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「バイデノミクス」の3本柱

バイデン米大統領は6月28日の演説の中で、自らの経済政策を初めて正式に「バイデノミクス(Bidenomics)」と呼び、経済政策の今までの実績とその正当性をアピールした。これは、来年の大統領選挙に向けたキャンペーンの一環である。

バイデン大統領は、中間層を拡大させ、インフラを強化し、製造業を国内に回帰させる政策すべてを「バイデノミクス」と呼ぶ、としている。

バイデン大統領はこの演説で「3つの根本的な変化を起こす」としたうえで、「バイデノミクス」は、(1)インフラ投資拡大、(2)教育による労働者の能力向上、(3)競争促進に伴うコスト減で中小企業を支援――の3本柱からなる、と説明した。

第1のインフラ投資は、道路や橋などの基礎インフラの整備に加え、国家安全保障に関わる半導体の国内生産や脱炭素産業の育成に向けた補助金政策なども含む。第2の労働者支援は、雇用の創出や職業訓練、労働組合の活性化などの施策だ。第3の競争促進は、大企業による市場の独占を排し、物やサービスの価格を引き下げることを通じて、消費者や中小企業の負担を和らげることを狙うものだ。

「レーガノミクス」とトリクルダウン経済学を批判

続けてバイデン大統領は、共和党政権の経済政策を批判し、「40年間、過剰な減税をして大企業は破綻した。米国の中産階級は空洞化し、財政赤字は大幅に膨らんだ。安い労働力のために雇用を海外に移した」と指摘したうえで、大企業、富裕者から中小企業、中低所得層へと経済成長の恩恵が滴り落ちていくことを促す「トリクルダウン経済学を終わらせる」と主張したのである。

バイデン大統領は、トランプ前共和党政権の政策を批判するに留まらず、約40年前に始まったレーガン共和党政権の経済政策に遡って共和党政権の経済政策を批判している。バイデン大統領が自らの経済政策を初めて「バイデノミクス」と呼んだのは、レーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」への対応を強く意識したためだろう。

共和党政権による市場重視の経済政策、トリクルダウンを否定し、中間層重視や政府による市場・産業介入の必要性を訴えるバイデン政権の姿勢は、岸田政権発足時と重なる面がある。岸田首相は当初、同じ自民党ではあるが、小泉政権の経済政策「新自由主義」、構造改革が格差拡大をもたらしたと批判し、さらに所得再配分政策を通じて「分厚い中間層」の形成を目指していた。

財政拡張策が物価高騰の一因か

バイデン政権の経済政策は、国民から一定の評価を得ている。バイデン政権は2021年に大型のインフラ投資法案を議会で通過させ、道路、水処理などの基礎的なインフラに加えて、高速インターネットの整備も進めた。2022年に成立した「半導体・科学法(CHIPS法)」は、米政府が産業政策に明確に取り組むものであり、近年では最大規模となった。さらに2022年の「インフレ抑制法」では、再生可能エネルギーと電気自動車(EV)の形勢を一変させかねない巨額の支援を決めた。

しかし、バイデン政権の経済政策の評価が分かれるのは、それら以前の発足直後に実施した政策なのである。2021年の「米国救済計画法」では、新型コロナウイルス問題で悪化した経済を立て直すため、1兆9,000億ドル(約274兆円)の巨額の財政資金を投入した。これが、足元まで続く物価高騰の一因となったと批判されてきたのである。バイデン大統領は、この経済対策と物価高騰との関係については全く触れていない。

物価高対策でFRBのみに責任を負わせることのリスク

バイデン政権は、物価高対策を米連邦準備制度理事会(FRB)の金融引き締め策に委ねてきた。しかし、それでは、過剰な金融引き締めが金融市場や金融機関に強いストレスを与え、深刻な経済の悪化をもたらすリスクがある。緊縮財政政策を通じて財政赤字の削減、需要の抑制を進めれば、金融政策の自由度はその分高まることになる(コラム「 金融危機のリスク軽減のため緊縮財政を提唱するBIS:金融システムの安定を維持しつつ物価安定を回復するのは至難の業(BIS年次経済報告書) 」、2023年6月27日)。

ちなみに、レーガン政権の1期目では、政府が大型減税や軍事費拡大など拡張的な財政政策を進める一方、当時のボルカー議長のもとでFRBはインフレ退治のための大幅な金融引き締めを行った。両者の政策は財政・貿易赤字の拡大という「双子の赤字」問題を生み、それがドル不安を高めることで、世界の金融市場にも大きな影響を与えたのである。

現在のパウエル議長は、このボルカー議長に範をとり、物価高騰を根付かせないための金融引き締め策を続ける構えだ。ただし、物価高対策でFRBのみに過大な負担が及べば、行き過ぎた金融引き締めが経済、金融に大きな歪を生みかねない。バイデン政権は、この点をレーガン政権時代から学ぶ必要があるのではないか。

バイデン大統領が、過去の巨額の経済対策と物価高騰の関係を説明し、また、「大きな政府」ではなく、物価高にも配慮し、健全化の方向を伴う財政政策を示さない限り、「バイデノミクス」は有権者の心には響かないのではないか。

(参考資料)
"Why Bidenomics Gets No Love From Voters(「バイデノミクス」が米国民から支持されない訳)", Wall Street Journal, June 29, 2023
「「バイデノミクス」中間層に的 公共投資/労働者教育/中小支援 大統領選再選へ無党派取り込み」、2023年6月30日、日本経済新聞
「バイデノミクス、再選へ「大きな政府」 公共投資や働き手支援、強調」、2023年6月30日、朝日新聞

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。