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デフレ脱却を最優先とし、経済対策を実施へ

石破首相は4日、就任後初めての所信表明演説を行った。経済政策については、デフレからの脱却を最優先課題と位置付け、物価上昇を上回る賃上げの実現に決意を示した。また、地方創生のための交付金は当初予算ベースで倍増することを目指す方針を打ち出した(コラム「石破首相が所信表明へ:岸田路線の継承が鮮明に:日銀利上げへの慎重発言と円安の影響」、2024年10月3日)。

演説に先立ち、同日午前には、石破首相は総合経済対策の策定を閣僚に指示した。経済対策は「物価高の克服」、「日本経済・地方経済の成長」、「国民の安心・安全」の三つが柱となる。デフレからの完全脱却に向けて、3年間を集中取り組み期間とする。また、能登地方の地震や大雨による災害への対応として、10月中旬をめどに追加の予備費を措置する。

林芳正官房長官は会見で、経済対策は今後具体的な施策の検討を進め、衆院選後に速やかに決定して補正予算案を国会に提出する、と説明している。規模については現時点では決まっていないとした。

経済対策では、政府は、物価高の打撃を大きく受ける低所得層を支援する考えを示している。従来行われてきた、すべての世帯などに適用される電気・ガス料金への補助金や、すべてのガソリン購入者に適用されるガソリン補助金のようなバラマキ的な施策から脱して、低所得層に絞った支援に転換されるかどうかに注目したい。

岸田前政権の成長戦略に石破政権の地方創生の独自色が加わる

石破政権は、岸田前政権が進めてきた成長戦略の多くを石破政権が引き継ぐ考えであり、これは望ましいことだ。それらは、「資産運用立国実現プラン」、「労働市場改革」、「デジタル田園都市国家構想」、「少子化対策」、「外国人活用」などである。

これに、「地方創生」という石破色を加えたものが、石破政権の成長戦略のパッケージとなるだろう。演説では、地方創生の取り組みを支援するため、地方創生の交付金を当初予算ベースで倍増を目指す、と表明し、「地方創生2.0として再起動させる」とした。第1次産業の成長支援などについても掲げた。

石破首相の地方創生策には、若い女性にとって魅力ある地方を作り、若い女性を地方にとどめる、あるいは呼び寄せることで、地方の出生率向上につなげる、といった、「地方創生」、「少子化対策」、「東京一極集中是正」の3つの成長戦略のパッケージという意欲的な考えがあると思われる。演説でも「女性に選ばれる地方」の実現を掲げた。是非、独自の地方創生の成長戦略を進めていって欲しいところだ。

金融政策については語らず

所信表明演説では、日本銀行が担う金融政策については直接言及しなかった。2日に石破首相は日銀植田総裁と会談を行い、会談後に「政府としてあれこれ指図をする立場にはない」としつつ、「個人的にはそのような(追加利上げを行うような)環境にあるとは思っていない。追加の利上げをできる状況ではないと思っている」と記者団に語った。これをきっかけに、円安・株高が大きく進んだのである。

しかし翌日の3日には、「(前日の)追加の利上げを行うような環境ではない」との発言は、植田日銀総裁が、追加利上げを判断するまでに「時間的余裕がある」と話した点を受けたもの、と追加の説明を行った。日本銀行は当面のところは追加利上げを行わない考えであり、自身も同じ考えであることを示唆し、前日の発言が、日本銀行の追加利上げに否定的な見解を示したものではないこと、そして日本銀行の金融政策に注文を付ける意図はなかったことを説明したのである。

日本銀行が担うべき金融政策に対して、石破首相は、総裁選以降はやや踏み込んだ発言を行い、金融市場の変動を高めてしまったことを受けて、軌道修正を図ったものと思われる。一時高まった日本銀行との間の軋轢については、政府側が矛を収めた形に見える。今後は、金融市場への影響も踏まえ、石破政権は金融政策への直接的な言及にはより慎重になるのではないか。

デフレ脱却と金融政策運営

石破政権は、早期のデフレからの脱却を最優先課題とする姿勢だ。この点では、安倍政権時と方針は変わらない。しかし現在では、2%を超える物価上昇が続いており、安倍政権時とは物価環境は大きく異なるのである。この点から、「デフレ脱却」というスローガンは、もはや時代に即していないとも感じられる。

そもそも多くの国民は物価高の痛みを感じているのであり、物価の持続的な下落を意味する「デフレ」からの脱却を政府が目標に掲げ続けることに、違和感も持つ向きも少なくないだろう。

実際には、「デフレ」や「デフレ脱却」が意味するところは極めて不透明である。政府は、「デフレ」や「デフレ脱却」が意味するところをまずしっかりと定義する、あるいは違う言葉で政策目標を表現するのが妥当なのではないか。

現状だとデフレから脱却したかどうかは、世論の動向を踏まえて政府が裁量的に判断することになるだろう。石破政権は、日本銀行の利上げが、このデフレからの脱却という最優先課題に水を差すことを警戒しているようだ。しかし、客観的な基準ではなく政府が裁量的に判断できるデフレ脱却に、金融政策が縛られてしまうことは、日本銀行としては受け入れがたいだろう。日本銀行としては、2%の物価目標の達成を目指して金融政策を決定しているのであり、定義が不明確なデフレからの脱却を目標としている訳ではない。

現在の政策金利は、物価上昇率と比べて極めて低く、かなり緩和された状態にある。この点から、小幅な追加の利上げを行うことで、経済に大きな打撃になるとは考えにくい。逆に、政府からの要請を受けて追加利上げが遅れる、との観測が強まれば、為替市場は円安に振れ、それは物価上昇率を再び高めてしまう。それは、国民生活の逆風となり、政府が目指すデフレ脱却をより難しくさせてしまうことになるのではないか。

こうした点も踏まえ、政府は日本銀行との間で十分な意思疎通を行いつつも、具体的な金融政策の判断は日本銀行に任せ、金融政策について直接語ることは控えるようにした方が良いのではないか。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。