&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

期待値は高くない「政治刷新本部」による政治改革

自民党は1月11日に、派閥の政治資金パーティを巡る裏金疑惑問題を受けて新設した、党総裁直属の「政治刷新本部」の初会合を党本部で開いた。初会合には岸田首相、党執行部、最高顧問を務める菅前首相と麻生副総裁、茂木幹事長など計31人が出席した。政治刷新本部は今後、党所属の全議員が発言できる機会を設けるほか、法律や会計、政治学の専門家など外部有識者も会合に招き、月内に議論の中間とりまとめを発表する方針だ。

この「政治刷新本部」が、抜本的な政治改革の方向性を示し、国民の政治不信が大きく緩和されると見る向きは少ない。初会合の31人のうち、10人は裏金問題の中心にいる安倍派の議員であるため、当事者が自らを大きく改革するのは難しい、との見方が出ている。また、派閥の改革が争点の一つであるが、麻生副総裁、茂木幹事長など派閥のリーダーが主要なメンバーであることや、派閥改革の急先鋒である石破茂氏がメンバーに入っていないことも、抜本的な改革が先送りされるとの見方につながっている。さらに、岸田首相自身が、派閥のバランスを重視した政治手法をとってきたことから、本気で派閥の改革を行うことはないのではないか、との見方がある。

小粒な改革でお茶を濁すことになる可能性も

「政治刷新本部」は1月中に中間とりまとめを発表する方針というが、時間はかなり限られる。1月26日の通常国会開会までに地検特捜部の捜査が進み、議員の起訴、逮捕などの動きが一巡するのを見極めてから、議論の着地点を探る狙いであるならば、改革を真剣に議論する時間は短いと言える。表面的で小粒な改革でお茶を濁すことになるのではないか、との懸念が生じている。

改革案には、政治資金規正法を改正して、パーティ券購入者の氏名公表の基準を、現在の1人当たり20万円超から、寄付の際と同様に5万円超にするなど厳格化すること、政治資金収支報告書の虚偽記載や不記載の場合の罰則を、現行の5年以下の禁錮または100万円以下の罰金から厳しくすること、また、会計責任者だけでなく政治家も責任を負う罰則強化(連座制)、などが検討されているとみられる。

しかし、それらだけでは表面的な改革に過ぎず、「政治とカネ」の問題に抜本的にメスを入れ、国民の政治不信を解消するには力不足である。

派閥改革の議論が本気度を試すバロメーターに

改革に向けた本気度を試すバロメーターとして注目されるのが、派閥改革の議論だ。「政治刷新本部」の最高顧問2人には、派閥維持を主張する麻生副総裁と派閥の解消を主張する菅前首相が据えられ、両睨みの構図となっている。初会合後に菅前首相は、「(再発防止の対応として)非常に分かりやすいのが派閥の解消だ。進めていく必要がある」と述べた。

また、小泉元環境相は、派閥の政治資金パーティや派閥の推薦に基づく人事ポストの配分をやめるべきだと提起したという。そのうえで、「お金と人事の問題を派閥から切り離し、政策集団だと胸を張って言えるような環境を整えることは少なくとも党の立て直しで最低限必要だ」とした。これはもっともな主張である。

派閥を解消するだけで、政治とカネの問題が直ぐになくなるわけではない。しかし、派閥が政治とカネの問題に深く関わっているとの見方が、国民の間で根強い以上、それを十分に検証したうえで見直していくことは必要だ。実際、今回の問題は、派閥の政治資金パーティを舞台に起こっている。

「令和版政治改革大綱」の策定を

リクルート事件後、1989年5月に自民党がまとめた政治改革大綱では、「派閥の弊害除去と解消への決意」という項目が設けられ、「派閥と政治資金のかかわりや派閥の内閣、国会および党の全般にわたる人事への介在、派閥本位の選挙応援など、さまざまな弊害を生んでいる」と結論づけられた(コラム「 国民の信頼回復に向けた政治改革は進むか 」、2024年1月9日)。

ここで示された改革の多くは実現しなかったが、この大綱の精神に立ち返って、派閥の問題点を洗い出し、その改革を議論する必要があるのではないか。

そして、政治改革の議論は迅速に進める必要がある一方、拙速で小粒な改革だけでお茶を濁すようでは、国民からの信頼を回復することはできない。自民党は1989年の政治改革大綱を再度検証したうえで、新たな大綱、いわば「令和版政治改革大綱」といった包括的な改革の方針をまず固める必要があるのではないか。

ただし、政権交代が視野に入るなど、自民党内で危機感が十分に高まる状況にまで至らない、そこまでたどり着くのは現時点では難しいかもしれない。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。