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NISA拡充の議論では所得格差問題にも配慮

少額投資非課税制度(NISA)の拡充策で注目されていた投資枠の引き上げは、予想よりも大幅なものとなり、NISA制度のもとでの投資拡大を後押ししそうだ(コラム「 NISA拡充は個人マネーを株式市場に呼び込む第一歩 」、2022年12月12日)。年間の投資枠について、つみたて型では現行の3倍の120万円、一般型(成長投資枠(仮称))では2倍の240万円、合計で360万円まで増やす方針を政府・与党は固めたと報じられている。また、NISAの非課税投資期間が恒久化されることを踏まえて、生涯の投資上限を新たに1,800万円と設定する方向だ。これらは、15日にまとめられるとみられる2023年度与党税制改正大綱に盛り込まれる。

政府は、5年間でNISA投資額を現状の2倍となる56兆円にまで拡大させることを目標としている。その達成や「資産所得倍増計画」の推進を狙って、投資枠の大幅引き上げを決めた模様だ。

他方で、NISAの投資枠を拡大させれば、それを金融資産保有額が大きい富裕者が利用することで、所得格差を一段と拡大させてしまう、という問題点もあった。NISA拡充策は、投資推進と格差問題とのバランスの下で議論されてきたのである。ただし最終的には、「資産所得倍増計画」といういわば成長戦略を、所得格差対策に優先させた、というのが今回の決定の意義だろう。

「1億円の壁」の問題とは何か

岸田首相は昨年の政権発足時から、「1億円の壁」の問題を重視してきた。個人所得税の最高税率は45%であるのに対して、預金や株式などといった金融商品から得られる所得、つまり利子、配当、株式売却益などに課される金融所得課税の税率は一律20%(復興特別所得税を除く)である。富裕者層ほど所得に占める金融所得の比率が高い傾向があることから、所得全体(勤労所得、金融所得など)に占める課税の割合が低くなり、高所得者ほど税負担が軽減される「逆進性」の問題が生じる。概ね年間所得1億円を境に所得に占める税負担の割合が低下することから、これが「1億円の壁」の問題と呼ばれている。

当初岸田政権は、金融所得課税の税率を引き上げることで、「逆進性」を緩和することを検討していた。しかし、それは投資家の株式投資のインセンティブを低下させ、株式市場に逆風となることから、慎重意見も広がっていた。

NISA拡充策を通じて成長戦略を優先

ところが、2022年5月に岸田首相が「資産所得倍増計画」を打ち出し、個人の資金を株式市場に呼び込んで、それを通じて企業の投資などを促すとともに、個人が投資の果実として得る資産所得(金融所得)を増やすことを狙った。それは、株式市場を成長戦略に活用する考えでもあることから、株式市場の逆風となる金融所得課税の税率引き上げ議論は、そこで事実上棚上げとなったのである。

さらに、今回のNISA拡充策、特に投資枠拡大は、それを利用して富裕者が税負担をさらに軽減することを可能にするため、所得格差を拡大させてしまう。この点にも配慮して、2023年度与党税制改正大綱には、所得30億円超の富裕者層に最低税負担率を新たに設定する、一種の増税策が盛り込まれる見込みだ。

しかしこれは、ごく一握りの超富裕者層の税負担を増やすことにはなるが、「1億円の壁」の問題を大きく緩和することにはつながらないだろう。政府は、所得格差問題への対応よりも、株式市場を利用した成長戦略を優先したのだと言える。

高額所得者の税負担が軽減される「逆進性」の問題への対応は今後も続けていく必要はあるが、NISAの拡充と金融所得課税の税率引き上げなどを同時に実施するのは、明らかに矛盾した政策となってしまう。この点から、今回は、NISA拡充策を通じて成長戦略を優先する決定を政府がしたことは妥当だろう。

(参考資料)
「つみたてNISA3倍」、2022年12月13日、日本経済新聞

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。