雇用創出といった観点からは、まだ具体的な検討の俎上に載せられてはいないものの、オバマ政権下の2012年4月に成立したジョブズ法による規制緩和を更に推し進めるような制度改正が検討される可能性もある。ジョブズ法は、中小規模の企業による株式市場へのアクセスを向上させることを狙いとして、1933年証券法及び1934年証券取引所法の情報開示規制を大幅に見直すことを内容とする。
同法は、党派対立が目立った近年の米国議会では珍しく、民主・共和両党の強い支持を得て制定されたが、そこに盛り込まれた制度改正については不徹底だとする意見も根強い。筆者が昨年米国で行ったヒアリングでも、ベンチャー企業やベンチャーキャピタルなど関係者がジョブズ法の施行規則制定をめぐるSECの対応に失望し、より大胆な規制改革を求める「ジョブズ法v.2」の制定への働きかけを強めているといった指摘が聞かれた。今後、そうした立法を具体化する方向での検討が本格的に始動する可能性は小さくないだろう。
ドッド=フランク法による規制強化を具体化するための規則制定を推進する一方、ジョブズ法の施行規則制定にあたっては過度の規制緩和に慎重な姿勢を示したSECのメアリー・ジョー・ホワイト委員長は、トランプ政権が発足する2017年1月に退任する意向を既に表明している。それだけに、トランプ政権下で金融規制の緩和が進むという観測が強まるのも理解できる。
とはいえ、トランプ氏の政権移行チームも「自由な企業活動に焦点を当てながら強要や詐欺が行われないよう市場を監視して消費者を保護する」ことが金融規制の目的だとしており、前述のような大手金融グループに対する反感を根底に有していることをも踏まえれば、金融界が期待しているような規制緩和一辺倒の制度見直しは考えにくいのではないだろうか。今後明らかになる財務省やSECの幹部人事や具体的な制度改革構想の内容を注視していくことが必要であろう。
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