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五輪会場でのデジタル人民元使用額は1日20億元(約360億円)に

北京冬季五輪の会場は、デジタル人民元パイロット地区の一つとなっており、五輪関係で入国した選手、コーチ、報道陣などの外国人も、そこでデジタル人民元を利用することができる(コラム「 世界が注視する北京五輪会場でのデジタル人民元お披露目 」、2022年2月9日)。

実際、五輪会場では、デジタル人民元を様々な方法で利用することができる。中国国内に銀行口座を持っていれば、デジタル人民元のアプリをダウンロードして、スマートフォンで決済できる。また、オフライン状態でICカード、スマートフォン端末、ウエアラブルデバイスなどの「ハードウエアウォレット」でも決済できる。また現地には、専用のATM(現金自動預払機)が多数設置されている。外国の紙幣を入れれば、人民元紙幣だけでなくデジタル人民元がチャージされたICカードと交換できるのである。

民間経済メディア「財新網」が11日に報じたところでは、北京市地方金融監督管理局の王穎・副局長は10日、北京市が展開しているデジタル人民元のパイロット地区は40万余りの冬季五輪会場に及んでおり、取引額は96億元〈約1,750億円〉に達していると述べた。

また、ロイター通信によると、中国人民銀行(中央銀行)のデジタル通貨研究所の幹部は、五輪会場でのデジタル人民元の使用額が、1日当たり20億元(約360億円)以上になっていると語っている。かなり多い額との印象だ。中国人と外国人の使用比率は分からないが、外国人は主にICカードを使い、スマートフォンアプリを利用するのは主に中国人だという。

春節でデリバリーサービスでのデジタル人民元利用が急増

現在、デジタル人民元は深セン、蘇州、雄安、成都、上海、海南、長沙、西安、青島、大連、冬季五輪会場(北京と張家口)で試験的に運用されている。北京市では、五輪開幕よりもだいぶ前から、デジタル人民元が利用されてきた。

2020年末には、デジタル人民元の冬季五輪テスト事業が北京地下鉄・大興空港線で開始された。中国初の冬季五輪フィギュアスケート金メダリストの申雪氏が、北京で最初のデジタル人民元地下鉄乗車券をデジタル人民元で購入し、冬季五輪仕様のウェアラブル・デジタル人民元ウォレットをかざして改札を通ったという。2021年末時点で既に、北京で開設されたデジタル人民元の個人ウォレットは1,200万件以上、法人ウォレットは130万件を超えていたのである。

他方、中国でフードデリバリーなど生活関連サービスを手掛ける「美団」では、北京市を含む11の実証実験地区で、住民がデリバリーを注文する際にデジタル人民元決済を選択できる。今年の春節(旧正月)連休(1月31日~2月6日)の7日間、同社プラットフォーム上のデジタル人民元の1日当たりの決済件数は前週(1月24日~30日)比で56.4%増、決済額は68.5%増となったという。食料品の購入や飲食など日常消費におけるデジタル人民元の使用が特に活発だったようだ。春節は、市民がデジタル人民元の利用を拡大する機会となったのである。

さらに同社は、デジタル人民元を顧客に配布するサービスも行っている。美団は春節に先立って、デジタル人民元を配布する低炭素キャンペーンを打ち出した。利用者がネットで注文した食料品を自宅ではなく店舗で受け取る場合や、デリバリーサービスを利用時に使い捨て食器を断る、といった低炭素型の行動をとった場合には、デジタル人民元を配布するのである。デジタル人民元で代金を支払った利用者が、デジタル人民元を受け取れば、利用者と美団との間でデジタル人民元が行き来することになる。

北京五輪会場で進められるデジタル人民元の実証実験

当局は、漫然とデジタル人民元の実証実験を続けてきた訳ではない。様々なケースを想定した実験を繰り返すことで、システムの頑健性をチェック、いわばストレスチェックを繰り返してきたのである。それは、様々な地域・都市での実験、実店舗ではなくネットショッピングでの実験、オフライン決済方式の実験、タッチ決済方式の実験、さらにネットショッピングが集中する日を狙った実験などだ。

そして今年1月4日からは、利用者がデジタル人民元のアプリをダウンロードし、自身の銀行預金からウォレットにチャージして、デジタル人民元を使う実証実験が始まったのである。既にみた美団の例では、デリバリー分野でのデジタル人民元の実験を行うとともに、事業者と顧客との間でデジタル人民元を行き来させることを実験しているのかもしれない。

従って、北京五輪会場でのデジタル人民元の利用についても、単に外国人へお披露目する以外の目的があると考えるのが自然だろう。既にみたように、銀行口座を持たない外国人は、主にICカードでデジタル人民元を利用している。これは、将来の外国人旅行者のデジタル人民元利用を想定した実験なのではないか。中国の国民はほとんどスマートフォン(オンライン及びオフライン)でデジタル人民元を利用すると見られ、ICカードは主に外国人を想定している手段と考えられる。また、外国の紙幣を入れてデジタル人民元がチャージされたICカードを購入できるATMは、いずれ空港などに設置されるのだろう。外国人がそれらをスムースに利用できるのか、あるいはクレジットカードとどのように使い分けて買い物をしているのか等について、当局はデータを集めているのではないか。

外国人への実験ということ以外にも、感染対策の「バブル方式」のもと、外部との接触を断たれた特殊な状況の中でのデジタル人民元の利用状況をチェックし、データを収集するという面もあるのかもしれない。仮にトラブルが発生しても、その影響が限られた範囲にとどまることから、何かリスクのある実証実験を密かに行うには適しているとも言える。

実態は明らかではないが、今まで進められてきた実証実験を踏まえると、北京五輪会場でのデジタル人民元の利用についても、かなり綿密に計算された実証実験の一環である可能性が高いだろう。また、デジタル人民元を正式に発行する前の最終チェックのような位置づけであるのかもしれない。

(参考資料)
「美団のデジタル人民元決済額、春節連休は前週比7割近く増加」、2022年2月11日、新華社ニュース
「美団、デリバリーにデジタル人民元決済を導入 (金融・保険・証券)」、2022年2月7日ChinaWave経済・産業ニュース
「40万余りの五輪場面に及ぶ」、2022年2月13日、新華社ニュース(中国通信社)
「北京冬季五輪のデジタル人民元実験、使用は1日3億ドル超=人民銀」、2022年2月16日、ロイター通信ニュース
「北京五輪会場でデジタル人民元―外国人も対象に大規模実証実験」、2022年2月15日、共同通信ニュース
「北京のデジタル人民元取引額は96億元 冬季五輪40万ヶ所超をカバー (金融・保険・証券)」、2022年2月14日、ChinaWave経済・産業ニュース
「「経済」北京のデジタル人民元取引額は約1751億円 冬季五輪40万ヶ所超をカバー」2022年2月11日、人民網

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。