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植田総裁は「時間的余裕はある」という表現を使うのをやめた理由を詳細に説明

日本銀行は10月31日の金融政策決定会合で、金融政策の維持を決めた(コラム「日銀は予想通りに追加利上げ見送り:日米政治情勢と為替に翻弄される金融政策」、2024年10月31日)。

その後の記者会見での植田総裁の説明は、事前に予想されていたものと比べてややタカ派であった。追加利上げを決めた7月の会合での総裁の説明は予想外にタカ派、政策維持を決めた9月の会合での総裁の説明は予想外にハト派に振れた。会合ごとに説明が大きく振れる状況が続いている。

植田総裁は、追加利上げ実施への当面の慎重姿勢を示すものと理解されていた「時間的余裕はある」という表現を日本銀行が使うのをやめたとし、その理由を詳細に説明した。今後は、政策決定は会合ごとに判断するとしたことで、日本銀行は政策の自由度を取り戻した形となった。

他方で、次回12月の会合での追加利上げを明確に示唆したとは言えないだろう。日米政治情勢の不確実性、そのもとでの経済政策の変化など、極めて不確実性が高い中、現時点で12月の政策決定を見通すのは難しい。

「時間的余裕はある」との表現は、夏場以降顕在化した米国経済の下振れ、それに伴う円高、株安などの金融市場の不安定化のリスクに対応したもの、と植田総裁は説明した。そして、10月初めに発表された9月分米国雇用統計が上振れたことなどから、米国経済の下振れに関わるリスクは低下したと判断し、「時間的余裕はある」との表現をやめた、としている。

「時間的余裕はある」との表現は政府による追加利上げの牽制をかわす狙いか

しかしこの説明はやや不自然に感じる。10月初めに発表された9月分米国雇用統計が予想外に上振れてからも、10月24日の主要20か国(G20)財務相・中央銀行総裁会議閉会後の記者会見で植田総裁は、「(追加利上げを判断するのに)時間的な余裕はある」の表現を使い、追加利上げを急がない考えを改めて述べていたからだ。

「時間的余裕はある」との表現を日本銀行が意図的に使い始めたのは、石破政権が発足当初に、追加利上げを牽制する動きを見せたことへの対応、それをかわす狙いがあったのではないか。そして日本銀行が今回、「時間的余裕はある」との表現をやめたのは、政府からの牽制が弱まったことを受けたものかもしれない。

日本銀行は市場との対話強化よりも政策の自由度確保を選んだか

また、日本銀行は「時間的余裕はある」との表現を使うことで、次の会合などでの追加利上げの有無を事前に市場に織り込ませる、新たな市場との対話の手段として使う狙いもあっただろう。

しかしそれは、政策変更の意図を前倒しで市場に伝えることになることから、日本銀行の政策の自由度を低下させてしまう面がある。そうしたデメリットが、市場との対話を強化できるというメリットを上回ると判断したため、日本銀行は今回、「時間的余裕はある」との表現をやめた可能性も考えられるところだ。実際、内外政治情勢が非常に不透明な中、日本銀行が前倒しで政策意図を市場に伝えることはより難しくなっている。

「時間的余裕はある」との表現をやめたことで、日本銀行は次回12月の会合での追加利上げの可能性があることを市場に伝えた。しかし、情勢が非常に不確実であることから、その可能性が高まっているとは言えない。

衆院選後の国内政治情勢は追加利上げの制約に

衆院選で大敗した与党は、国民民主党の協力を得るために、その経済政策を一部受け入れることを求められる情勢だ。国民民主党は、金融緩和の継続を主張していることから、与党の政策姿勢もその影響を受けるだろう。こうした衆院選後の国内政治情勢を受けて、日本銀行の追加利上げのハードルは一段と上がったと考えるのが自然なのではないか。

こうした点も考慮に入れ、筆者は、来年1月を追加利上げの時期と引き続き考えているが、仮に今年12月に追加利上げが実施される場合には、そのトリガーとなるのは円安進行だろう。ドル円レートが1ドル155円~160円のレンジに入れば、政府は円安が物価に与える悪影響に配慮して、円買いドル売りの為替介入に踏み切ることが予想される。

そしてその際には、手のひらを返すように、政府は円安阻止に向けて日本銀行に政府との協調を求め、追加利上げの実施を後押しする可能性が出てくるのではないか。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。