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政府は日本版SPACの導入を検討

岸田首相が掲げる「新しい資本主義」は、近年世界で広まっている「ステークホルダー資本主義」と賃上げ政策を結び付けた政策パッケージと考えられる(コラム「 『新しい資本主義』の源流はステークホルダー資本主義:政府主導の企業経営改革に課題 」、2022年2月1日)。企業に対しては、賃上げを促すとともに、株主だけでなく幅広いステークホルダー(利害関係者)の利益に配慮して、様々な社会的課題に応えるように求めるものだ。

こうした経済政策には、企業に対する規制強化の側面が少なくなく、リベラル(左派)色がやや強い岸田首相らしい感じがする。しかし、他方で、スタートアップを支援するという系統の違う政策も掲げているのである。上場を迅速化させ、また上場のプロセスを見なおすことで、スタートアップがより迅速に多くの資金を調達できるようにするとの考えである。その一つが、米国で盛んである上場手法である特別買収目的会社(SPAC)を日本でも認めるという案だ。岸田首相が設置した「新しい資本主義実現会議」は、昨年11月に公表した緊急提言に、このSPAC導入の検討を盛り込んだ。実は、SPACの導入は、菅前政権から引き継がれたものである。

SPACは、「Special」(特別)、「Purpose」(目的)、「Acquisition」(買収)、「Company」(会社)の頭文字から名付けられたもので、成長が期待されるスタートアップなど株式を公開していない企業を買収することのみを目的として設立した会社である。それ自体に事業実態はないことから、「空箱」とも呼ばれる。その「空箱」状態で投資家から出資を募り、その資金で未公開企業を買収する。

SPACは2003年に米国市場に登場したが、その件数が大きく増加を始めたのは2020年になってからだ。2020年には調達資金が800億ドルを超え、過去すべての年をあわせた調達額を上回った。さらに2021年には1,600億ドルを超え、再び記録を塗り替えている。コロナショック後の大幅な金融緩和の追い風を受けて、個人投資家の資金を多く集めたのである。

規制強化で既に米国でのSPACブームは終わった

しかし米国のSPACには多くの問題も浮上し、既にマイナスのイメージもついてしまっている。それを日本でも導入しようとしている動きには、やや違和感もある。

例えば、投資家としての経験のない有名スポーツ選手などがSPACを設立し、その知名度の高さを利用して個人投資家から多くの資金を集める。しかし、買収した企業の業績は思うようには増えず、結局株価が大きく下がって、個人投資家に損失をもたらすことも多かった。

また、SPACに買収されることを狙って、企業が意図的に正しくない情報を示すという事件も生じた。結局、金融当局はSPACへの規制を強化し、米国のSPACブームは2021年のうちに終焉した感がある。

過去2年にSPACとの合併を完了した米企業のうち半分は、株価が10ドル(SPACが取引を開始する水準)から40%以上値下がりしており、数百億ドルの時価総額が吹き飛んだという。SPACを通じて上場を果たした企業が、投資家を呼び込むために提示していた業績見通しに届かず、株価が大きく下落するケースも少なくない。それが個人投資家に大きな損失をもたらしたことを、規制当局も問題視しているのである。

ゲーリー・ゲンスラー米証券取引委員会(SEC)委員長は昨年12月に、SPAC経由の上場と通常のIPOの間で公正な競争環境を確保するとして、情報開示の要件やマーケティング慣行、SPAC設立者の義務などを見直していく考えを示唆した。IPOに対するSPACの優位性は薄れていく方向だ。

米国のSPACでも十分な資金調達ができないケースが少なくない

「新しい資本主義実現会議」の緊急提言では、SPACの導入検討は、起業家の資金調達額が少ないという現在の新規株式公開(IPO)の問題を解決する上でも意味がある、と指摘した。

しかし米国のSPACでも、買収される企業が望むような資金が集まらないケースも決して少なくないのである。SPACに出資した投資家は、SPACがどのような分野の企業と合併するか分からないため、買収のディールが完了する前に資金を引き揚げることが認められている。その際、引き揚げ資金はSPAC上場時の株価10ドルにやや利子が上乗せされた水準になることが多いようだ。

ディール完了前に株価が10ドルを割り込むと、投資家はこぞって資金を引き上げる傾向がある。資金の引き揚げ率は平均で、昨年初頭の10%から昨年10-12月期には、実に約60%まで急上昇した。そのため、買収された企業にとっては、SPACとの合併で得る資金が大幅に減ってしまうケースが実際に多く出ているのである。

リスクテイク志向が高い起業家が多く出てこないことが問題の本質

このように問題が多いSPACを仮に日本で認めるのであれば、米国で浮き彫りになった問題点を踏まえ、日本の実情に合わせてかなり修正することが求められるだろう。しかし他方で、日本版SPACを仮に導入しても、あまり利用されない事態も考えておく必要があるのではないか。

SPACが米国で一時ブームとなったのは、リスクテイク志向が強い、SPACの設立者、個人投資家、起業家の3者が揃っていたからである。それを果たして日本で期待できるだろうか。

岸田政権は、上場を迅速化するとともに調達資金を高めることで、スタートアップを支援し、日本の技術力、成長力を高めることを狙っているのだろう。しかし、日本でスタートアップが増えないのは、果たして上場プロセスに時間がかかることや、十分な資金調達ができないことによるものだろうか。それよりも、リスクテイク志向が高い起業家が多く出てこないからなのではないか。

この点から、日本版SPACの導入の検討は、問題の本質を十分に捉えていない議論のようにも感じられるのである。

(参考資料)
DJ-【焦点】SPAC「宴」の終わりか 内在リスク一気に顕在化(1)、(2)、2022年1月23日、ダウ・ジョーンズ債券・為替情報
「空箱」のまま上場? アメリカで進む「SPAC」とは 日本でも検討が始まるビジネス 」、山口 博敬、2021年10月27日

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。