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「最低賃金1,500円」の課題:「就業調整」による人手不足をどう解決するか

2024/10/25

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石破茂首相は、2030年代半ばまでとしていたこれまでの政府目標を前倒しし、「2020年代に最低賃金を全国平均1,500円に引き上げる」と発言した。現在行われている衆議院選挙でも複数の政党が「最低賃金1,500円への引き上げ」を公約に掲げる。

日本の最低賃金は世界的に見て極めて低いことに加え、最近の国内の物価上昇を受け、最低賃金の大幅な引き上げによる処遇改善は我が国喫緊の課題だった。今年10月、最低賃金は全国平均で1,055円となった。昨年度から51円の引き上げは現在の方法で決めるようになった2002年以降で最大だったという。それでもなお他国の水準には見劣りし、実質賃金も伸び悩んでいることを考えれば、早々に最低賃金を1,500円まで引き上げようとする動き自体は歓迎されるものである。
最低賃金の引き上げで影響を受ける人は少なくない。株式会社リクルートジョブズリサーチセンターの「2024年度最低賃金改定の影響に関する調査レポート」1によると、今年8月時点の求人情報のうち、改正後最低賃金を下回る求人の割合は全国で37.4%となっている。職種別にみると、「販売・サービス系」で最も高く45.4%、「フード系」で41.0%と高い。このことは、最低賃金の引き上げが多くの人の時給上昇につながることを意味する。

ところが、時給が上がっても収入が増えない人がいる。背景にあるのは、税制(所得税・住民税)、会保障制度(社会保険適用)、配偶者の勤務先から支給される「家族手当」等を意識し、パートタイムで働く妻が、自身の年収を一定額以下になるよう就労時間を調整する「就業調整」の存在だ。

具体例で説明したい。現在の最低賃金と同等の時給1,055円で、年収が100万円以下になるよう「就業調整」しているパート就労者Aさんを想定する。Aさんが年収100万円以下で就労可能な時間は単純計算すると月79時間になる。最低賃金の引き上げに伴って、Aさんの時給が1,500円になったとする。Aさんが引き続き年収100万円以下で働こうとすれば、Aさんの就労可能な時間は月55.6時間となり、現在より約3割、就労可能な時間が減る(図1)。

図1 2029年に時給1,500円になった場合の月総労働時間の推移
(年収100万円で「就業調整」する人の場合)

(注)「時給(最低賃金ベース)」は、厚生労働省「令和6年度地域別最低賃金改定状況」の全国加重平均額1,055円を参考に2024年の時給を1,055円と設定し、その後2029年に1,500円となるよう算出した年ごとの平均成長率を用いて、各年の「時給(最低賃金ベース)」を算出している
(出所)NRI試算

時給上昇をきっかけに、「年収の壁」を超えて働こうとする人もいるだろう。しかしながら、これまで人手不足などを背景にパート労働者の時給を上げた事業者からは、時給引上げの結果、シフトに入る回数を減らす人が続出して困っているという声を多く聞く。
ちなみに、前述のAさんが時給1,055円の際に週4回シフトに入っていたとする(1回のシフトは4時間勤務と想定)。Aさんの時給が1,500円に引き上がると、週3回しかシフトに入れなくなってしまう。このことは、Aさんのようなパート労働者が20人いる職場の場合、5人分の労働が失われるインパクトを意味する(図2)。募集しても採用できない空前の人手不足のなかでこのインパクトの大きさは看過できないだろう。

図2 2029年に時給1,500円になった場合の人手不足への影響
(年収100万円で「就業調整」するパート労働者20人の職場の場合)

(出所)NRI試算

少し視点を変えてみたい。日本は、長く続いたデフレから脱却するため「2%の物価上昇」を安定的に実現することを目標に掲げている。すなわちAさんのように年収100万円で働き続けようとする場合、物価上昇率を加味した実質的な年収額は100万円を下回ることになる。2020年代最後の2029年に最低賃金が1,500円になると仮定し、その時も年収100万円以下になるよう働き続けようとした場合、毎年2%ずつ物価が上がっていった場合の2029年の実質的な年収額は90.6万円となる(図3)。時給が上がると収入が増えないどころか、実質的には収入が減ることになるというわけだ。

図3 2029年に時給1,500円になった場合の年収推移
(年収100万円で「就業調整」する人の場合)

(注)年収(実質)については、2025年以降の毎年の物価上昇率を2%と仮定して推計している
(出所)NRI試算

政府は、雇用形態や勤務時間に関わらず、働く人全員が健康保険と厚生年金に加入する「勤労者皆保険」の実現を目指している。これが実現すれば、すくなくとも社会保険料の自己負担を回避する目的の「就業調整」は必要なくなる。しかしながら一足飛びに「勤労者皆保険」を実現することが難しいのも事実だ。
そこで、我々は、社会保障制度の見直しを確実に進めるとともに、その間の人手不足による経済的ダメージを回避する目的で、時給上昇による「さらなる就業調整」を回避する打ち手を講じることが有効だと考える。具体的には、「年収の壁」を超えて働くことで減ってしまう手取り額相当分を政府から給付することで、実質的に「働き損」をなくし、それぞれが就労可能な範囲まで働いてもらう取組が有効だと考えている。この案については、2023年2月1日公開のコラム2で説明しているので参照されたい。

「最低賃金1,500年への引き上げ」を目指すのであれば、その効果、すなわち国民の所得増やそれを通じた消費の拡大による経済成長、が最大となるよう、「年収の壁」のような付随する課題解決の対策とともに実現することを期待したい。

執筆者情報

  • 武田 佳奈

    未来創発センター 雇用・生活研究室長

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