今回は、あらためてDXをめぐる議論を俯瞰してみたい。ともするとDXは、要素技術として、AIやIoT、ビッグデータ、クラウドサービスを活用することとされてきた。もちろん、それを全否定するわけではない。しかしながら、この理解だけでは、ビジネスモデルの評価として十分ではなく、本格的なイノベーション投資には結び付きにくいのではないだろうか。DX投資の経済性が問われた時に困るのである。
DXの本質は「システム・オブ・システムズの時代に適応するために、イノベーションモデル、およびビジネスモデルを転換(transform)すること」である。システム・オブ・システムズとは、要素技術がシステムとして統合され、さらにシステムが他のシステムと結びつき、巨大な社会システムが創造されていくという考え方だ。
本稿では、DXを語る際に日本ではあまり積極的に紹介されていない“2つの論点”をご紹介したい。「イノベーションモデル」と「ビジネスモデル」についてである。投資家や経営層からみて「DX投資の経済性をどう考えるべきか」に関わる比較的普遍的な考え方である。DXを進める中での閉塞感を突破するヒントになると思う。経済性と言っても損益計算書(P/L)で表現できるものではない。将来の成長速度を加速するオプション価値と考えていただけるとよい。
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(注)
藤野,特集 アナリストが知るべきDX「海外でのDXの進展―DX・第4次産業革命の本質と日本の閉塞・陥穽、未来萌芽」
(証券アナリストジャーナル,公益社団法人日本証券アナリスト協会,2022年2月号(第60巻 第2号))
1.システム・オブ・システムズの時代のイノベーションとビジネスモデル
システム・オブ・システムズを推進するには、システムを構成する各モジュールが容易に繋がり、また組み換え可能であること、いわゆるコンポーザブルであることが不可欠である。イメージとしては、レゴブロックである。レゴのように接続部分が精緻に標準化されていることが必要である。
システム・オブ・システムズの時代における典型的なイノベーションモデルは、この特徴を利用する。イノベーションを迅速に取り込むためには、既存システムと新しいシステムとを繋ぎ、さらに旧いモジュールを新しいモジュールに柔軟に組み替えができるコンポーザブルな構造が重要となる。
このためには、産業のシステム構造、つまりそのモジュール構造をあらかじめ設計しておき、モジュール間の接合部分(インターフェース)の情報を公開(オープンに)しておくことが重要である。
もちろん、モジュール化については、旧くはメインフレームの時代のIBM System/360、また何よりPC産業において、システムアーキテクチャがオープン化されたことにより産業全体が急速に発展していったことは、まだ記憶にあるところであろう。
(注)
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(注)
キム・クラーク「デザイン・ルール―モジュール化パワー」東洋経済新報社(2004.3)
各モジュールに相当するのは、単にハードとしての製品ではなく、一定のインテリジェンスを有し、自動的にサービスを提供する「サービスの機能モジュール(PSS:製品サービスシステム)」のことである。このサービスの機能モジュールの提供者は、モジュールプロバイダーと呼ばれ、さらに多数の機能を統合し、ユーザーのフロントで総合的なサービスを提供する者はエコシステムドライバーと呼ばれる。この2つがシステム・オブ・システムズの時代の典型的なデジタルビジネスモデルとなる。(注)
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(注)
ピーター・ウェイル「デジタル・ビジネスモデル 次世代企業になるための6つの問い」日本経済新聞出版(2018.11)
2.産業のシステム構造設計による新しいタイプのイノベーション、「システムイノベーション」の重要性
1)国際標準化活動の本質 ~新産業のシステム構造設計のオープンな活動~
インダストリ4.0でドイツ工学アカデミー(AcaTech)がドイツ政府に要請したことは、“国際標準化活動への公的支援”であった。国際標準化活動というと「製品そのものを標準化し、他国の製品を排除すること」と勘違いされ、懸念を表明する経営層の方も多いが、残念ながらこれは認識不足といえよう。標準化するのは、あくまでも製品と製品を繋ぐインターフェースの部分だけだからだ。製品は、単独で活用されるケースは少なく、いろいろな製品と組み合わされて活用されている。このため、製品と製品を容易に繋ぐ、つまり相互運用性(インターオペラビリティ)を確保するために、インターフェースをあらかじめ標準化しておくのである。例えば、USB標準ができてPCと関連機器との接続が随分容易になった。このことは、どなたでも日々実感されていると思うがいかがだろうか。
もっとも国際標準化活動は容易ではない。何と何とのインターフェースを国際標準として設計するのかを検討するためには、システムの全体から話を始めなければいけないからである。
産業のシステム構造を具体化する国際標準化活動は、外部機能設計と内部構造設計の2つの活動から構成される。新しい産業が勃興する際に、その産業のユーザー企業をできるだけ多数(通常約100社)集め、コンソーシアムを形成、一体どういう機能がいつごろまでに必要なのか、徹底的に議論し、まず外部機能のデザインを協働で行う。その過程で各種の言語体系を定義していく。外部機能のデザインが決まると、今度は提供者側の企業を多数(約100社)集めて内部構造を設計していく。内部構造設計とは、主に内部のモジュール構造の設計と、モジュール間のインターフェースの設計である。各モジュールの機能内容と相互運用性を保証するモジュール間のインターフェース、およびいつ頃それが必要となるのかというロードマップや共通の言語体系をあらかじめ設計し、これを国際標準として公開(オープン化)していく。これらの活動が国際標準化活動である。
新しい産業が容易に繋がり、機能を拡張できるように、先に産業のシステム構造を設計しておこうという考え方である。なお、産業のシステム構造設計活動は、協調的活動、前競争活動と呼ばれ、独占禁止法(アンチトラスト・ロー)の適用除外の活動として位置づけられている。インターフェース自身には特許性は無いからである。
こう考えてくると、国際標準化活動の本質は“政策的に、産業のシステム構造(アーキテクチャ)を設計し、公開(オープン化)していく活動”というべきであろう。
2)オープンなシステム構造設計を行ったコンソーシアムの例
有名なところでは、米国で組織されたコンソーシアムMobile Retail Initiative(注)がある。消費者の接点の物販領域で携帯電話の活用がどのように高度化していくか、その時の小売業の情報システムに要求されるシステム構造はどう変わるべきかを検討するために設置された。
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(注)
「Mobile Retailing Blueprint 2.0」ARTS (2011), Mobile Retailing Blueprint V2.0: A Comprehensive Guide for Navigating the Mobile Landscape, NRF
主要ITベンダーだけでなく、多数の小売業が参画した。その結果、オムニチャネル・リテイリングの概念が定義され、その後の小売業の情報システムの構造は根本から変化していった。
具体的には、それまで独立に開発され運営されていた店舗システム、ECシステム、コールセンター、モバイルチャネルなどの顧客接点ごとに、ほぼ独立に管理されていた顧客や顧客の購買履歴情報、画像を含む商品マスタや商品のリアルの在庫情報、顧客別のプロモーション情報や商品の引当業務のオペレーションを一元的にマネジメントするシステム構造が極めて重要との認識に至ったのである。
その結果、小売業の情報システムに必要な新しいシステム構造が設計され、欧米の小売業の基幹システムが変革されていったのである。2013年のSAP社によるhybris社の買収など、オムニチャネル関連での小売IT産業のM&Aの嵐については、関係者はよくご存じであろう。
ちなみに、インダストリ4.0では、主に機械設備産業でのコンソーシアムを組成し、当該産業のシステム構造設計をオープンな場で行い、国際標準のインターフェースを定め、当該産業のイノベーションを加速することが意図されている。
3)「オープンなシステム構造」が加速する「システムイノベーション」
産業の「オープンなシステム構造」が加速するイノベーションを、単なるイノベーションと区分するために「システムイノベーション」と呼ぶこととしたい。 では、産業の「オープンなシステム構造」が、なぜ「システムイノベーション」を加速するのだろうか。本稿では5つの理由を提示したい。これらが新しいタイプの産業政策として「オープンなシステム構造」を各国が採用し、各国が各種標準化機関を産業政策の中心に据え、産業政策として機能拡充を図ってきた理由である。
①ディマンドアーティキュレーション(需要表現)への貢献
システムの内部構造設計、つまり機能モジュールの構成やインターフェースについて、関連する企業が多数集まって議論していくと、どの企業がどの機能モジュールに強いのか、コンソーシアム参加者間で自然と共有されることとなる。このことは同時に、「現段階では誰も保有していないが、新しく開発しなくてはならない機能モジュール」、つまり“ミッシングリンクの機能モジュールが何か”が抽出され、自然と特定されることを意味する。ちなみにこの情報も特許性のない情報であるため、独占禁止法には抵触しない。
かつて児玉文雄は「ハイテク技術のパラダイム」において、日本の超LSI技術研究組合の成功を分析し、「先端産業において技術開発上の最も貴重な情報は“いつ頃、何を開発すればよいか”にシフトしてきている」と述べ「需要表現(注)」という概念を提唱した。
国際標準化活動は、まさに「需要表現」を行う活動と言ってもよいであろう。
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(注)
需要表現とは、児玉文雄東京大学名誉教授が提唱した概念である。「潜在需要を製品概念として統合化し、この概念を個々の要素技術の開発項目へ分解するという、2つの技術的活動の動学的“相互”作用」と定義される。「ハイテク技術のパラダイム」(児玉文雄,中央公論社,1991)
②リスクマネーの導入への貢献
抽出されたミッシングリンクの機能モジュール(①)については、VCやファンドなどのリスクマネーが高い関心を寄せてくる。リスクマネーからみると、関連のユーザーや主要プロバイダーが多数集結したコンソーシアムにおいて、徹底的に議論された結果発見された“ミッシングリンクの機能モジュールの情報”は、垂涎の的であるからである。また、関連技術の知識もあり、開発できそうなエンジニアが多数抱えている企業も、コンソーシアム参加企業として目の前にいるわけである。こうしてスタートアップへの投資が加速されていくのである。
③「オープンイノベーション」を促進するため「イノベーションの加速」が期待できる
国際標準化により、当該領域について関心をもち、モジュール関連技術を有する企業が、世界中から、誰でも(オープンに)機能モジュール開発や提供に参加できるようになる。
逆に、日本の産業はこれまでフルセット型の産業構造を“強み”として誇ってきた。またグループ企業内での緊密な情報交換や動機付けも“強み”であった。オープンイノベーションへの移行は、これらの日本の強みが、将来それほどの強みでなくなっていく危険性も無いわけではない。このことは産業政策上の懸念材料の1つかもしれない。もっとも、国内に閉じこもることは、もはや得策ではないと考えるがいかがだろうか。
④「関係特殊性資産への投資回避によるリスクの低減」
モジュール間のインターフェースが国際標準として公開(オープン)されることで、当該国際標準を活用する製品やサービスは、相互運用性が確保される。
ただし、これは、同時に取引先のスイッチングコストが下がり、取引先の組み換えが容易になるということでもある。つまり特定の顧客やサプライヤーに縛られないで済む。ここには多重下請けの産業構造は存在しない。
国際標準に基づく投資は、特定取引先に限定された投資にならないため、経済学でいう「ホールドアップ問題を引き起こす関係特殊性資産」への投資を回避することができ、投資が無駄になるリスクが小さい。つまり、投資リスクを低減できる。日本の産業の現実と随分異なるため、実感が湧かないかもしれないが、世界はその方向で動いているのである。
⑤スイッチングコストが低下することによる「投資のオプション価値の拡大」
他社へのスイッチングコストが低下し、スイッチングの障壁がなくなれば、より優れたモジュールへの組み換えが容易になる。すなわち、イノベーションの内部化も容易になる。
これは、プロバイダーからみてもメリットは大きい。優れた商品やサービスは、特定取引先だけでなく、世界中に容易に展開できるようになる。このため潜在市場が圧倒的に大きくなり、規模のメリットが見込めるからである。つまり、ユーザーと提供者(プロバイダー)、双方の企業にとって、このスイッチングが可能な投資のオプション価値は極めて大きい。
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