1.日本特有の閉塞を生んでいる4つの根本要因
前回は、複数の製造業企業やITパートナー企業との従前からの議論から、当事者の胸のうちを単純化し大胆に俯瞰してみた。しかしながら、こうした比較的想像しやすい嘆きの中からも、日本のユーザー企業とITパートナーとの常識の中に、デジタル投資の加速を妨げている要因が抽出できるのではないだろうか。少なくとも日本特有の閉塞を生む大きく4つの根本要因が存在している。
①業務プロセスとITとのマネジメントが軽視され、責任主体(役員)が不在であること
ユーザー企業側に、全社の業務マネジメントやITマネジメントについての責任主体(役員)がいない。CDOはAIに長けた外部人材、CIOは事実上ITの調達機能を担う部長となっている企業が多い。このため全社の業務とITとの整合性がとれた変革管理、及び長期にわたる投資の起案責任があいまいになりがちである。この結果、「経営環境変化に対し、会社全体が機敏に適応するための業務プロセスやIT基盤の整備」という組織横断の重要課題は起案されにくい。議論すらされない危険性もある。かつて、IT投資を行い、失敗したIT部長を更迭したことが遠因となり、その後のIT部長は新たな起案に躊躇してしまう。その結果、ITパートナーからの営業レベルでの情報や提案への依存が加速する。
この背景には、経営は「システム」であり「システム」を良くすることが重要で、「財務視点からのKPIだけを下部組織のブレイクダウンし要素還元主義での目標管理を行うだけでは難しい」という考え方が実現できていないからなのではないだろうか。
②先進的な業務革新の知識やノウハウが乏しく、また学習する場も乏しい
残念ながら、ユーザー企業のIT部長は、ITパートナーに海外企業を含めた先進事例を集めさせ、現場に提示することが自分の仕事と考えている傾向があり、企業業務全体を俯瞰して業務とITとのブループリントとデジタル投資のロードマップを描くことを自身の管掌範囲と捉えていないことが多い。もちろん、ITパートナー側にも先進的な業務設計を行うことができるコンサルタントは希少であることも理由である。
背景には、海外のビジネススクールや工学系修士では常識となっているOM(オペレーションズマネジメント:企業活動における多様な業務の企画・設計・カイゼンなどのマネジメント)領域、巨大システムの設計・開発・運用の技術であるSEBoK領域の教育や学習環境が、日本では極めて限定的であることがある。かつては経営(システム)工学などの学科が日本でもかなりのプレゼンスがあった。しかしながら、大学への交付金が削減される中で「経営工学」は文理の狭間に埋没し、近年はデータサイエンスを中心とした学科群に変容を遂げた。「お客様がDXで何をやりたいか話してくれない」というデータサイエンスの専門家に、品質管理やSCM、経済性工学などの経営工学の基礎知識を尋ねると「それはお客様のノウハウですので……」という返事が多い。実は、データサイエンスだけでは、経営や業務設計まではまだ距離があるのである。これらを全てAIに任せるというのは少し乱暴であるし、これまでの学問蓄積を全て無視するというのは、さすがに非効率であろう。
③日本での本格的な業務改革が成功したとしても、その成果を海外へ展開できる可能性は乏しい
そもそもユーザー企業もITパートナーも「海外展開戦略を実現するためのIT投資や業務改革」という視点で設計をしてきたわけではない。業務設計は現場からのボトムアップが基本だったからである。実際、現場が使ってくれない情報システムは失敗とみなされてきた。現場は、当然ながら現状業務に固執する。ユーザー企業のIT部門からすれば、情報システムはITパートナーから調達してくるものであり、現場のユーザーは「お客様」である。「これでは使えない」と言って使わない権利(拒否権)は現場にあるようである。これは必ずしも経営が意図していたわけではないかもしれないが、経営からするとあまりに粒度が細かい議論であり、また短期的に解決できるわけではない。さらに開発ベンダーは他社である。このため「自社の現場ユーザーの声を尊重する」意思決定とならざるを得ないわけである。ここでも業務マネジメントやITマネジメントについての責任主体(役員)がユーザー企業に存在していないことが問題の遠因となっている。このままでは、日本でのIT投資の成果を海外展開できるようにはならない。
④ITパートナーも「本格的なDXについての提案」を行う動機に乏しい
ITパートナーは新しい要素技術には詳しいものの、例えば業界レベルのデータ連携基盤を利用し、国際標準を活用しつつグローバルな経営システムを大胆に提案していくことや、業種横断の本格的なDXの提案を能動的に行うことは得意ではない。日本のITパートナーからすると「顧客が明確でなく、企画・設計・費用負担の責任主体があいまいで、いつ本格化するかどうかわからない巨大システム開発プロジェクトのリスクは可能な限り避けよ」が定石なのだ。日本のITパートナーはプロジェクトの受託が基本であり、自らリスクを負って投資を行い成功した経験のある企業はごく少数である。たとえ顧客が明確であってもシステム要件や仕様が明確ではないプロジェクトはリスクが高いと評価する文化ともいえる。当然、ITパートナー企業に業界レベルや業種横断の本格的なDXを企画・提案する動機は乏しい。本格的なDXでは企業間・業種間のコーディネーション(調整:業務プロセスの業界間合意形成)が鍵となる。企業間調整は①で示したように役員レベルのリーダーシップが曖昧となりがちで、期間や工数が読めず、リスクが高い。「日本特有のいわゆるあいまいな商慣行」に付き合う余裕はITパートナーには無いのである。ソサエティ5.0が、海外で高く評価されつつあるにも関わらず、日本では関心が薄れている理由は、このような受託型のIT産業の文化との相性が悪いことに加え、経営や産業を「システムと捉える視点」が弱いこと、SEBoKなどのモジュール型の巨大システムの設計・開発・運用技術についての知識が臨界を超えていないことが理由ではないだろうか。
2.ユーザー企業とITパートナーが執るべきアクション
上記4つのポイントから考えると、ユーザー企業、ITパートナー企業の行動計画は比較的明らかであろう。
1)ユーザー企業は「役員としてのCIO・CDOのリーダーシップの下で国際水準のOM(オペレーションズマネジメント)人材の育成を図るべきである」
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ユーザー企業の経営層はまず自社のIT部長と十分なコミュニケーションをとるべきであろう。もしくは、IT部長ではなく、役員クラスのCIO(Chief Digital Officer ・Chief Operating Officer ・Chief Logistics Officer の一部を兼務してもよいと考える)を設置し、業務プロセスについても機能組織横断でマネジメントを行うことができるようにCIOの責任と権限を明確化することである。それによって、CIO直下の部門を単なるITサービスの調達組織ではなくIT+OM組織に進化させ、役員会議での当該テーマに対する常識のレベルを向上させていくべきである。問題が顕在化する度にIT部長に責任を取らせるのでは人材は枯渇し競争には勝てない。優れた若者はそのようなポジションには魅力を感じないからである。外部人材の登用も当該組織変革と併せて行うことが極めて重要だ。
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先進的な業務革新の知識やノウハウについて、外国企業を含むライバル企業の動向やケースについては常時調査・分析し、把握しておく必要がある。
競合企業が成功するまで何も行動しないのでは手遅れになる危険性が高く、事業として大きなリスクを抱えることになる。海外のビジネススクールで活況を呈している「DX関連のOMや経営工学の知識(SCM、品質管理、経済性工学等)や先進ケース、SEBoKについての基礎知識」を他社に先んじてモノにする活動を活発化させるべきであろう。国内事例の分析だけでは全く不十分である。 -
中長期的には海外の事情を踏まえた上で、日本での業務改革、IT投資の成果を海外へそのまま展開できるように工夫すべきである。
日本での業務改革やIT投資の成果が海外で利用できないということは、中長期的な視座にたつと競争上致命的な弱点となる。まず、日本でのITやデジタル投資が日本だけでしか経済効果を生まないという前提では、日本では大きな投資はできない。同時に、今後売上が拡大する海外事業部門において、日本とは全く別の業務設計やIT投資を行わざるをえなくなる。この結果、海外では日本で培った業務ノウハウという強みを使わずに競争に挑むことになる。人材も日本での経験者とは異なる別の人材を利用せざるを得ない。長期的な計画として、IT部門は海外が主導すればよい、と考えていたとしても、もしITが海外主導となれば、OM(業務マネジメント)や人材管理、経理、財務(ファイナンス)管理、グローバルなSCMなどは海外主導となっていくだろう。そうなると、もはや日本企業であっても、日本に事実上の本社機能は存在しないということにならないだろうか。実は、既にそういう企業も事業部門単位では複数出現している。
2)ITパートナーの悲願である「工数ビジネスからの脱却」は「顧客の成功(カスタマーサクセス)から収益を得るレベニューシェアモデルへ転換することで実現すべきである」
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ITパートナーが「工数ビジネスからの脱却を図るべき」ことは明らかである。しかしながら、その方向はハイリスクハイリターンの「大規模なソリューション投資を継続的に行うこと」だけでもないし、比較的ローリスクな「ベンダーロックイン」でもないだろう。経済産業省がパラサイトと喝破した日本のIT産業特有のビジネスモデルを抜本的に変革し「顧客の成功から収益を得る」ビジネスモデルに変革すべきである。
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ユーザー企業にとってはIT部門を内製化することは、もちろん有力な選択肢である。しかし、人材確保などの点からそれが容易ではない場合は、自社の収益(粗利益)に連動するレベニューシェア方式※でITパートナーと長期(10~20年)契約を結ぶという有力な選択肢がある。ユーザー企業が競争優位を獲得・維持し、飛躍的な成長を遂げることがITパートナーの収益向上にも直結するという契約形態への移行である。こうすることによって、はじめてITパートナーにとっても「顧客とともに繁栄する」Win-Winの関係が構築でき「工数ビジネスからの脱却」が可能となるのである。IT部門を子会社化し、そのシステム子会社をITパートナーに売却するよりも双方のリスクは小さい。
もちろんITパートナーのいわゆる面従腹背を回避するための「契約の設計技術」は重要である。現在のIT部長のKPIはITを費用とみているケースが多く、費用削減がKPIになりがちであるが、これでは縮小均衡に陥ってしまい閉塞から抜け出すことは難しい。
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ITパートナーからユーザーへの「新技術への本格的な投資提案」もレベニューシェア契約があれば、疑心暗鬼に陥らず早いタイミングで議論できるようになるはずである。相互の信頼の下でのレベニューシェア契約が可能となれば、ユーザー企業はもとより、ITパートナー企業にとっても比較的円滑に長期的な事業成長が可能となるであろう。
3.デジタル投資の経済価値の考え方~機敏なマネジメント能力のオプション価値~
日本の製造業にとって、今後の「デジタル投資の経済価値」は、高い成長が見込まれる海外へ事業展開し、グローバルなオペレーション(企画・運営・評価・カイゼンの管理)を容易に、より円滑に高度化していくにするための「業務プロセスとITとのマネジメント能力の獲得」にあるといってもよいのではないか。
こう考えると、その経済効果は各部門のKPIである「営業部門の売上拡大」や「原価低減」というような財務KPIで評価できる単純なものだけではない。獲得する「マネジメント能力」は、財務パフォーマンスとしては損益計算書上で直ぐには顕在化しない性質を有する「オプション価値(リアルオプションでの成長能力としての価値)」として評価すべきである。
もっとも、IRで証券アナリストから、売上と利益、コスト削減やキャッシュフロー創出を常に問われている経営層としては、機敏な「マネジメント能力」という「見えない価値」の訴求は難しいかもしれない。しかしながら、株価や企業価値は、本来、将来獲得することが予想されるキャッシュフローの現在価値の積分であり、本来は過去の予算達成力や収益状況(PL)で評価されるものでは無いのである。いわゆる「バックミラーだけ見ていても経営はできない」のである。
例えば、事業機会を発見してから参入するまでの期間を2年から6か月に短縮できる能力、経営の俊敏性は、競争力を格段に強化できる能力として高く評価されるべきである。今後、高い成長が予想される海外市場でそれができるかどうかを市場は日本企業に問うている。もちろんデジタル投資を進めたからといって来期からすぐに効果が発現するとは限らない。事業機会が都合よく到来するわけではないからである。しかしながら、遅滞なくアクセルとブレーキが踏める能力は、確実に将来キャッシュフローの期待値を拡大させるのである。
もしアナリストから投資効果について質問されたら「デジタルへの投資は『スピーディな海外展開能力の獲得のための投資』であり、リアルオプション(成長オプション)の価値である。事業機会に対し俊敏に経営ができ、新市場への参入と高速展開できる能力、併せて迅速に撤退できる能力が強化できる。ひいては、激変する経営環境の中でも当社の将来キャッシュフロー期待値は拡大するはずである」と説明してみてはどうだろうか。心あるアナリスト諸氏であれば理解してくれるはずである。
同時に中長期の海外展開戦略を説明することも極めて有効であろう。デジタル投資だけでは事業は拡大しない。ソフトウェアの比重をあげたサービタイゼーション型のビジネスモデル、オペレーションモデルへの変革を実現して、はじめて事業のスケールアウトが可能となる。これが本来、日本の製造業DXに求められている戦略である。
IT産業の側から考えても、長期俯瞰的な視野から考えると、特殊な日本のIT市場だけでしか通用しないロックイン型のビジネスモデルから早期に脱却し「顧客とともに繁栄する」路線へ転換すべきであろう。世界の投資家は、「顧客とともに繁栄する」健全な考え方を採用し、世界市場において成長力のある日本発の日本らしいIT企業を待ち望んでいるはずである。
以上
プロフィール
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藤野 直明のポートレート 藤野 直明
産業ITイノベーション事業本部 人材企画室
兼 コンサルティング事業本部 兼 システムコンサルティング事業本部 兼 産業グローバル事業本部1986年に野村総合研究所入社。政府や自治体への政策研究、企業の業務改革などに携わる。日本オペレーションズリサーチ学会フェロー、オペレーションズ・マネジメント&戦略学会理事、ロボット革命協議会インテリジェンスチーム・リーダー、早稲田大学大学院客員教授他、大学、大学院での社会人向け講義も行っている。著書に「サプライチェーン経営入門」(日本経済新聞社:中国語翻訳も出版)、「サプライチェ-ン・マネジメント 理論と戦略」(ダイヤモンドハーバードビジネス編集部)
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