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「106万円の壁」はなくなっても「労働時間の壁」は残る

「106万円の壁」問題を巡って厚生労働省は、来週に開かれる審議会で制度の見直し案を示し、来年の通常国会に必要な法案を提出する考えだ。

年収が106万円を超えると、パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入することが求められ、保険料の支払い負担が発生する。それを避けるため、労働者が労働時間を調整し、それが人手不足を深刻化させること、また年収の増加の妨げとなっていることが、「106万円の壁」問題と呼ばれている。

政府は、年金財政の改善と国民の将来不安の緩和の観点から、年金加入者の拡大を進めている。パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入できる要件は、従業員が51人以上の企業に勤務し、週20時間以上働き、月額8万8,000円以上、年収にして106万円以上の賃金を受け取っている学生以外の人が対象となっている。

これについて厚生労働省は先月の審議会で、企業規模の要件撤廃などの案を示し了承されている。さらに、月額8万8000円以上、年収にして106万円以上という賃金の要件についても、厚生労働省は撤廃する案をまとめた。最低賃金の引き上げに伴い週に20時間以上働けば年収106万円以上受け取る地域が増え、敢えて要件とする必要性が薄れているとの考えだ。ただ撤廃時期については、週に20時間働いても要件を満たさない地域もあるため、最低賃金の動向を踏まえて決定する方針だ。

年収106万円という厚生年金加入の要件を撤廃すれば、「106万円の壁」問題は形式的にはなくなる。時間当たり賃金が上昇していき、年収106万円を超えた場合、労働時間を減らすという調整は起きなくなる。

しかし、週20時間以上という労働時間の要件は残る。労働時間を減らさなくても、労働時間を増えないようにして、厚生年金に加入することを回避する動きは残る。つまり、「106万円の壁」はなくなっても、「労働時間の壁」は残ってしまうのである(コラム「106万円の壁を撤廃しても労働時間の壁は残る」、2024年11月11日)。

企業側が保険料負担を一部肩代わり

一方、厚生労働省は、現在労使で折半している保険料について、企業側がより多く負担できるようにする特例を設ける案を示している。パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入することのハードルを下げる狙いである。月の給与がおおむね13万円未満の人に対象を絞ったうえで、中小企業の負担が大きくならないように軽減措置も検討する方針だ(コラム「新たな「106万円の壁」対策は企業負担の暫定措置」、2024年11月18日)。

政府は2023年10月20日に「年収の壁・支援強化パッケージ」を開始した。ここでは、年収が106万円を超えて厚生年金、健康保険の保険料の支払いが発生し、手取り収入が減少してしまうパート労働者に対して、手取りが減らないような取り組みを行う企業を対象に、政府が労働者一人当たり最大で50万円の支援を行うものだ。

ただしこれは2年間の時限措置であり、2025年には終わる。そこで、その後継制度とするのが、基本労使で折半する社会保険料を企業がより多く負担することで、労働者の手取りの減少を回避する今回の措置だろう。

今回の措置は、パート労働者の手取りが減らないように、政府が補填する仕組みから、企業が補填する仕組みに変えるものだ。政府から企業に負担がシフトするのである。

人手不足を解消するために、企業が喜んで負担増加を受け入れるケースもあるだろうが、負担できずにこの制度を利用しない中小企業も少なくないのではないか。制度がどの程度機能するかは、なお不確実だ。

「106万円の壁」よりも高い「130万円の壁」

以上2つの制度変更を通じて、「106万円の壁」の本質的な問題は、幾分緩和されることがあっても、解消されることにはならず、引き続き制度の見直しを進めていく取り組みが求められる。

また、パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入すれば、保険料負担が新たに発生するものの、事情が許す場合には、労働時間を多少増やすことで手取りを減らさないようにすることは可能である。また、将来、厚生年金を受け取れるようになることで、退職後の生活がより安定するというメリットがある点も、もっと周知されるべきだろう。

「106万円の壁」と比べてより高い壁であり、難所であるのが「130万円の壁」だ。年収が130万円を超え、基礎年金、国民医療保険の保険料を新たなに負担しても、将来受け取る年金の額は増えない。つまり働き損になってしまうからだ。

この問題を解決するには、基礎年金で、専業主婦を前提とした配偶者扶養制度、「第3号被保険者」制度を廃止することが必要である。

しかし、現時点で議論は十分進められていないことから、来年の年金改革に、「第3号被保険者」制度見直しを通じた「130万円の壁」対策は含まれない見通しだ。「年収の壁」問題への対応は、来年以降も継続する。

(参考資料)
「<NHKニュース おはよう日本>「106万円の壁」撤廃案まとめる」、2024年12月5日、NHK

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。