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ウクライナ情勢の金融市場への打撃とリスク回避で買われる金

ウクライナ情勢の緊迫化を受けて、リスク資産である株価の下落傾向が世界的に見られる一方、安全資産となれる金価格の上昇が目立っている。年初来、1オンス1,800ドル台での推移が続いてきたが、先週末には一時1,900ドル台に乗せた。ロシアのウクライナ侵攻が行われれば、金価格は2,000ドル台まで上昇し、また昨年8月の2,060ドル台を越えて、史上最高値にまで達する可能性も指摘されている。

金融市場は、「地政学リスクヘッジ」の手段を探しているのである。軍事紛争などが、必ずしも金融市場に大きな打撃を与えるとは限らない。たとえば今回のウクライナを巡る紛争のきっかけとなった2014年3月のロシアによるクリミア半島併合の際には、紛争と先進国によるロシアへの制裁が金融市場に及ぼした影響は限定的で、悪影響が長引いたのは、ロシア株、東欧株、ポーランドズロチなどの東欧の一部通貨だけだった。

ところが、今回のウクライナ情勢の悪化が金融市場に与える打撃は、クリミア半島併合時よりも大きい。それは、世界的な物価高騰と米国での利上げ(政策金利の引き上げ)によって、既に金融市場は潜在的に不安定な状況に置かれている中で、ウクライナ情勢の緊迫化が生じているためだ。

ロシアがウクライナに侵攻すれば、先進国側はロシアに経済制裁を実施する可能性が高く、その際にロシアは、欧州への天然ガス供給を絞るなどの報復制裁を行うだろう。その結果、エネルギー価格は一段と上昇し、それが、世界的な物価高騰と米国での利上げへの懸念を煽ることになる(コラム「 緊迫するウクライナ情勢:地政学リスクと金融市場の反応 」、2022年1月25日、「 ウクライナ情勢では経済制裁の行方に関心が集まる 」、2022年2月18日)。

物価高や利上げ、そしてそれがもたらす景気悪化への懸念は、株式や社債、安全資産とされる国債への投資のリスクも高めることになる。そこで投資家は、「地政学リスクヘッジ」の手段を探し、価値が安定している金への投資を拡大させているのである。

現局面では金と仮想通貨の命運は大きく分かれる

ところでビットコインなど仮想通貨(暗号資産)も、リスク回避でしばしば買われてきた。最近では、コロナショックがビットコインの価格を大きく押し上げた。2020年春の金融市場の混乱を契機にビットコインの価格は、2021年春にかけて大幅に上昇した。各国、特に米国がとった大幅な金融緩和策が、通貨の価値と信認を低下させるとの懸念が高まり、リスクヘッジの目的から投資家が資金をビットコインへと向かわせた面がある。

ところが、ウクライナ情勢の緊迫化を受けて、金とは逆にビットコインの価格は下落しているのである。ビットコインなど仮想通貨(暗号資産)は「地政学リスクヘッジ」になっていないのである。それは利上げ観測と関係があるのではないか。

米国を中心に世界的に利上げが進む環境は、仮想通貨(暗号資産)には明らかに逆風だ。投資対象として仮想通貨(暗号資産)が選好されるのは、主に、低金利、低ボラティリティの環境の下だ。低金利下では、仮想通貨(暗号資産)のように金利が付かない資産が不利にならない。他方、低金利下では概して金融資産のボラティリティは小さいため、リスクをとって、キャピタルゲイン狙いの仮想通貨(暗号資産)投資が増えやすいのである。

ところが、ウクライナ情勢の悪化は、さらなる物価高騰と利上げにつながりやすい、という点が重要だ。そうなれば、金利上昇によって仮想通貨(暗号資産)の魅力は低下する。一方、ドルなどの通貨の価値が高まりやすくなることでその信認が高まり、ドルから仮想通貨(暗号資産)への資金シフトも生じにくくなるのである。

このような経緯から、ウクライナ情勢の緊迫化のケースでは、ビットコインなど仮想通貨(暗号資産)は「地政学リスクヘッジ」の手段とはならず、売られやすくなるのである。

ウクライナ情勢が悪化するなか、ともにリスク回避資産とされてきた金と仮想通貨(暗号資産)の命運は大きく分かれ、両者の乖離は一段と開いていくことになるだろう。他方、「地政学リスクヘッジ」として円への選好が高まり、円高が進む可能性も、十分に考えられるところだ。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。