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決定会合後の総裁記者会見での説明は判断ミスか

日本銀行の植田総裁は5月9日の国会答弁で、「為替は経済物価の動向に影響を及ぼす重要な要因の一つであるので、基調的な物価上昇率について為替変動が影響する、あるいはそういうリスクが高まる場合には金融政策上の対応が必要になると考えている」と、円安を強くけん制する発言を行った。前日の国会答弁でも、同様の発言をしている。

4月下旬に円安が急速に進んだことを受け、日本銀行は円安けん制を狙って、円安に関わる金融政策姿勢についての発言を、明らかに修正している。4月26日の金融政策決定会合後の記者会見で植田総裁は、円安が金融政策に与える影響について問われた際に、「円安が輸入物価を押し上げ、それが基調的物価上昇率を押し上げれば2%の物価目標達成の確度が高まり、それに応じて追加利上げを行う」との主旨の説明をした。この発言は、円安は2%の物価目標達成を助ける「良いもの」、とのニュアンスで広く受け止められた。

同時に円安が物価に与える影響は今のところ大きくない、との説明もしたことから、「日本銀行は円安を容認している」と金融市場では受け止められた。この発言がきっかけとなり、対ドルでの円安の動きに弾みがつき、4月29日には、一時1ドル160円まで円安が進んだ(コラム「 植田総裁の発言が円安容認と受け止められ1ドル160円台まで円安が進行:政府は為替介入実施か 」、2024年4月30日)。

この記者会見で金融市場が期待していたのは、日本銀行が、円安が引き起こす問題点を指摘し、円安をけん制すること、さらに円安阻止に向けて政府との連携を強調することだった。実際にはどちらの説明もなく、日本銀行が円安を容認し、さらに政府との連携に前向きではない、との観測を生じさせてしまった。

この際の植田総裁の発言は、いたずらに円安リスクを高めてしまった一種の判断ミスであったと思う。

判断ミスの代償は思いのほか大きいか

その後円安が進み、政府は2回の覆面介入を行ったとみられる。そして、先週に入ってから、日本銀行は突如、円安を巡る発言の修正を始めたのである。冒頭の国会答弁などは、「円安が過度に基調的な物価上昇をもたらし、2%の物価目標を上回る際には、追加利上げを前倒しに実施する」、「そうしたリスクを高めかねない円安には、追加利上げなど金融政策で対応する」との主旨と受け止められるものだ。いわば円安を「悪いもの」と捉えるものであり、決定会合後の記者会見での説明とは格段の違いがある。

このように、日本銀行は円安に関わる金融政策姿勢の説明を、短期間で大きく修正した(コラム「 岸田首相と植田総裁が意見交換:為替安定に向けた政府と日本銀行の連携を再びアピールか 」、2024年5月7日)。ところが、為替市場はそれに対してあまり反応していない。短期間で発言が大きく振れたことで、金融市場は日本銀行の真意を疑い、言葉通りに素直に受け止められないせいかもしれない。日本銀行はその信認を低下させしまったのではないか。

実際、日本銀行は、円安を強く警戒しても、円安だけに対応して追加利上げを決めることは難しいだろう。零細企業も含めた賃金全体の傾向を確認し、さらに賃金上昇がサービス価格に転嫁されているかどうかを統計で確認してから追加利上げに踏み切るとすれば、それは最短で9月の決定会合となるのではないか。

それまでは、政府の為替介入と、市場に懐疑的に捉えられている日本銀行の円安けん制で、なんとか円安をしのいでいくしかないだろう。日本銀行の情報発信における判断ミスの代償は、思いのほか大きいのではないか。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。