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なぜ上海のコロナ攻防戦が長引いたか

~デジタル・ガバナンスの観点から~

2022/06/22

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感染力の強いオミクロン株の影響により、中国最大の経済都市である上海(人口2,500万人)が、2022年3月28日から約2ヶ月間のロックダウン(都市封鎖)に追い込まれ、6月1日にようやく解除された。ほぼ同時期に、上海同様多くの人口(1,300万人以上)を抱える大都市深圳でも感染の拡大が起こったものの、そちらは2週間ほどで収まった。それに対し、なぜ上海のコロナ攻防戦がここまで長引いたのか、中国のコロナ対策で重要な役割を果たしている「デジタル・ガバナンス」の巧拙という観点から解説する。

中国の「ゼロコロナ」政策を支える「デジタル・ガバナンス」

中国では、新型コロナウイルスを徹底して抑え込む「ゼロコロナ」政策を堅持している。「ゼロコロナ」政策は、感染者の発生をゼロにするものではなく、感染者を迅速に発見し、感染者本人や濃厚接触者に対して速やかに疫学的調査、診断、隔離、治療を行い、感染源を早期遮断する。それによって、コントロール地域(感染者等がいる病院、臨時病院、封鎖地域など)以外の市中では感染者の新規発生をゼロに抑え込むという防疫戦略であり、「動態(ダイナミック)・ゼロコロナ」とも呼ばれている。

この「ダイナミック・ゼロコロナ」戦略を実現するには、PCR検査による感染者の早期発見と早期隔離など医学的な措置のほか、人々の5G(第5世代移動体通信)利用やそこから得られる位置情報をはじめとしたビッグデータの解析等、デジタル技術を駆使して感染症防止に関わる分野を含む都市管理の効率化と高度化を図る「デジタル・ガバナンス」も重要な役割を果たしている。いざ感染者を発見したら、疫学調査チームによって、感染者の位置情報等のデータを分析し、その移動経路(滞在場所を含む)を特定し、経路上にある「濃厚接触者」、「濃厚接触者の濃厚接触者」を早期に見つけ出し、迅速なPCR検査の実施と行動制限を実施することで、今まで、市中感染を短期間で抑え込むことができた。

上海市には約3,000人の疫学調査チームがいて、中国の中でも有数の規模である。2021年8月25日の上海衛生健康委員会のプレス発表から、そのチームの活動の詳細がうかがえる。8月24日に感染が確定した浦東国際空港貨物運搬作業員のAさんについて、8月25日の朝9時までに、濃厚接触者52人と、濃厚接触者の濃厚接触者101人を特定でき、全員について自宅隔離とPCR検査を実施した。さらに職場や居住地域の関係者5,276人と、Aさんに関連のある施設の物品や環境で採取した386個の検体に対しても、PCR検査を実施したという。

ウイルスとの闘いは、時間との闘いでもあるが、これらの特定と検査は、わずか1日で終えられている。上海は、2022年の2月末まではこのような「デジタル・ガバナンス」が功を奏し、全市民を対象とした大規模なPCR検査を実施することなく、中国に飛来する国際航空便のうち、約4割の受け入れを担っているにもかかわらず、市中での感染拡大を防いできた。

上海のコロナ対策に関わる「デジタル・ガバナンス」の仕組み

(1)上海市の「デジタル・ガバナンス」の取り組み

上海のコロナ対策を支える「デジタル・ガバナンス」は、上海市ビッグデータセンターを中心に、2018年に導入された都市OS(注1)によって実現されている。この都市OSは、主に「ワン・プラットフォーム(一元管理)」(中国語名:「一網統管」)と「ワン・プラットフォーム(一元提供)」(中国語名:「一網通弁」)の二つのプラットフォームによって構成される(図1を参照)。

「ワン・プラットフォーム(一元管理)」は、主に政府内で利用される管理用のデータ・ダッシュボードで、交通、防災、消防、感染症対策、環境保護等の分野間のデータの連携と可視化によって、市、区レベルから社区(コミュニティ)レベルまでの情報を一元的に把握でき、迅速な政策決定に繋がっている。

「ワン・プラットフォーム(一元提供)」は、主に「随申弁市民雲」というポータルを通じて、市民に対して、行政や生活に関わる様々なサービスをオンラインで提供している。2022年3月18日時点で、「随申弁」というスマホアプリを通じて、3,466種類ものサービスを提供し、オンラインでサービスを完結できることから市民生活の利便性を大幅に向上させた。

国連による電子政府調査報告(注2)では、上記の取り組みが先進事例として取り上げられ、上海市は世界のスマートシティの第9位に選出された。上海市は、コロナ前から既に「デジタル・ガバナンス」の優等生だったといえる。感染症対策についても、深圳同様、いくつかの「デジタル・ガバナンス」の施策を迅速に導入した。

  • 注1  

    都市OSとは、物流、医療、福祉、教育、防災、低炭素化など、さまざまな都市サービスの提供や都市全体の管理・運営を推進するための、データの連携・分析機能等を備えたシステム基盤を指す。

  • 注2  

    「2020 UN E-Government Survey (Chinese Edition)」報告書

(2)コロナ対策で迅速に導入された「健康コード」

2020年コロナの感染拡大を受け、同年2月7日に上海市政府は、市民や来訪者の一人ひとりの感染リスクを可視化できるデジタル健康証明書「健康コード」(注3)の開発を決定した。「ワン・プラットフォーム(一元提供)」で既に統合されている様々なデータを活用し、わずか48時間で、「随申弁市民雲」というプラットフォーム上に、「随申コード」という名の「健康コード」がリリースされた。上海市の「デジタル・ガバナンス」の先進性さが大いに発揮された。

位置情報(移動経路)や交通機関の利用等の情報を統合・分析して、「随申弁」アプリで一人ひとりの健康状態を示す「健康コード」を生成し、駅など多くの人が集まる場所でデジタル通行証の役割を担うものである。

上海は住民だけで約2,500万人おり 、ビジネス、観光や病気の治療等のために一時的に上海に訪れる人も入れると、市内で活動する人は実質4000万人を超える。この「健康コード」が膨大な人の流れを把握し、見えないデジタル防衛線を築き、感染力の強いオミクロン株が入ってくるまでに感染の拡大を抑え込むのに大きく貢献している。

  • 注3  

    健康コードとは、デジタル証明書により市民の健康状態を可視化する取り組みで、緑、黄、赤の3段階で個人ごとに感染リスクが示される。「緑」色の場合は、市内を自由に通行することが可能である。詳細な仕組みは下記を参照のこと。

    【中国のデジタル強国戦略】
    https://www.nri.com/jp/knowledge/report/lst/2021/cc/mediaforum/forum304

(3)PCR検査に特化する「PCRコード」

PCR検査が常態化するにつれ、コロナ対策を司る上海市衛生健康委員会は、2020年秋にPCR検査の円滑化のため、「PCRコード」(注4)を導入した。上海市民がPCR検査を受ける際に提示する登録用のバーコードで、本人認証等の情報が含まれている。このコードは、上海市衛生健康委員会が主管する「上海健康雲」(上海健康クラウドサービス)というプラットフォーム上で構築されている。この「健康雲」は慢性疾患の健康相談や予防接種、病院の予約等のサービスを提供するために開発したシステムで、「PCRコード」を通じて、PCR検査予約や検査結果の確認等を実現している。

  • 注4  

    PCRコードは、上海市民がPCR検査を受ける際に提示する登録用のバーコードとして開発され、本人認証等の情報が含まれている。市民のIDと検査結果をコードにより紐づけることで、迅速かつ正確な検査を図る。

オミクロンに翻弄される上海

今までのコロナウイルスより感染力が圧倒的に強いオミクロン株の流入により、状況が一変した。2022年3月に入り、上海での感染拡大が続き、それに伴うPCR検査や疫学調査が必要な人数も爆発的に増大した。3月16日の午前だけで、システムに登録されたPCR検査の件数は433万件を超え、前日の倍となった。また、健康コードの判定で重要な疫学調査能力も限界に到達しつつあった。例えば、3月21日には、症状のある感染者24名と無症状感染者734名が発見されたが、関連する濃厚接触者が24,675人、濃厚接触者の濃厚接触者が60,024人、調査や検査の対象が合わせて約8.5万人に膨れ上がった。

3月28日に上海市はついに、浦東、浦西および隣接地域の順次ロックダウンを決断し、エリア内にいる市民全員のPCR検査を行うこととした。検査対象が一気に2500万人となり、現場の混乱はもちろんのこと、検査に必要な「PCRコード」もアクセス不能等のトラブルが頻発するようになった。

実は、上海とほぼ同時期に、別の大都市である深圳においてもオミクロン株の市中感染が広がった。しかし、深圳はわずか2週間余りで感染拡大を食い止め、3月28日に市民生活を元に戻した(図2を参照)。では、優等生だったはずの上海がなぜうまくいかなかったのか、「デジタル・ガバナンス」の観点から深圳との比較も交えてその原因を分析する。

コロナ急拡大で露呈した「デジタル・ガバナンス」の問題点

(1)データ連携の不備:「健康コード」にPCR検査結果が連携されない

前述のように、上海の「健康コード」は、行政・生活サービスを提供するプラットフォームの「市民雲」で提供しているが、PCR検査関連の機能を担う「PCRコード」は、医療健康サービスに特化する「健康雲」で提供している(図3を参照)。深圳と違って、上海の場合、二つのシステムの連携ができておらず、PCR検査結果が健康コードに即座に反映されない。3月後半に検査件数が急増したことに伴い、検査結果のシステムへのアップロードが大幅に遅延し、管理部門によって別途電話で陽性者を通知する運用となった。これが利用者に困惑をもたらし、「健康コード」が実質的に機能しなくなった。

対して、深圳は健康コードを一本化し、PCR検査結果をシステム側でリアルタイムに健康コードに反映することで、感染リスクのある人の行動制限ができ、健康コードが本来の役割を果たせている(図4を参照)。

(2)クラウドシステムの拡張性の欠如:短期集中のアクセスに対応できなかった

「健康雲」は、元々慢性疾患の健康相談等、市民向けのヘルスケアサービスに特化して開発したシステムであり、大規模で集中的なアクセスに対応できるようには設計されていなかった。加えて、開発運用事業者はクラウドコンピューティングのノウハウや経験は十分とは言えない状況であった。そのため、今回の事態では爆発的に増加するアクセスに対応しきれず、システムダウンが頻発し、機能不全に陥った。その結果、コードの表示遅延だけではなく、検査機関による結果の登録が追い付かず、判定結果の不一致も起きてしまい、上海市政府の信用力に大きく傷をつけた。

対して、深圳の「健康コード」は、テンセント等クラウド事業者と連携して開発され、データ連携のみならず、システムの柔軟性や拡張性も優れていて、大規模な検査でも大きな問題が起きなかった。

(3)ガバナンスの不備:大規模な検査が続く中でシステムの拙速な乗り換え

「健康雲」の混乱を受け、上海市政府は、「健康雲」における「PCRコード」の継続運用を取りやめることを決め、わずか1~2週間で「市民雲」に新たに「PCRコード」機能を開発した。その移行についても、十分な準備期間を設けることなく、プレス発表した翌日の4月9日、一斉に「随申弁」アプリの「PCRコード」に切り替えた。

大規模なPCR検査が継続する中でのシステムの切り替えは、新たなトラブルをもたらした。例えば、「随申弁」アプリにおいて「PCRコード」を一斉に登録するため、ピーク時には毎秒10万件のアクセスが殺到し、システムの遅延が発生した。また、「健康雲」と違って、本人や家族の認証のために住民票や親族関係の証明書類を取り寄せる必要があり、手続きが煩雑である。加えて、検査の現場でコードをスキャンする設備も、当初の携帯型端末から専用のスマホアプリに変更することとなり、操作に不慣れな市民や検査担当者が続出し、現場の混乱にさらに拍車をかけた。

一方、深圳は元々PCR検査と「健康コード」を連動しているため、このようなシステムの臨時的な変更は必要がなかった。

今回の上海の状況から学べる教訓

上海におけるロックダウンの期間は、当初想定の約4日間から大幅な延長を余儀なくされ、実質2か月以上となった。様々な面に影響を及ぼし、上海のコロナ対策には多くの教訓が残った。一方で、深圳のように感染拡大を短期間で食い止めた都市もあることから、中国の「ダイナミック・ゼロコロナ」政策は感染の抑止という点で、上海だけを見て一概に失敗しているとは言えない。深圳は感染者の行動経路調査の限界を察知し、ロックダウンと全市民のPCR検査に早期に踏み切ったことでコロナの封じ込めに成功し、上海との明暗が分かれた。本稿が注目している「デジタル・ガバナンス」は、あくまで中国のコロナ対策を支える手段の一つであり、他の政策と組み合わせて初めて機能すると言えよう。

今回上海の取り組みで露呈した、「データ連携の不備」、「政策の変化に追いつかないクラウドシステム」、「スマホの操作に不慣れな高齢者等デジタル弱者への配慮不足」など、様々な課題への対応が、感染症との闘いが常態化しつつあるいま、日本も含めて各国の「デジタル・ガバナンス」の参考となる。特に以下の2点が重要と考えられる。

(1)データ連携の重要性

上海の「デジタル・ガバナンス」の失敗から得られる大きな教訓の一つは、ビッグデータセンター主導の「健康コード」と、衛生管理委員会主導の「PCR検査のデータ」が迅速に連動できていなかったことである。深圳など他の都市の取り組みを参考に、上海は早速改善に動き出した。5月12日の報道によると、上海ビッグデータセンターの主導のもと、「随申弁」アプリの機能がアップデートされ、「健康コード」の画面に、PCR検査結果を表示するようになった。それにより、利用者の利便性向上だけではなく、感染者の迅速な行動自粛につながり、知らないうちに市中での感染拡大の防止に効果を発揮できるものとなった。

(2)感染者の早期発見とデジタル弱者への配慮

感染経路の分析の効率化を図るため、上海市ビッグデータセンターの主導のもと、5月より順次全市で「デジタル見張り番」を導入し始めた。主に各公共施設やオフィスビルに出入りする人の健康状態の把握と後日の注意喚起の役割を果たす。この「デジタル見張り番」は、「場所コード」という紙に印刷されるバーコードと「デジタル哨兵」というカメラ付きの読み取り機械の二種類がある。

「場所コード」は、人が集まる公共施設や飲食店の入口に掲示し、市民が出入りする際に「随申弁」アプリでスキャンするだけで、システム上で健康コードやPCR検査結果を照合し、通行可否を判定する。これにより、施設側がその都度入館者の「健康コード」を確認する手間を省ける。それと同時に、市民の訪問情報がシステムで記録され、万が一その場で感染者が出た場合、濃厚接触者の判定がより迅速・正確に実施できる。

「デジタル哨兵」という機械は、日本でも昨今よく見る据え置き型の検温設備と形が似ている。「随申弁」アプリの「健康コード」、もしくは、身分証明書(日本のマイナンバーカードと類似)や社会保険証(日本の健康保険証と類似)をスキャンするだけで、「場所コード」と同じ役割を果たす。無接触での検温、顔認証によるなりすまし防止、健康コードやPCR検査結果の照合が一瞬で完了できる。身分証明書だけで照合できるため、スマホを操作できない高齢者等のデジタル弱者にも配慮する形となっている。

中国の「デジタル・ガバナンス」の一連の施策は、コロナという「緊急事態」の中での応用であり、且つ世界各国と比べコロナによる感染者数や死者数が圧倒的に少ないことから、国民からは一定の理解を得られている。一方で、各種「コード」により国民の行動データがさらに収集され、プライバシー保護上の懸念が残る。「ゼロコロナ」政策という至上命題のもと、中国では当面、施策の手綱を緩める兆しはない。厳しい行動制限によりビジネス環境や経済に大きなダメージを与え、払う代償があまりにも大きい。2022年4月に上海市市長国際企業家諮問会議(IBLAC)が行った調査(注5)によると、9割以上の外資企業は、今回のロックダウンが上海の国際化大都市のブランドイメージの低下に繋がったと回答し、影響の深刻さがうかがえる。経済と比べ、長年培ってきたイメージの回復はなお時間を要する。

Withコロナの時代と捉え、世界の各国で相次いで行動の規制緩和や往来の再開が広がる中、中国独自のゼロコロナ政策が世界の変化にどのように適応していくか、その持続可能性も含め改めて検討する必要があるだろう。感染症の脅威が残っているなか、急速な政策転換が難しいだろうが、経済や市民生活に影響の小さい運用方法へ徐々に移行する時期に来ていると考える。

  • 注5  

    「上海市外資企業調査報告」2022年4月

執筆者情報

  • 李 智慧

    グローバル産業・経営研究室
    エキスパートコンサルタント

執筆協力者

  • 戚 子君

    サステナビリティ事業コンサルティング部
    シニアコンサルタント

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