ウェルビーイングは、なぜこんなに広いのか
「ウェルビーイング」という言葉、便利すぎないだろうか。
健康もウェルビーイング。働き方もウェルビーイング。地域もウェルビーイング。教育も、環境も、人間関係も、ウェルビーイングらしい。
これほど多くのテーマを包み込める概念の広さ。これがこの言葉の強さである一方、「結局、ウェルビーイングとは何なのか」と戸惑う理由にもなっている。
しかし、この概念の広さは、単にいろいろ混ざって曖昧になった結果である、と思考を止めるには惜しい。社会が複雑になり、一つの側面だけでは「良く生きられる状態」を捉えきれなくなっているからこそ、ウェルビーイングという広い言葉が必要とされているという状況が見えてくるのではないだろうか。
2026年5月に公表された国連のBeyond GDP1に関する最終報告書2では、ウェルビーイングとは「個人だけの状態ではなく、個人、コミュニティや社会、そしてそれらを支える地球を結びつける共通の条件(shared condition)」として捉えている。
つまり、ウェルビーイングを考えることは、個人の幸福だけでなく、人・社会・地球がよりよく生きるための条件を考えることでもある。
日本では、ウェルビーイングというと、個人の幸せや生活への満足といった、個人の内面に近いものとして捉えられることも多い。しかし、それだけでは、幸せを支える社会の状態まで捉えることは難しい。
このような中で、ウェルビーイングは「私たちが良く生きられるための条件」を、個人から社会、そして将来世代まで広げて考えるための言葉になりつつある。
また、社会課題は、相互に影響し合うものとして捉えられている。例えば、World Economic Forum3では、社会における政治・文化・アイデンティティなどの分断が誤情報や偽情報などによって増幅されていることや、不平等が他のリスクと最も強くつながるリスクであることが挙げられている。
身近な例で考えてみても、複数の問題がつながり、互いに影響を及ぼしていることが分かる。
地域の公共交通が縮小すれば、単に「移動しにくくなる」だけではない。通院や買い物が難しくなり、人とのつながりが弱まり、地域経済にも影響する。移動という一つの問題が、健康、生活、コミュニティ、経済といった複数の領域につながる。
これらの背景もふまえ、複雑になった社会を捉えるために、私たちの側が広い概念を必要とするようになったともいえるのではないだろうか。
ウェルビーイングという「地図」から何が見えるのか
ウェルビーイングを「私たちが良く生きられるための条件」と捉えると、どうやって事業や経営に引き付けたらいいのか。
例えば、ウェルビーイングを「地図」のようなものだと考えるとわかりやすいのではないか。
地図には、都市も道路も山も川も載っている。しかし、実際に地図を使うとき、すべての情報を見るわけではない。災害への備えならハザードマップ、旅行なら観光地図、登山なら地形図を見る。同じ場所でも、何を知りたいかによって、見る範囲や縮尺、目を向ける場所が変わる。
ウェルビーイングも同じである。個人に焦点を当てれば、健康や生活の質が見えてくる。人との関係やコミュニティまで広げれば、つながりや信頼が見えてくる。地域、社会、さらに地球へと視野を広げれば、環境や社会基盤との関係が見えてくる。
さらに、見る時間軸も変えられる。いまの暮らしだけでなく、10年後、20年後、将来世代まで視野に入れる。「誰の、どこまでの、いつのウェルビーイングを見るのか」によって、同じ事業でも見えてくる役割は変わる。
このウェルビーイングという地図に企業の事業を重ねてみると、具体的に何が見えてくるだろうか。
問われるのは「この事業は社会の中で何を成立させているか」
企業は通常、自分たちが提供する商品やサービスを起点に事業を捉える。通信なら通信サービス、物流ならモノを運ぶサービス、金融なら資金を提供するサービス、といった具合である。もちろん、それ自体は間違いではない。
しかし、ウェルビーイングという地図に事業を重ねてみると、商品やサービスそのものだけを見ているときには捉えにくかった、社会とのつながりや、事業が成り立つ条件が見えてくる。
たとえば、通信事業を「通信サービスを提供する事業」として見れば、通信品質や料金、契約者数などが重要になる。ところが、少し縮尺を変えて社会との関係まで見てみると、通信は人と人をつなぎ、情報へのアクセスを支え、社会参加の可能性を広げる基盤でもあることが見えてくる。
物流でも同じことが言える。荷物を効率よく運ぶ事業として見れば、配送スピードやコストが重要になる。一方で、社会との関係まで視野を広げれば、人やモノ、地域をつなぎ、生活や事業活動を支える役割を担っていることが見えてくる。
さらにBeyond 2030時代において重要なのは、「この事業は社会にどんな価値を提供しているか」というよくある問いを逆向きにすることである。
「どんな社会の状態があるから、この事業は人々にとって意味を持つのか」。
もう少し具体的にすると「私たちの事業は、どんな社会の状態の中で、誰の、どのような『良く生きられる状態』を成立させているのか」と問い直すことである。
この問いに立つと、事業そのものを考え直すことにもつながる。
例えば、地域で人々が暮らし続けるためには、移動手段があり、必要なものが届き、情報につながれることが必要になる。そう考えると、交通、物流、通信は、それぞれ別々のサービスでありながら、「地域で暮らし続けられる」という一つの社会の状態を支えている。
また、社会の状態が変われば、その事業が必要とされる理由も、事業の成立条件も変わる。
人口減少によって地域の交通が維持できなくなれば、人々の移動や買い物、医療へのアクセスだけでなく、物流や通信など、周辺の事業に求められる役割も変わっていくかもしれない。
そのとき必要なのは、必ずしも新しい商品やサービスをつくることだけではない。社会の変化に合わせて、「自分たちは社会の中で何を成立させているか」を捉え直すことも、事業を持続させるための重要な視点になるのではないだろうか。
そう考えれば、通信や物流も、単に利便性を提供するだけでなく、人々のつながりや暮らし、地域の活動が続いていくための基盤を「ケア4」していると捉えることもできる。
重要なのは、「これはウェルビーイングです」と言って、曖昧に捉えたまま終わらないことである。
ウェルビーイングという地図に事業を重ねて見直すことで、社会の中で「良く生きられる状態」が何によって支えられているのか、そして、その中で自分たちの事業がどのような役割を果たしているのかが見えてくる。
その先に、これまでとは違う事業の意義や強化すべき観点が見えてくるのではないか。
- 1Beyond GDP:GDP(国内総生産)だけでは測りきれない、人々のウェルビーイングや環境などを含め、社会の進歩をより多面的に評価するための枠組み
- 2United Nations The High-Level Expert Group on Beyond GDP“Counting What Counts: A Compass of Progress for People and Planet”2026年5月7日
- 3World Economic Forum “Global Risks Report 2026”2026年1月14日
- 4ケア:人や関係、暮らしが続き、傷んだものが回復し、社会に参加し続けられる状態を支える営みである。社会を維持・継続・修復する、広い概念として捉えられる。
参考:NRI「顧客課題の“ケア化”が変えるビジネスの未来」 2026年8月17日
プロフィール
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中田 舞のポートレート 中田 舞
経営コンサルティング部
京都大学大学院農学研究科修了、2017年野村総合研究所入社。主に企業のサステナビリティ経営推進を専門として、ビジョン策定・経営計画の立案・実行、統合報告書や非財務情報の開示、経営戦略やビジネスモデルに基づく人的資本・自然資本の課題特定と施策強化などのプロジェクトに従事。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。