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日本銀行が中央銀行デジタル通貨に関する報告書を公表

日本銀行は10月9日、「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針」と題する報告書を公表した。ただし、この報告書のなかでは、「日本銀行では、現時点で中央銀行デジタル通貨(CBDC)を発行する計画はない」ことを繰り返し強調している。実際のところ、仮に日本銀行が中央銀行デジタル通貨を発行するとしても、相当先のこととなるだろう。

10月2日にデジタルユーロの報告書を公表した欧州中央銀行(ECB)は、リブラとデジタル人民元を迎え撃つ姿勢を明らかにしており、強い危機感、切迫感を持ってCBDCの発行の是非を検討している(コラム「 デジタルユーロ構想に7つの狙い:デジタル人民元とリブラを迎え撃つ 」、2020年10月9日)。しかし、日本銀行はこの点では、強い危機感を持っていないだろう。また、北欧諸国のように、現金が急激に減り、それを代替する形でCBDCを発行する必要性も、今のところ日本にはない。

こうしたなか、日本銀行のこの報告書は、CBDCの基本的な機能や必要とされる条件などを論点整理したものある。

しかし論点の中には、日本銀行が目指すべきCBDCと考える姿の一端も示されている。さらに、「今後の取り組み方針」として、先行きの実証実験の具体的なスケジュールも示されており、CBDCの発行を検討する日本銀行の積極的な姿勢を、今まで以上に強くアピールするものとなっている。

実証実験の3つのフェーズのうち、思考実験(頭の体操)に近い第1フェーズについては、「2021年度の早い時期に開始することを目指す」としている。

国内向けに積極姿勢をアピール

日本銀行がこの報告書を公表した背景には、第1に、政府・自民党内で中国のCBDCであるデジタル人民元発行に対抗するため、日本銀行もCBDCを発行すべき、とする意見が強まっているという国内事情がある(コラム「 自民党が中銀デジタル通貨の早期導入を求める 」、2020年10月6日)。政府・自民党に対して、日本銀行が中銀デジタル通貨に積極的に取り組んでいることをアピールする狙いが、今回の報告書の公表にはあるだろう。

また、仮に国会が日本銀行法の改正などを通じて、CBDCの発行を決めれば、日本銀行はそれを拒むことはできない。将来的に発行を余儀なくされる場合に備えて、日本銀行も本格的な検証を始めたことを、今回の報告書は示していよう。

国際的な取り組みと連動

第2は、国際決済銀行(BIS)と日本銀行を含む7中央銀行は、年初からCBDCの共同研究を進めており、同日に報告書を公表している。日本銀行の報告書は、この7中央銀行の報告書に合わせて公表したのである。またECBも2日に、デジタルユーロの報告書を発表している(コラム「 デジタルユーロ発行に向けECBが報告書を公表 」、2020年10月8日)。

日本銀行の報告書は、こうした国際協調での取組みと連動しているものだ。今回の日本銀行の方針も、海外中央銀行との議論を踏まえた内容となっている。

CBDCを実際に発行するかどうかは、通貨主権も関わるため、各国ごとの決定となる。またそれは、中央銀行だけで決められるものではない。しかし、発行する際には、国際決済の分野でCBDCを発行した国同士が協調した枠組みとするのが良い、というのが日本銀行を含め、7中央銀行のコンセンサスとなっていよう。

「間接型」の発行形態が望ましい

CBDCの具体的な設計についても、日本銀行の今回の報告書の中では言及されている。例えば、CBDCを発行しても、現在流通している現金は、国民のニーズがある限り発行を続ける、としている。CBDCを現金と並行して流通させる方式は、7中央銀行の議論の中でもコンセンサスになっていると考えられる。

また、CBDCの形態について、中央銀行が直接企業や個人にCBDCを供給するのではなく、民間銀行などの仲介者を通じる二層構造、「間接型」の発行形態が基本となると、この方針では示されている。具体的な形態について望ましいと考える姿に言及したのは、従来よりも踏み込んでいる。

この「間接型」は、デジタル人民元でも採用されるものであり、またデジタルユーロの報告書でも、この形態が望ましいとの指摘がある。BISと7中央銀行でもこれがコンセンサスなのだろう。

民間と協調した枠組みに

CBDCが必要となるケースとして、日本銀行は、現金が大幅に減少する一方、民間のデジタル通貨がそれに代わる小口決済の代替需要を十分に担えない状態を日本銀行は想定している。そこには、民間のスマホ決済事業が採算の観点から成り立たなくなるケースも含まれる。また、民間のスマホ決済が乱立することで、国民の間にスマホ決済を統一して欲しいとのニーズが強まる事態となることも考えられる。

CBDCについては、仮に発行するとしても、民間銀行や民間デジタル通貨発行者・運営者と協調した枠組みとすることが想定されており、それらを排除するものではないとの考えが明確に示されている。これは、以下で見る「イノベーションの促進」という方針とも関わっているだろう。CBDCが民間デジタル通貨の交換を仲介することも検討されている。

また、CBDCを扱う民間業者が、そこから得られる情報をビジネスに活かすことも良いとされている。

口座型とトークン型の併用

CBDCは、大きく口座型かトークン型(分散型)か、に分かれる。決済がネット上で処理されるのが口座型、スイカ、モバイルスイカのように、カードあるいは個々のスマホ内に価値が貯蔵されているものが、トークン型(分散型)である。

前者は、自然災害などでネットワークに支障が生じれば、利用できなくなってしまう。自然災害が多い日本では、口座型に加えて、オフラインでも利用できるトークン型も併用する形が良い、との考えを日本銀行は示している。トークン型との併用は、デジタル人民元でも採用される見通しである(コラム「 次第に明らかになるデジタル人民元の実相 」、2020年8月27日)。日本銀行はこの点、比較的踏み込んで、CBDCの具体的な設計に言及している。

ただし、トークン型はマネーロンダリング(資金洗浄)など犯罪に利用されるリスクが高いことから、利用者に保有額の上限を設定することが検討されている。

ところで、CBDCの設計について、金利を付けるかどうか、保有金額に上限を設定するかについては、日本銀行はまだ検討を続けるとしている。ECBはこれらに前向きであるが、日本銀行とECBの間には、この点では温度差が見られる。

国際決済でCBDCを用いた新たな枠組みを模索

日本銀行が方針のなかで考慮すべきポイントとして挙げる中で、特に注目したいのが、第1に「イノベーションの促進」である。日本銀行は、CBDCを発行することで、デジタル通貨、スマホ決済などでの民間のイノベーションを阻害することがないかどうかという論点を、以前より真剣に検討してきた。仮にCBDCを発行する場合には、この点に十分な配慮がなされるだろう。

第2は「クロスボーダー決済との関係」である。「外国中央銀行の動きなどをしっかりフォローしながら、国内利用だけでなく、クロスボーダー決済への活用可能性を確保していくことが望ましい」と指摘している。CBDCを発行する国同士で、CBDCを用いた、低コストで安全な新しい国際決済システムを作っていくという考えは、ECBのデジタルユーロの報告書や7中央銀行の報告書でも明確に示されており、既に中央銀行間でコンセンサスになっているのだろう。

米国との関係も将来的には重要な要素に

CBDCの共同研究を進めるBISと日本銀行を含む7中央銀行の中には米連邦準備制度理事会(FRB)が入っているが、米財務省はCBDCに慎重な姿勢は崩していないのではないかと推察される。

仮に、主要中央銀行が将来的にCBDCを発行し、それを用いて国際決済で新たな枠組みを作る場合には、それは米国が牛耳っている現在の国際決済(国際銀行送金)と競合するものとなるだろう。

米国がCBDCでの国際協調の枠組みに加わらない場合には、この国際協調の枠組みは、米国の国際金融覇権への挑戦となるだろう。各国でのCBDCの検討には、デジタル人民元、リブラ、米国との覇権争い、新たな国際決済のスタンダードを巡る争いという側面が、深く関わっている。特に欧州では、米国の国際金融覇権を修正しようとする意見が燻っている。

将来的に、この分野で米国を敵に回すことが果たしてできるかどうか、と言う点も、日本での中銀デジタル通貨の今後の検討に大きな影響を与えるのではないか。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。