1.「DXは終わった」のか?
最近、ビジネススクール、製造業関連のユーザー企業のCIOやIT産業の懇親の場で、「日本ではDXはもう終わったでしょうか?」とよく問われる。確かにキーワードとしての「DX」は徐々にメディアで使われなくなってきているようにも感じる。一方、約2年前の生成AIの衝撃的な登場以来、いわば“経験と勘の形式知化・組織知化”ブーム、さらにAIエージェントによる抜本的なヒューマンインターフェイスの革新、特にホワイトカラー業務の自動化が、米国NRFやハノーファーメッセなどの海外カンファレンスでの話題をさらっている。参加者曰く「もう生成AI抜きにはエンタープライズシステムの議論はできませんよ。ものすごい勢いで生成AIがエンタープライズシステムに取り込まれています。もうDXというキーワードは古い。これからはAIエージェントがキーワードです」という具合である。
NVIDIAのGPUを活用したデータセンターへの投資額は、世界中で少なくとも100兆円を超える規模になるそうである。話題になるのは当然である。一方で米国ITアナリストの予測する今年の論点には「生成AIのマネタイズ」がある。技術革新をユーザー企業のビジネス価値へ結びつけるのは必ずしも容易ではない。
こうしたIT環境の変化が顕著であることも理由の1つとなり、冒頭の「DXはもう終わったのでしょうか?」という日本のユーザー企業の質問に繋がっている。一方、このような現象をこれまでにも経験したことがあると考える経営者は多いだろう。古くは90年代半ばから、SIS(戦略情報システム)、BPR、CALS、ERP、SCM、CRM、EC、B2Bマーケットプレイス、ITバブル崩壊、GDS、CPFR、カテゴリマネジメント、オムニチャネルリテイリング、リアルタイムコマース、インダストリー4.0、そしてIoT、ビッグデータ、DL、DX、クラウド化、インメモリ革命、S4HANA、PLM、メタバース、第4次産業革命、ブロックチェイン、Web3、DAO、NFT、生成AI、リテイルメディアネットワークス、モダナイゼーション他である。もちろんこれ以外にも多々キーワードがあった。いわゆるIT産業のマーケティングキーワードやセールスコンセプトはITアナリスト軍団の掛け声よろしく、“みかけ上の表現”を変えて既に過去30年以上推移してきた。
筆者はこれらを全否定するつもりは毛頭無い。確かにその時々での技術革新テーマの本質を理解せずにユーザー企業が投資意思決定を行うのはさすがに不健全であろう。
しかしながら、経営者はすべからく、事業のスピードを落とすことなく、これらキーワードの根底にある技術革新や経営へ与えるインパクトの本質を理解し、自らの事業と業務水準、ITアーキテクチャーに照らし合わせた上で、将来のブループリントを描き「今後、わが社はビジネスモデルを○○へ変革すべきだ、そのためには業務プロセスを〇〇に高度化させることが重要。このため、まず○○から投資を行うべきだ」というデジタルビジネスモデルへの変革ロードマップを立案し、自信をもって十分な投資の意思決定を行わねばならないのだとしたら、一人の人間にはあまりに荷が重すぎる。そのために、CIOやCDOが存在しているわけである。とはいえ、せっかくDXのために外部からCDO人材を登用したものの、業務革新についての組織横断での次世代リーダーから構成されるチーム組成などの権限は与えず、「これも一時的なブームなのではないか」という現場ユーザーとの板挟みの中でCIO、CDOが力を発揮できていない企業も少なくない気がする。その結果、多数のキーワードに翻弄されたものの本質的な業務革新はあまり進まず、エンタープライズシステム、いわゆる基幹システムはこの30年基本変わってこなかったのではないだろうか。
一方、大企業を含むユーザー企業経営層の昔からの変わらぬ問題意識は「事業の俊敏性やスケーラビリティ能力の獲得」であるが、残念ながら「ITがむしろ変革の制約になっている。事業の可視性がいつになっても向上しない。事業モデルの機敏な転換などできる気がしない」という経営層の嘆きも多い。
特に「日本本社のIT部門がカバーしている事業組織のIT投資が遅れており、グローバルの可視性に乏しく環境変化への対応がいつも後手に回る。人海戦術で何とか対応しているのは凄いが、積極的にIT投資を行いエンタープライズITのサービスレベルを向上させないとグローバル企業として今後は困ったことになるだろう」という指摘が「米国や欧州の地域本社のIT部門CIOからなされるようになって久しい」という企業は案外多いのではないだろうか。特に、OM(業務マネジメント)とITマネジメントを現地CIOに任せている企業ではこのケースが多いようである。
もちろん、逆のパターンもある。「米国、欧州の事業所(工場が多い)のITは日本より遅れており、原価計算はエクセル、計画立案もエクセルとホワイトボード、財務会計は簡易ツールで月次で財務情報だけを本社に報告している。品質管理のためのデータは各々の現場のPCに蓄積されている。このためトレーサビリティを問われると人海戦術での対応になる。もちろん欧米の支社からそんな高度な指摘がなされることはない」という企業もあるかもしれない。これはこれで大きな問題を孕んでいる。おそらく、こうした2極化した姿が現実ではないだろうか。
結論を先に申し上げると、DXはまだ本格的に始まっていない企業が多数派だと筆者は考えている。もっともBPRの際に財務会計分野についてのみERPを導入し、DXとERPのバージョンアップとを同義と考えている企業では「DXは無事終了した」という向きもあるかもしれない。もちろんERPのバージョンアップにも難儀している企業も複数存在することも事実である。これは別のコラムで書きたいと考えている。
本コラムでは、なぜ本格的なデジタル投資が加速しないのか、またデジタル投資の価値を経営はどのように評価して投資意思決定すべきなのか、起案や意思決定の方法はどうあるべきか、などについてあらためて俎上にあげたい。
プロフィール
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藤野 直明のポートレート 藤野 直明
産業ITイノベーション事業本部 人材企画室
兼 コンサルティング事業本部 兼 システムコンサルティング事業本部 兼 産業グローバル事業本部1986年に野村総合研究所入社。政府や自治体への政策研究、企業の業務改革などに携わる。日本オペレーションズリサーチ学会フェロー、オペレーションズ・マネジメント&戦略学会理事、ロボット革命協議会インテリジェンスチーム・リーダー、早稲田大学大学院客員教授他、大学、大学院での社会人向け講義も行っている。著書に「サプライチェーン経営入門」(日本経済新聞社:中国語翻訳も出版)、「サプライチェ-ン・マネジメント 理論と戦略」(ダイヤモンドハーバードビジネス編集部)
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