フェア・ディスクロージャーとは何か:米国の最新事例から
FDルール違反の疑いをかけられたAT&T社
米国の証券取引委員会(SEC)は2022年12月5日、通信業界最大手のAT&T社が、投資判断に重要な影響を与える「重要な未公表情報(MNPI:material non-public information)」を証券会社のアナリスト等に選択的に開示することを禁じるフェア・ディスクロージャー・ルール(SEC規則レギュレーションFD)への違反を理由とする訴訟において、同ルール違反の事案では過去最大の金額となる625万ドル余りの民事制裁金の支払いなどを条件とする和解に応じたと発表した(注1)。
この訴訟は2021年3月、SECがAT&T社及び同社IR部門に所属する3名の従業員(以下、被告IR部員)を相手取って提起したもので、裁判所に提出された訴状によれば、本件の事実関係は概ね次の通りである(注2)。
2016年3月初め、AT&T社とその経営幹部は、スマートフォンなどワイヤレス機器の売上高の減少幅が同社のそれまでの予想よりも大きく、2016年第1四半期決算では、売上高が証券アナリストの予想を相当程度下回ることになりそうだとの認識を抱いた。既存顧客の機器買い替え率が過去にない低い水準に低下したことで、連結売上高がアナリスト予想の平均値を10億ドル以上も下回ることが想定されたのである。
この時点でAT&T社は、機器売上高の会社予想に関する臨時報告書(様式8-K)での情報開示を行うことも検討したが、結局そうした開示は行われなかった。その代わりに、3月9日に開かれた投資家向けのオンライン会議において、同社CFO(最高財務責任者)が、既存顧客の機器買い替え率など2015年第4四半期における同社のワイヤレス機器の売上高減少に関連する既公表の情報に触れた上で、そのような傾向が続いたとしても「驚きはしない」とコメントすることとした。このオンライン会議後、一部のアナリストはAT&T社の売上高に関する予想値を下方修正したが、アナリスト予想の平均値は、依然として会社の予想値を上回る水準となっていた。
売上高予想を下方修正させるための働きかけ
そこでAT&T社CFOは、インベスター・リレーションズ(IR)部門に対して、「機器売上高の予想が高すぎるアナリストへの働きかけ(work)」を行うよう指示した。この指示を受けた同社IR部長(Director of Investor Relations)は、被告IR部員に対して、「アナリストを一段下がらせる(walk the analysts down)」よう指示した。つまり、売上高予想を引き下げるようにアナリストを誘導することを命じたのである。当時、AT&T社の売上高の実績値は2四半期連続して市場のコンセンサスとされるアナリスト予想を下回っており、2016年第1四半期の実績がアナリスト予想を下回れば、3四半期連続となることが懸念されていた。
2016年3月9日から4月21日にかけて、被告IR部員は、約20名のアナリストに対して個別に電話をかけ、売上高予想値を下方修正させようとした。これらの通話において、被告IR部員は、AT&T社の既存顧客の機器買い替え率の会社予想値や実績値、前年同期比の形で示された携帯端末売上高の会社予想値や実績値といった情報をアナリストに対して伝達した。
AT&T社は4月26日に四半期決算発表を行ったが、被告IR部員によるこれらの通話を通じた働きかけが功を奏し、多くのアナリストが売上高予想値を下方修正していたため、同社の2016年第1四半期の売上高実績405億3,500万ドルは、アナリスト予想の平均値を1億ドル弱上回る結果となった。
SECの主張とAT&T社の反論
SECは、被告IR部員がアナリストとの通話で伝達したAT&T社の既存顧客の機器買い替え率の会社予想値や実績値、前年同期比の形で示された携帯端末売上高の会社予想値や実績値といった情報は投資判断に重要な影響を与える未公表情報だったと主張した。
これに対してAT&T社は、問題のアナリストとのやり取りが行われた2016年3月から4月にかけての時期には、通信各社がスマートフォン等の買い替えを促すためにそれまで行っていた割引キャンペーン等を取りやめたことで、ワイヤレス端末機器の売上高が大きく減少していることは広く知られており、同社自身も自社の機器売上高の減少傾向について一定の情報開示を行っていたと主張した。
更に、機器売上高の変化が同社の利益水準に及ぼす影響は小さいと指摘し、被告IR部員がアナリストに伝達した情報は、投資判断に重要な影響を及ぼすような重要な未公表情報であったとはいえず、情報伝達を受けたアナリストも、当該情報が重要な未公表情報であるとは受け取らなかったなどと、SECの主張に真っ向から反論した(注3)。
しかし、2022年9月に裁判所が示した見解は、情報の重要性(materiality)や未公表情報の選択的開示が行われたのかどうかといった重要な争点についてSEC側の主張を認めるものだったこともあり(注4)、AT&T社としては、訴訟費用が高額となり敗訴のリスクも大きい陪審員の参加する正式裁判(trial)を回避することとし、法令違反の事実を肯定も否定もしないで民事制裁金の支払いや将来のレギュレーションFD違反に対する差し止めに応じることでSECと和解する途を選んだものと考えられる。なお、被告IR部員は、AT&T社の規則違反を幇助したものとされていたが、3人がそれぞれ民事制裁金2万5千ドルを支払うことになった。
珍しくないアナリストへの「働きかけ」
本件で問題となった上場会社からアナリストへの業績予想数値の下方修正を促すような働きかけは、決して珍しい出来事ではない。実態よりも高い水準の業績予想が織り込まれたままで株価が推移すれば、業績発表直後に「失望売り」によって株価が急落することにもなりかねない。そうした事態を避けたい上場会社が、アナリストとの「対話」を通じて、予想と実績が大きく乖離しない方向へ誘導しようとすることは理解できる。
そうした働きかけの行き過ぎが、レギュレーションFD違反として摘発されるのも本件が初めてのことではない。同規則の施行から2年が経過した2002年11月に公表された最初の3件の摘発事案の一つ(レイセオン事件)は、上場会社のCFOが、会社予想よりも強気なアナリストのEPS予想を下方修正させようとして個別に電話をかけて働きかけを行ったというものであった(注5)。また、レギュレーションFD違反をめぐる訴訟でSECの主張が裁判所の認めるところとはならず、それまでの厳しい摘発姿勢が変化したとみられる2005年以降の事案にも、上場会社のCEOとCFOがアナリスト18人に対して経済情勢の厳しさや同業他社の業績が予想を下回ったことを指摘したり、自社が既に公表していたネガティブな内容の情報についての注意を喚起したりしたことが問題とされたというもの(オフィスデポ事件)がある(注6)。
とりわけオフィスデポ事件の事実関係は、今回のAT&T事件と類似している。もっとも、オフィスデポ事件については、ペンシルベニア大学ロースクールのジル・フィッシュ教授が、SECが敗訴したシーベル・システムズ事件で示された裁判所の解釈に照らせば、アナリストの業績予想を下方修正させるために行われた組織的な行為だったとはいえ、重要な未公表情報の伝達が行われたと判断されるかどうかは微妙な事案だと指摘し、SECによる強気の摘発姿勢を示したものだと評している(注7)。その後、同じような摘発事案は知られておらず、AT&T社が本件で問題視されたような行動に出ても、いわばレッドラインを越えることにはならないと考えたことも理解できないわけではない。
AT&T社はどうすべきだったのか?
とはいえ、AT&T社は多額の制裁金の支払いを余儀なくされ、被告IR部員も個人としての金銭的負担に加え、IR専門家としてのキャリアに傷がつく結果となった。ではAT&T社は、どうすれば良かったのだろうか。
一つの答えは、実際に同社内でも検討されたように、機器売上高の予想に関する臨時報告書による情報開示を行うべきだったというものだろう。しかし、筆者には、それが「正解」であったとは到底思われない。法定情報開示やIR活動を通じた上場会社と市場・投資家との対話において最も重要なことの一つは、発信する情報の継続性であり、一貫性である。それまで決算情報の一部として開示していただけの機器売上高について、唐突に予想値を開示することは、かえって大きな誤解を生み投資家を混乱させることにもつながりかねなかっただろう。
もう一つの答えとしては、そもそも普段から機器売上高の会社予想値を公表しておくべきだったというものが考えられるかも知れない。確かに米国の上場会社の中には、自社の業績予想数値(ガイダンス)を公表している例が少なくない。AT&T社も売上高やEPSに関するガイダンスを公表している。しかし、それは「連結売上高は前年比1~2%増となる見通し」といった程度の精度の粗い内容である。多くの上場会社は投資家の関心の高いEPS予想の開示には力を入れるが、売上高に力点を置くことはあまりない。AT&T社における機器売上高(2016年第1四半期実績は連結売上高405億3,500万ドルのうち34億3,400万ドル)といった細かさで売上高の予想を公表する上場会社は極めて例外的だろう。
では何が「正解」だったのか。もしかすると、それは「何もしない」ということだったのかも知れない。しかし、それでは前述したように四半期決算発表時の「失望売り」と株価急落につながっただろう。そうした事態を避けるべく、「重要な未公表情報」には至らないレベルの情報をアナリストに提供しながら市場のコンセンサスを落ち着かせていくことがIR部門の使命だとすれば、それは一つ間違えれば大怪我をするサーカスの綱渡りのように高度な技能を習得した上で、あえて法令違反の誹りも受けかねないというリスクを取っていくことが求められているようにも思えてしまう。
業績予想開示が定着している日本
日本でも2017年の金融商品取引法(以下、金商法)改正で、米国のレギュレーションFDに相当するフェア・ディスクロージャー・ルールが法制化され(金商法27条の36以下)、2018年4月から施行されている。これまでのところ上場会社によるフェア・ディスクロージャー・ルール違反が指弾されるような事態は生じていない。
その一つの理由として、日本ではほとんどの上場会社が業績予想を公表しており、公表済みの予想との差異がインサイダー取引規制上の重要事実に該当する状況(注8)となった場合の修正予想の公表はもとより、四半期決算短信公表時の業績予想数値のアップデイトが慣行的に行われているという事情もあるように思われる。
現在、日本では、四半期決算情報の開示が上場会社の経営の短期志向を助長しているといった観点から、法定情報開示制度としての四半期報告書を廃止し、取引所の適時開示制度の一環として行われる四半期決算短信開示に一本化するための制度改革が進められている(注9)。新たな四半期決算短信開示の具体像はまだ定かでないが、取引所規則で開示を求めることはしない任意開示化の方向で検討が進められるとも報道されている(注10)。
新たな情報開示制度がどのような形に落ち着こうとも、上場会社としては、本稿で紹介したような米国の実情も参考にしながら、不公正な選択的情報開示を行ったという誹りを受けるような事態に決して陥ることなく、アナリストや投資家との建設的な対話を進めて行って欲しいものである。
(注1)SEC, "AT&T Settles SEC Charge of Selectively Disclosing Material Information to Wall St. Analyst", Dec. 5, 2022
(注2)SEC v. AT&T, Inc., et al., Case No. 1:21-cv-01951, US District Court, Southern District of New York.
(注3)"AT&T Disputes SEC Allegations", Mar. 5, 2021, CISION PR Newswire
(注4)"SEC v. AT&T headed to trial—is Reg FD constitutional?", Sept. 15, 2022, Cooley
(注5)"In re Raytheon Co. et al., SEC Release No. 34-46897", Nov. 25, 2002
(注6)"In re Office Depot, Inc., SEC Release No. 34-63152", Oct. 21, 2010
(注7)Fisch, Jill E, "Regulation FD: An Alternative Approach to Addressing Information Asymmetry (2013)", RESEARCH HANDBOOK ON INSIDER TRADING, Stephen Bainbridge, ed., Elgar, 2013, U of Penn, Inst for Law & Econ Research Paper No. 12-19
(注8)公表された直近の予想値(当該予想値がない場合は公表された前事業年度の実績値)に比較して新たに算出した予想値または当事業年度の決算において売上高で1割超、経常利益または純利益で3割超の差異が生じることとなった事実が重要事実とされる(金商法166条2項3号、有価証券の取引等の規制に関する内閣府令51条)。
(注9)金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告「中長期的な企業価値向上につながる資本市場の構築に向けて」(2022年6月13日)23~27頁参照。
(注10)『日本経済新聞』2022年11月24日付夕刊1面。
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