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コメ価格高騰の原因は流通ではなく需給の変化と判断

8月5日に開かれた閣僚会議で、小泉農相はコメ価格の高騰の要因分析を報告した。農水省の資料によると、需要面では、外国人観光客の増加などによる需要の変化の把握ができていなかったこと、供給面では、高温環境にさらされることで同量の玄米から精米できる量が減少する、精米歩留まりの低下などを十分に考慮していなかったことなど、政府がコメの需給を見誤ったことがコメの価格高騰の原因であると総括された。
 
また、備蓄米の放出のタイミングや方法などが適切でなかったとの分析も示された。実際の生産量は需要量に対して2023~2024年は40~50万トン程度、2024~2025年については20~30万トン程度不足していたという。他方、流通段階での問題がコメ価格の高騰の要因との見方は退けられた。
 
これを受けて石破首相は、コメ価格高騰の背景には生産量の不足があったとして増産を促す政策に「かじを切る」と表明した。主食用コメに代わって飼料用コメなどを作る事実上の減反政策にあたる生産調整を見直す。
 
政府は、コメの増産を通じて需給の変動に柔軟に対応できるようにすることに加えて、耕作放棄地の拡大抑制や輸出拡大に取り組む。また、先端技術を活用するスマート農業の推進、農地の集約化による生産性向上を図る。

コメ市場はその機能に問題があるか

ただし、金融市場での価格形成を踏まえて足もとでのコメの価格の動きを検討すると、需給だけで大きな価格変動が起こったようには必ずしも見えない。実際、政府が指摘する需給の変化は、コメの価格高騰が始まった昨年春に急に生じたものとは言えないだろう。
 
市場が均衡価格を見出す力を持っている場合、いわゆる「価格発見機能」が働いている場合には、2024年春以降の一方的な価格高騰とはならないのではないか。通常は、均衡水準から価格が上振れたと考える市場参加者が買い入れを増やすことで価格が下落に転じるなどの動きも生じやすい。そうならなかったのは、90年代初頭以降、緩やかに低下傾向を辿ってきたコメの価格は、市場のコメの均衡価格の見方を必ずしも十分に反映しておらず、また市場の厚みも十分になかったと言えるのではないか。つまり、通常の市場としての機能を備えていない特殊な市場であったことが考えられる。この点から、コメの価格高騰の背景には、需給バランスの崩れだけでなく、市場メカニズムの働きを妨げるような、投機的な動きも含めた流通の問題があった可能性は否定できない。
 
この問題を残したまま、コメの供給を増やすだけでは、コメの価格は安定しない一方、減反政策採用のきっかけとなった長期的なコメの価格の低下傾向も変わらないのではないか。

今後もコメの価格は大きな変動を繰り返す可能性

コメの価格決定を需要、供給曲線で考えると(横軸がコメの生産・消費量、縦軸がコメの価格、需要曲線は右斜め下、供給曲線は右斜め上の形状)、政府のコメ政策の転換の効果が出てくれば、供給曲線が右に継続的にシフトすることで、コメの価格は再び低下傾向を辿りやすい。しかしその供給曲線は、傾きがかなり急であり、垂直に近いことが考えられる。現在の仕組みの下では、農家はコメの価格の変動に合わせてコメの生産、出荷量を柔軟に変更できないためだ。
 
他方、消費者にとってコメは必需性が高い品目であることから、価格が上昇しても消費量は減りにくく、逆に価格が下落しても消費量は増えにくい。これは、コメの供給曲線も傾きがかなり急であり、垂直に近いことを意味していよう。
 
さらにコメは、価格が上昇すると需要が増えるという特殊な財、ギッフェン財の特性を部分的に持つことも考えられる(コラム「経済学で読み解くコメの価格高騰対策:コメはギッフェン財か:政府はサプライサイドの対策に注力すべき」、2025年5月20日)。
 
需要曲線と供給曲線がともに垂直に近い形状である場合、その交点で決まるコメの価格は、需要曲線や供給曲線のわずかな動きで上下に大きく変動しやすくなる。政府のコメ政策転換のもと、コメの価格が低下傾向を辿る一方、価格の変動がさらに大きくなるのであれば、それは生産者にとっても消費者にとっても望ましくないと考えられる。
 
コメ市場の流通上の課題を精緻に洗い出し、それへの対応を進めることが、コメの増産を促す政策に転換する前にまず必要なのではないか。
 
(参考資料)
「コメ増産首相表明」、2025年8月6日、読売新聞

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。