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中銀デジタル通貨は現金との併用が国際標準に

中央銀行が中銀デジタル通貨(CBDC)の発行を決定し、その具体的な設計を検討していく段階では、幾つかの大きな選択をしていく必要がある。その一つが、現金発行をどうするか、である。

中央銀行が発行する現金の流通を廃止して、中銀デジタル通貨へと一気に置き換えていくのか、それとも現金と中銀デジタル通貨の使用を同時に認めるのか。例えば、中銀デジタル通貨にマイナス金利を付けることで、金融緩和の効果を高めることを狙う際には、金利が付かない現金は完全に廃止する必要がある。わずかでも現金が残されていれば、マイナス金利の中銀デジタル通貨からゼロ金利の現金に資金がシフトし、マイナス金利の政策効果は損なわれてしまうためだ。

ただしこの点については、後者、つまり中銀デジタル通貨を発行しても現金の利用も引き続き認める、というのが世界のスタンダードになってきたと言えるだろう。

現金廃止の問題点

先行する中国では、中銀デジタル通貨・デジタル人民元を発行しても現金は廃止しない考えを、既に明らかにしている。欧州中央銀行(ECB)も日本銀行も、仮に中銀デジタル通貨を発行する場合には、現金は廃止しないとの考えを明確に示している。

現金を廃止すれば、金融政策の効果を高めることができるだけでなく、犯罪で不正に入手した資金や、脱税目的で保管している現金をあぶり出すことができるだろう。

しかし、それは国民からの強い反発と社会的な混乱を招くことになる。また、すべての人がスマートフォンなどを用いた中銀デジタル通貨の利用を、直ぐに円滑に始めることができるとは限らない。引き続き現金を使いたい人には、その意向を尊重してそれを認めることが、中央銀行には求められる。

「二層構造」も国際標準か

第2は、企業(非金融)や個人が中銀デジタル通貨を入手・所有する際に、中央銀行に専用口座を持ち、発行者である中央銀行から直接中銀デジタル通貨を入手する「直接型」か、あるいは銀行などから入出する「間接型」、「二層構造」か、という選択だ。これについては、後者の「二層構造」が世界のスタンダードになりつつあると言えるのではないか。中国は、既にそれを決めており、ECBも日本銀行も「二層構造」が望ましいとしている。

「直接型」とした場合には、中央銀行に取引情報が一元的に蓄積されていく、ということが最大の問題点だろう。個人は、取引履歴がすべて中央銀行に把握され、それが政府、税務当局などと共有されることを嫌うだろう。また、中央銀行もそうした個人データを保有することは好まないはずだ。仮に大量の個人データが漏えいするなどの問題を起こせば、中央銀行は国民からの信頼を大きく低下させることになってしまうからだ。さらに政府との情報共有をするにしてもしないにしても、法制面での複雑な整備が必要となる可能性もあるだろう。

第3は、各人の中銀デジタル通貨の保有に上限を設けること、中銀デジタル通貨に金利を付けることだ。ECBは、銀行預金から中銀デジタル通貨に資金がシフトすることで、銀行経営に支障を生じさせ、また経営不安を高めてしまうリスクを軽減するために、こうした措置に前向きである。

中国では、中銀デジタル通貨に金利を付けることは検討されている可能性がある。日本銀行は、保有上限の設定と金利の付与については今後の検討課題、として方向性を示してない。

日本銀行はオフライン決済方式に強い関心

第4は、オフライン決済方式(トークン型)を併用するか否か、である。中銀デジタル通貨が発行される場合には、通常我々が用いているスマートフォン決済のように、ネットワークがつながった状態で利用され、利用額の変化は発行・運営者が提供する口座上で管理される(口座型)ことになるだろう。

ところで、国際決済銀行(BIS)と7中央銀行が10月9日に公表した中銀デジタル通貨の報告書では(コラム「 中銀デジタル通貨への取り組みを強化する日本銀行 」、2020年10月12日)、自然災害時にネットワークが遮断される事態などを想定して、ネットワークがつながった状態でなくても中銀デジタル通貨が利用できるオフライン方式が検討されるとし、そのための技術開発の必要性に言及している。

同じく10月9日に日本銀行が公表した中銀デジタル通貨の報告書では、「システム・通信障害や電力途絶といったオフライン環境下でも利用できる仕組みを確保することも、自然災害の多いわが国において重要なポイントである」として、前向き姿勢を見せている。

さらに日本銀行は、今年7月には「中銀デジタル通貨が現金同等の機能を持つための技術的課題」と題する報告書で、オフライン決済方式の詳細な検討を示している。

中国は、オフライン決済方式の併用を既に決めている。他方、ECBは今のところこの点を必ずしも重視していないように見うけられる。

オフライン決済方式の利点は大きい

日本でオフライン決済方式(トークン型)が利用される場合には、モバイルスイカのようなイメージとなるのではないか。口座(ウォレット)から必要な分だけ、スマートフォン上に中銀デジタル通貨の価値を口座から移転して蓄積しておく。

自然災害が生じていない場合でも、通信事情でバーコード方式などのスマートフォン決済に時間がかかることは、今でもしばしば起きることだ。その際には、非接触ICカード技術方式に基づくモバイルスイカがより便利となる。

また、この方式であれば、スマートフォンを近づけるだけで、他人のスマートフォンに中銀デジタル通貨の価値を移転する、つまり個人送金(P2P)することもできるだろう。まさに、現金を他人に直接渡すのと同じことが、同様の手軽さで可能となるのである。日本銀行の前向き姿勢なども踏まえると、オフライン決済方式の仕組み、技術では、日本は他国をリードすることができるようになるのかもしれない。

ただし、オフライン方式で利用される場合には、システム上の脆弱性を管理者が把握できないといった問題や、マネーロンダリング(資金洗浄)などの犯罪に利用されやすくなるという問題などもある。そのため、オフライン決済方式での利用額や利用頻度に制限を設けること等も、検討される必要があるだろう。

中銀デジタル通貨の設計は各国の事情に十分配慮した形で

小口決済の仕組み、慣行はまさに各国まちまちである。現金を代替する小口決済用の(一般利用型)中銀デジタル通貨を設計していく段階では、各国の事情、既存のシステム等に十分配慮する必要がある。自然災害が多い日本では、オフライン決済方式導入の必要性は、他国に比べて高いと言えるだろう。

中銀デジタル通貨を巡る先進国での議論は、民間デジタル通貨・リブラへの対応、先行する中国のデジタル人民元に触発されている面が強い。日本でも、デジタル人民元に対抗するために、日本銀行は中銀デジタル通貨の発行を急ぐべき、との議論も政府・与党内で高まっている。

しかし、中銀デジタル通貨の導入は、利用者の利便性向上や経済の効率性向上など、あくまでも自国民の利益を高めるという観点から、その是非を各国が独自に決めるべきである。

さらに同様の観点から、既に議論してきたような中銀デジタル通貨の具体的な設計についても、各国の事情に十分配慮した形で検討されていくべきだろう。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。