&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

月額賃金8万8,000円以上という厚生年金適用要件を撤廃する方向

厚生労働省は、来年の5年の一度の年金制度改定時に、「106万円の壁」問題を生じさせている、月額賃金8万8,000円以上というパート労働者の厚生年金適用要件を撤廃する方向で調整を始めた。月額賃金8万8,000円は年収に換算すると約106万円になる。年末をめどに詳細を詰め、2025年の通常国会で改正法案を提出する構えだ。

年収106万円は、勤め先の企業規模などの条件によって、パート労働者に健康保険・厚生年金保険への加入義務が発生する水準だ。それを意識して、働き控えが起きる。加入義務によって合計で年15万円程度の負担が生じる。加入前よりも手取りを増やすには、年収約125万円になるまで働く必要がある。

現行制度のもとでは、配偶者の扶養内で働くパート労働者は、従業員51人以上の企業で週20時間以上、月額賃金8.8万円以上、学生ではないといった要件を満たすと、厚生年金に入ることが求められ、保険料負担が生じる。

最低賃金の引き上げが進んだことで、週20時間以上という要件と月額賃金8.8万円以上という要件との間に重複感が強まり、双方の要件を維持する必要性が低下したことが、月額賃金という要件の撤廃を検討する背景、と厚生労働省は説明している。

しかし実際には、世の中で注目を集める「年収の壁」対策の一環と言えるのではないか。政府は現在全国平均の時間当たり1,055円の最低賃金をさらに引き上げる方針だ。多くの野党も1,500円までの引き上げを主張している。月額賃金要件があると、最低賃金が引き上げられるのに応じて、労働時間をさらに短くする調整が生じてしまう。月額賃金要件を廃止すれば、そうしたことは起きなくなる。

しかしながら、週20時間以上という労働時間の要件は残る。時間当たりの賃金が上昇することに対応して労働時間を短くする調整は生じなくなるが、労働時間を増やさないという労働者の行動は残る。つまり「労働時間の壁」は残ることになることから、壁の根本的な解決にはならない。

「106万円の壁」の壁の上には「130万円の壁」というより高い壁

社会保険料の支払いが生じる「年収の壁」としては、この「106万円の壁」の壁の上に「130万円の壁」というより高い壁が控えている。年収が130万円を超えると、配偶者の扶養から外れ、国民健康保険や国民年金の保険料の支払いが発生する。保険料を払うようになったからといって、給付は増額されない。106万円の壁と比べて、負担増がより大きくなる一方、将来の給付は増えないことから、130万円の壁は、106万円の壁と比べてもより強く意識される。

政府は昨年10月に、106万円の壁と130万円の壁の対策のため、「支援強化パッケージ」を打ち出した。106万円の壁では、従業員の保険料負担の軽減などを実施する企業に助成金を拠出した。また130万円の壁では、一時的に年収が130万円以上になっても、企業が「一時的」との証明を出せば、原則連続2回までは扶養から外れないようにした。ただしこの支援策は、一時的な対応でしかない。

社会保険制度を世帯単位から個人単位に

106万円の壁、130万円の壁を根本的に解消するには、保険料を納付しなくても保障を受けられる「第3号被保険者」をいずれ廃止することが必要ではないか。この制度は、専業主婦を前提とした時代に合わなくなった仕組みだ。そして、女性の社会進出の妨げになっている。また、自営業はその恩恵を受けない、あるいは第3号被保険者のために、配偶者のいない保険加入者もより多くの負担を強いられるなど、不公平な側面もある。

さらに公的年金制度、健康保険制度は、働く人すべてが加入し、保険料を支払うように時間をかけて変えていく必要があるのではないか。それは、社会保険制度を世帯単位から個人単位に変えていくことを意味する。

当面の年収の壁問題の対策は働き控え問題解消と低所得者支援の2つの視点で

年収の壁には、住民税、所得税の負担が生じる水準の100万円の壁、103万円の壁、社会保険料負担が生じる水準の106万円の壁、130万円の壁、配偶者手当てに関わる150万円の壁、201万円の壁の6つの壁がある。それぞれ別種の対応が求められ、すべて解消するには相当の時間がかかる。

ただし、年収の壁問題の対策は、当面のところは、労働供給を促す働き控え問題解消と低所得者支援の2つの視点から進めていくことが重要だ。そのため、優先順位が高いのは100万円の壁、103万円の壁対策だろう。この点から、国民民主党が103万円の壁対策の実現を目指すのは適切だ。

ただし、国民民主党案では、巨額の税収減となることと、高額所得層により減税の恩恵が及ぶことになるという問題がある。後者は、若者、中低所得を中心に「手取りを増やす」と衆院選挙で訴えてきた国民民主党の理念と一致しない。こうした点を十分に考慮し、国民民主党は、与党との政策協議の中で103万円の壁対策案を柔軟に見直す姿勢が求められるのではないか(コラム「国民民主党・経済政策の財源問題①:減税は財政赤字を削減させる?」、2024年11月5日)。

(参考資料)
「「106万円の壁」撤廃へ 厚生年金の対象拡大 厚労省が調整 週20時間以上に原則適用」、2024年11月9日、日本経済新聞
「103万円の壁ポイント解説(2)手取り急減は106万円 社会保険加入必要に」、2024年11月9日、日本経済新聞
「厚生年金:厚生年金 厚労省「106万円の壁」撤廃へ 週20時間は維持」、2024年11月9日、毎日新聞
「(政界変動)年収の壁、動き出す 譲らぬ国民民主、税収減恐れる自民」、2024年11月9日、朝日新聞

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。