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日本株の下落はコロナ禍による景気回復の遅れを反映?

12日の東京株式市場は、2日連続での大幅下落となった(コラム「 日本株大幅下落も大きなリスクは米国に 」、2021年5月11日)。後場に日経平均株価は、一時700円近くの下落を記録した。

改めて注目されるのは、コロナ禍と株式市場との関係である。日本では、3回目の緊急事態宣言の延長期間がまさに12日から始まっている。宣言による新規感染抑制効果などは、開始から2週間を経過した現時点においても明確には確認されず、先行き悲観論も強まっている。

また、3回目の緊急事態宣言の影響から、4-6月期の実質GDP成長率は、前期比ゼロ近傍の低水準になる可能性が高く、また、小幅マイナス成長に陥る可能性も徐々に高まっている。その場合、2回目の緊急事態宣言によってマイナス成長となった1-3月期の実質GDPに続き、2四半期連続でのマイナス成長となる。3回目の緊急事態宣言が、景気に三番底をもたらすのである。

コロナ禍が米国株の追い風となった3つの要因

しかし、足元の日本の株価下落は、こうしたコロナ禍による日本経済の悪化、あるいは回復の遅れを反映しているだけではない。それ以上に、米国の情勢の影響を強く受けている。実際、11日の欧州及び米国株式市場、12日のアジア株式市場など、グローバルに株式市場は全面安の様相を強めた。その震源地は、米国にある。

米国ではインフレ懸念やそれに関連した早期の金融引き締め観測が、株式市場の悪材料とされている。大きく捉えれば、それらは、米国経済がコロナ禍から脱し、回復してきていることの反映でもある。

逆に、コロナ禍から米国経済が低迷する中で、昨年来米国株は上昇し、それが世界の株式市場をけん引してきたのである。逆説的ではあるが、コロナ禍が米国株式の追い風になってきた面がある。それは主に3つの要因による。第1に、コロナ禍は対人接触型サービスを中心に一部のビジネスに大きな打撃を与えたが、逆に巣籠り消費を促すことで、ネットビジネスに関わるGAFAなどのハイテク企業には大きな追い風となった。米国株式市場は、ハイテク銘柄に牽引されてきたのだ。

株高はコロナ禍のあだ花か

第2に、コロナ禍の下で巣ごもり傾向が強まる中、若年層を中心に株式投資に傾倒する素人個人投資が急増した。ロビンフッダーがその代表例である。彼らは、オプション取引も含めたリスクの高い株式投資を行った。その際、主な投資対象には、ハイテク銘柄が含まれたのである。

第3に、コロナショックを受けて、米連邦準備制度理事会(FRB)が異例の金融緩和を実施した。これが、早期の株価回復を助けたのである。しかし実際には、金融緩和は行き過ぎてしまったのではないか。

米国株式市場の時価総額は、1997年から2000年の間の年平均増加率は+9.2%であったが、2019年末から2020年までの増加率は+22.0%に達した。株式だけでなくハイイールド債(無格付け社債も含む)の発行総額についても、同時期に+8.5%から+9.1%に加速している。

積極的な金融緩和によって、金融市場はコロナショックの打撃から立ち直ったばかりでなく、より過熱感を強めてしまったのではないか。

以上の点から、「株高はコロナ禍のあだ花」と後に総括される可能性もあるのではないか。

株価下落で日本経済の回復が一段と遅れる可能性も

米国ではコロナ禍が緩和され、経済の回復がより明確になる中、こうした3つの株式市場の追い風は逆回転を始める、あるいはそうした期待が高まることになる。米国経済は4-6月期にかなり高い成長率を記録するとみられるが、そのタイミングで株価が調整したことは、決して偶然ではないだろう。

ところで日本では、コロナ禍でも米国のような3つの株式市場の追い風は吹かなかった。その中でも株式市場が堅調を続けてきたのは、米国の株式市場の影響が大きかっただろう。その米国株式市場が、コロナ禍が緩和されることで逆に失速するのであれば、日本市場でも同様の動きとなりやすい。さらに、日本経済は米国などと比べて経済の回復が遅れているというマイナス面もあることから、その分、調整幅は大きくなりやすいのではないか。

日本市場で、円高、株安傾向が強まれば、それが他国に比べて遅れている日本経済の回復を、一段と遅らせてしまう要因にもなりかねないだろう。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。