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デザインスプリントの落とし穴

2023/05/25

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執筆者プロフィール

システムデザインコンサルティング部 阿部 雄己:
2017年野村総合研究所入社。専門領域はデザイン思考を用いた新規サービス検討支援、アジャイル開発推進支援、UI/UX改善支援、グロース設計支援。サービスアイデアの創出から実現まで顧客に寄り添った支援を得意とする

はじめに

野村総合研究所システムデザインコンサルティング部の阿部です。デザインスプリントやアジャイル開発などを通して新サービスの企画・開発・運用のご支援をしています。

「デザインスプリント」という言葉はかなり一般的な概念になってきて、関連する書籍や記事も増えています。多くの人が「5日間という短期間でサービスデザインを行う」という謳い文句に魅力を感じ、業務導入を試みています。しかし、試してみると、「思ったよりもうまくいかないぞ」と感じた方が多いのではないでしょうか。私自身も多くの企業の様々なテーマでデザインスプリントを実施してきましたが、すべてが成功したわけではありません。

本記事では、一般的なデザインスプリントの基礎やメリットについてではなく、実務にデザインスプリントを適用した際に陥りがちな落とし穴について、2社の架空の企業でのデザインスプリントの事例を通じて具体的にお伝えします。

【Case1】自動車メーカーA社の事例

A社のDX部は新規事業支援するための全社横断組織で、これまでにデザインスプリントを使って幾つかの新規サービスを立案してきました。ある日、人事部から「デザインスプリントで画期的なアイデアが5日間で作れるらしいが、新しい技術を使った、人事業務の効率化のアイデアを実現できないだろうか。手伝ってほしい」という相談がありました。

DX部は、自社内の業務改善をテーマにした経験はなかったものの、「人が関わるという点では同じなので、社員をユーザーとして捉えれば応用できる」と判断し、依頼を受けることにしました。

ペルソナ設定で行き詰まる

DX部はこれまでと同じように、ユーザー課題の理解から始めましたが、人事業務におけるペルソナの設定で行き詰まってしまいました。デザインスプリントでは通常、ユーザーへの深い共感を促すために年齢や性別、性格、趣味嗜好などを含む具体的なペルソナを設定します。しかし今回は人事業務が対象であり、従業員個人のペルソナを設定する必要はないと考え、「30代社員」をペルソナとして設定しました。

カスタマージャーニーが作成できない

DX部メンバーは、ペルソナを設定した後、カスタマージャーニーの作成に取りかかりましたが、人事業務のジャーニーを作成していくと、「〇〇資料をダウンロードする」「××資格保有者を抽出する」といった単なるタスクが並んでしまい、普段作成するジャーニーとは異なることに気づきました。
メンバーは、ユーザーの思考や心理を読み取ろうとしましたが、ジャーニーにおけるユーザーの感情が明確でなく、ペインポイントも「時間がかかる」など似通ったものが大半を占めました。

最終的に、メンバーは自分達が「カスタマージャーニー」を作成しているのではなく、単なる「業務フロー」を書いていることに気づいたのです。

アイディエーションが盛り上がらない

違和感がどんどん増していく中、DX部メンバーは次の「発散」のフェーズに取り掛かりました。このフェーズでは、ペインポイントの解消に向けたアイディエーションを実施します。具体的には「どうすれば私たちは〇〇できるか?」という問いを通して様々な角度から問題定義を行う「How Might We」や、短時間でアイデアのバリエーションを8種類考える「クレイジー8」などの手法を使って検討を行いました。しかし、出てきたアイデアの多くが、「タレントマネジメントシステムの導入」や「自動化ツールの導入」などの単純な技術導入でしかありませんでした。

人事部のメンバーは、「導入すべきツールが見つかった」と喜んでいましたが、DX部メンバーは複雑な気持ちになりました。出てきた結果が「創造的なアイデア」とは程遠く感じたためです。そして、わだかまりを抱えたままプロジェクトは終了しました。

Case1からの学び「課題が計測可能な場合、デザインスプリントはToo Much」

Case1の事例では依頼主である人事部は一定の成果を感じていましたが、一方でデザインスプリントを実施したDX部のメンバーは進め方に疑問を感じていました。

それは、「業務改善」というテーマに対してデザインスプリントという手法が“Too Much“であったからです。デザインスプリントについて、アイディエーションの部分が重要と考えている方が多いですが、それは少し違います。真に重要なのは、極端なユーザー像を設定し、そのユーザーが潜在的に持つ狭く深い、強いニーズを特定することです。

では、業務改善テーマにおいて上記の観点は必要でしょうか。答えはノーです。なぜなら、「極端な個人にフォーカスする」というアプローチは、「標準化・効率化する」という業務改善の目的と異なるからです。また、業務における課題は作業時間やコストなど定量的に計測できるため、ユーザーに深く共感しなくても課題を発見できます。

デザインスプリントを業務改善テーマに適用しても、一定の成果は得られるでしょう。しかし、デザインスプリントの活動の大半を行わなくても、業務フローを整理し、タスクごとの所要時間を計測するだけで課題を特定できます。そして、これらの課題を解決するソリューションを見つけるためには、必ずしもゼロベースでアイディエーションを行う必要はなく、既存のサービスの中からマッチするものを探すだけでも十分な効果が期待できます。

【Case2】医療機器メーカーB社の事例

B社は医療機器の製造販売を手掛けるメーカーです。これまで医療機関に自社の製品を販売する「モノ売り」ビジネスを主に行ってきましたが、市場や競合企業の動向を考慮して、ソリューションを提供する「コト売り」への移行を図っていました。そこでソリューション企画チームを設立し、短期間で成果が得られると聞いたデザインスプリントに取り組むことにしました。

サービスの目指すべきゴールを具体化できない

検討メンバーはデザインスプリントの進め方を学習し、最初のフェーズである「Day1:顧客課題の理解」に取り組みました。まず新サービスの対象領域を設定しようとしましたが、B社の取引先は大病院から地域の医師まで幅広く、扱っている医療機器も多岐にわたるため、自分達がどの領域に注力すべきか中々決められませんでした。
メンバーはデザインスプリントを始める前に「モノ売りからコト売りへのシフト」というミッションを持っていましたが、サービスのゴールが明確でなかったため、Day1で対象領域を絞り込む基準が不足していました。その結果、彼らは途方に暮れてしまいました。

ペルソナがイメージできない

サービスの対象領域が決められなかった検討メンバーは、とりあえず代表的な取引先とステークホルダーを洗い出すことにしました。ステークホルダーには医師や看護士などの現場スタッフだけではなく、医療事務やIT部門のスタッフ、さらには患者も含まれます。これら多様なステークホルダーから1つのペルソナを設定するには判断基準が必要ですが、サービス対象領域の選定時と同様にチームは明確な判断基準を設けていなかったためペルソナ作成は困難でした。
検討メンバーは、これ以上の検討は難しいと判断し、デザインスプリントを途中で中止することを決定しました。

Case2からの学び「リサーチなきデザインスプリントは迷子になる」

Case2では、デザインスプリントの中止というCase1以上に深刻な結果になってしまいましたが、何が原因だったのでしょうか?
それの原因は、この案件がデザインスプリントの開始条件を満たしていなかったにもかかわらず、実施してしまったことにあります。B社の場合は「モノ売りからコト売りへのシフト」というミッションはあったものの、どのような領域で、誰を相手にするのかを決めていませんでした。

多くのデザインスプリントに関する書籍や記事では、デザインスプリントの開始条件については書かれていません。そのため、「デザインスプリントはいつでも始められるハードルが低い手法だ」と勘違いしてしまう方がいますが、これは大きな間違いです。
確かにデザインスプリントはアイデアを高速に検証できる優れた手法ですが、なにも準備せずにいきなり使えるものではなく、「サービスを通して誰にどんな価値を提供するか」が明確になって初めて、その真価を発揮します。

デザインスプリントのポイントはユーザーに深く共感することです。個人が特定できるくらいの詳細なペルソナを作成し、そのペルソナが体験する潜在的なペインを見定めることが重要です。そのためには、「誰を対象にするのか」「どんなシーンで利用されるのか」を明確にすることが不可欠です。そして、数あるペインの中から注力すべきものを決めるために、判断軸となる「どんな価値を提供するか」を前もって決めておくことが必要です。

しかし、「誰にどんな価値を提供するか」という問いに対する答えは非常に重要ですが、すぐに得られるものではありません。新しいサービスを開発する際は、いきなりデザインスプリントを始めるのではなく、まず自社の内部・外部環境の分析といったリサーチを行い、その結果をもとに自社や顧客、その他のステークホルダーの目指すゴールを設定することが重要です。

まとめ:「スプリント」だからこそ事前準備は万全に

デザインスプリントは、ユーザーの潜在的な課題を明確にするために行うものですが、適用する対象やタイミングを誤ると効果が得られにくくなります。デザインスプリントの活用を考える前に、「個別のユーザーに焦点を当てるべきテーマか」、「価値提供する相手が誰か」を確認してください。また、正しく実施しても、答えが一度で見つかるとは限らず、最初は期待通りの結果が得られないことがほとんどです。しかし、デザインスプリントのもたらす価値は、アイデアに対するユーザーの生の声を得ることであり、そのフィードバックをもとに継続的な改善を行っていくことが大切です。

NRIでは、デザインスプリントの効果を最大化するためのゴール設定から仮説検証まで行うサービスデザイン・仮説検証支援や、その後のMVP開発におけるアジャイル開発支援の提供などを行っています。
新規事業の企画や仮説検証に関してお困りの際は、ぜひご相談ください。

執筆者情報

  • 阿部 雄己

    システムデザインコンサルティング部

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