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「女性の経済的自立」の実現には何が必要か

(3)働き控えを解消する「『年収の壁』突破給付」で物価高と人手不足の克服を

2023/02/01

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前々稿前稿では、最低賃金の引上げなどによる近年の時給上昇が必ずしも有配偶のパートタイム女性(以下、有配偶パート女性)の所得増につながっていないことや、その背景にある「年収の壁(その金額を超えると税や社会保険料の負担額が増え、手取り収入の減少が生じる境目)」の実態を見てきた。
NRIが2022年9月、全国20~69歳の有配偶パート女性3,090人を対象に実施したアンケート調査(以下、NRI調査(2022年9月)。調査の概要は本稿末尾記載の通り)では、回答した有配偶パート女性のうち61.9%が、「自身の年収額を一定の金額以下に抑えるために、就業時間や日数を調整している」と回答し(図1)、「就業調整」をしている有配偶パート女性のうち約6割(59.4%)が、「時給の上昇を背景に、以前より『就業調整』をしなければならないことがあった」と回答した(図2)。自身の収入が「年収の壁」の手前となるように「就業調整」を実施している有配偶パート女性が多く、時給上昇が一層の「就業調整」につながっている様子がうかがえた。

図表1 「就業調整」の実施有無(有配偶パート女性)

図表1 「就業調整」の実施有無(有配偶パート女性)

出所:NRI「有配偶パート女性における就労の実態と意向に関する調査」(2022年9月)

図表2 時給の上昇で以前より「就業調整」をせざるを得ないと感じた経験の有無
(「就業調整」実施の有配偶パート女性)

図表2 時給の上昇で以前より「就業調整」をせざるを得ないと感じた経験の有無(「就業調整」実施の有配偶パート女性)

出所:NRI「有配偶パート女性における就労の実態と意向に関する調査」(2022年9月)

他方で、日本の物価は昨年から上がり続けている。2022年12月の全国消費者物価は前年同月比で4.3%上昇し、頻繁に購入する品目に限ると同9.9%増だった。生活実感としては、日々10%程度の負担増を感じていることになる。これを受け、政府は経済界に対して物価の上昇率を超える賃上げ実現への協力を呼びかけ、労働組合の中央組織「連合」も基本給を引き上げる「ベースアップ」相当分と定期昇給分とを合わせて5%程度の賃上げを求める方針を示した。
賃上げが待ったなしであることに異論はないが、仮に5%程度の賃上げが実現したとしても、10%にも及ぶ物価上昇負担感の大きさを考えれば、5%程度の賃上げだけではこころもとないのが実状だ。

今から30年前、我が国では、夫婦のうち男性のみが働く片働き世帯が主流だった。その後、夫婦がともに働く共働き世帯が増加し、1997年には共働き世帯の数が片働き世帯の数を上回った。その後も共働き世帯は増加し、現在、雇用者世帯(注)の2/3が共働き世帯だ。しかし、共働き世帯の半数以上(約6割)が、少なくとも夫婦のどちらかが非正規雇用で働いている共働き世帯である。新型コロナウイルス感染症が拡大する中で、非正規雇用労働者の雇用が極めて不安定であることが改めて問題視されたが、いわゆる“家計のダブルエンジン”と言い切れる状況にない共働き世帯がまだまだ多いのが我が国の実態なのだ。希望する人が非正規雇用から正規雇用に転換できる環境整備や支援の重要性は言うまでもないが、進行する足元の物価高にスピード感を持って対応するという意味では、非正規雇用労働者においても、自らの収入を増やせるることも重要だ。増える非正規雇用を含む共働き世帯において、世帯収入の増加に直結するためである。

NRI調査(2022年9月)では、「就業調整」をしている有配偶パート女性の約8割(78.8%)が、「『働き損』がないのであれば、今よりも年収が多くなるように働きたい」と回答した。「働き損」の発生が、本当は今より多く働けるのに、手取りが減ることを回避するために働くことを控える「働き控え」につながっている様子がうかがえる。
「年収の壁」は、夫が働き妻が家庭を守るという世帯が一般的だった時代に、所得のない専業主婦にも年金を受け取る権利を与えようと生まれた経緯がある。しかし、先に述べたように夫婦がともに働いて家計を支えることが珍しくなくなった現在、制度が主に働く妻の働く意欲を阻害するという状況を生んでしまっている。

図表3 「働き損」がなければ今よりも年収が多くなるように働きたいか
(「就業調整」実施の有配偶パート女性)

図表3 「働き損」がなければ今よりも年収が多くなるように働きたいか(「就業調整」実施の有配偶パート女性)

出所:NRI「有配偶パート女性における就労の実態と意向に関する調査」(2022年9月)

「働き控え」は、本人が収入を得られる機会を失ってしまっているだけでなく、企業などの人材確保機会の損失にもつながっている。年収額が決定する年末に向けて「就業調整」はピークを迎えるが、昨年末も、もとからの人手不足も相まって、非正規労働者が多く働くサービス業などを中心に人手不足は一層深刻となった。例えばホテルや旅館では稼働率を抑えたり、正規雇用者の時間外労働を大幅に増やしたりするなどして対応していた。全国旅行支援や水際対策の緩和によるインバウンド需要の増加で期待された業績回復の足かせになった。

働き手の働く意欲を阻害し、収入を得る機会を失うような現状の改善は待ったなしだ。 岸田政権が進める全世代型社会保障への改革のなかでも、働く時間や雇用形態にかかわらず、全ての働く人を会社員と同じように厚生年金と健康保険に加入させる「勤労者皆保険」の実現を目指している。働く誰もが社会保険料を負担するようになれば、少なくとも「働き損」はなくなり、就業調整の必要はなくなる。収入に応じて社会保険料を負担し、勤労者が等しく社会保険の恩恵を受けられるようになることには賛成だ。しかし、そのような最終形へのロードマップは未だ示されていない。明らかになっている被用者保険の段階的適用拡大の準備を行う間にも、働き手が収入を得る機会、事業者が人手を確保する機会が失われ続けていく。

そうであれば、「年収の壁」を超えて働くことで減ってしまう手取り額相当分を政府から給付することで、実質的に「働き損」をなくし、それぞれが可能な範囲まで働いてもらってはどうか。我々はこれを「『年収の壁』突破給付」と呼んでいる。

「『年収の壁』突破給付」、すなわち「年収の壁」を超えて働くことで減ってしまう手取り額相当の現金給付を受け取ることが可能になることで、現在、「働き損」を回避するために就業調整を行っている非正規労働者が労働時間を2~4割増やすことができたと仮定する。「働き損」を回避するために就業調整を行っている非正規労働者の多くが年収100万円前後で就業調整をしているので(NRI調査(2022年9月)より)、労働時間が2~4割増えたときの年収は120~140万円、世帯年収が20~40万円増えることになる。これは4~8%の賃上げに相当する家計へのインパクトである。
世帯年収の増加による経済再建効果も期待できる。年収100万円未満で働く人の労働時間が2~4割増加したことによる収入増総額は1.3~2.0兆円/年。収入増による需要増加で期待できる追加生産は1.3~2.2兆円、追加生産によって新たに雇用者報酬0.3~0.5兆円が発生し、これが家計に回る。総額で2.9~4.7兆円の経済波及効果が見込まれる。最大でGDP約1%に相当する経済効果が期待できる。
「『年収の壁』突破給付」は、家計への効果、経済再建への効果に加えて、新たな労働力の確保、さらには岸田政権が掲げる「新しい資本主義」の中核に据える女性の経済的自立、分厚い中間層の復活にも直接的に寄与する。

もたらす効果のみならず、「『年収の壁』突破給付」には施策推進上の利点が3点ある。

1点目は、社会保険料収入増で、国家財政として歳入増が見込める施策である点である。 給付に必要な予算は約6,000億円と試算されるが、一方で、給付対象者は新たに社会保険に加入するため、社会保険料収入が増える。労働者の自己負担分は給付予算と相殺されるが、企業が負担する分の社会保険料収入分の歳入増を見込むことができる。

2点目は、給付は恒久措置ではなく時限措置でも可能であるという点である。今のペースで時給が上昇すると5年後には時給1,500円近くになる見通しだ。給付によって労働時間が2割増え、それが継続されると、5年後の年収は「働き損」が発生しない年収に到達する。給付を行って「働き損」を解消させる必要性は消失するのだ。

3点目は、既にある仕組みの活用で、短期間かつ低コストで給付が実現可能である点である。具体的には、マイナポータルや公金受取口座、e-TAXなどを活用することで、対象者に直接給付することが可能である。

とりわけ、2点目の理由から、「『年収の壁』突破給付」は、岸田政権が目指す「勤労者皆保険」実現へも橋渡しし得える施策だと考える。

企業の社会保険料負担が増えることは避けられないが、深刻な人手不足の中で、新たな人を採用し、教育することにかかるコストを考慮すれば、今働いている従業員に追加で働いてもらうために社会保険料を負担することへの抵抗感は小さくなっているのが実状だ。加えて、国も、短時間労働者の労働時間を増やし新たに社会保険に適用した場合に、1人当たり最大22.5万円の助成金を受け取ることができる「キヤリアアップ助成金」を用意し、事業者の背中を押している。 しかしながら、NRI調査(2022年9月)で、「就業調整」をしている有配偶パート女性の9割近く(87.2%)が、「自分や家族の意向で『就業調整』」をしていると回答している。働き手側にも「就業調整」をしなくてもいいと思えるインセンティブが必要だ。
事業者を対象とした既存の「キヤリアアップ助成金」と、働き手を対象とした「『年収の壁』突破給付」とが両輪としてうまく回れば、企業・労働者双方が「年収の壁」を乗り越え、人手不足解消と世帯収入増といった双方の課題を解決できる。
世帯収入の増加による経済活性化で、さらなる賃上げ余地の拡大や国民の将来展望についての意識の好転も期待できるだろう。「『年収の壁』突破給付」を、成長と分配の好循環による新しい資本主義の実現の突破口にしてはどうか。
なお、持続的な社会保障実現と世帯所得の引上げによって、「“異次元の”少子化対策」にも直結するものと考える。

  • (注)

    雇用者世帯とは、最多所得者が雇用されている者である世帯を指す。

【調査概要】

調査名 有配偶パート女性における就労の実態と意向に関する調査
調査時期 2022年9月12日~9月13日
調査方法 インターネットアンケート
対象者および回答数 全国の20~69歳で、パートもしくはアルバイトとして働く有配偶の女性 3,090人
  • ※ 

    調査結果の数値は、総務省「平成29年就業構造基本調査結果」に基づき、有配偶のパート・アルバイト女性の年代別の構成比(10歳刻み)に合わせてウエイトバック処理を行っている。なお、図中には、実際に回収したサンプル数を記載。

  • ※ 

    本稿の図1および図3は、2022年9月30日発表のニュースリリースにて既出。

執筆者情報

  • 武田 佳奈

    未来創発センター グローバル産業・経営研究室

    エキスパート研究員

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