「アベノミクスの見直し」は実現せず
石破首相は9月7日に辞意を表明した。石破政権は1年余りの短期政権で終わる。石破政権1年の成果や課題について検討してみたい。
石破政権の最大の特徴であり、また成果でもあるのは、衆院で少数与党となる中、野党各党と調整をしつつ政策を前に進めてきたこと、そうした道を切り開いたこと、と言えるだろう。その中で、103万円の壁の解消、高校授業料無償化、年金改革などの法制化を実現した。他方、少数与党であったがゆえに、実現したい政策を進めることができなかったという側面もあった。
昨年9月末に実施された自民党総裁選では、石破首相は「アベノミクスを見直す」としていたが、実際にはそれに対する顕著な進展はなかった。旧安倍派を中心とする保守層に配慮して、慎重に政策を進める必要があったためである。党内基盤が弱い石破首相は、まさに「内憂外患」の状態のもとにあった。
石破政権の最大の特徴であり、また成果でもあるのは、衆院で少数与党となる中、野党各党と調整をしつつ政策を前に進めてきたこと、そうした道を切り開いたこと、と言えるだろう。その中で、103万円の壁の解消、高校授業料無償化、年金改革などの法制化を実現した。他方、少数与党であったがゆえに、実現したい政策を進めることができなかったという側面もあった。
昨年9月末に実施された自民党総裁選では、石破首相は「アベノミクスを見直す」としていたが、実際にはそれに対する顕著な進展はなかった。旧安倍派を中心とする保守層に配慮して、慎重に政策を進める必要があったためである。党内基盤が弱い石破首相は、まさに「内憂外患」の状態のもとにあった。
日米関税合意に残る問題
経済政策面で石破首相が9月7日の記者会見で自ら掲げた政権の成果は、日米関税交渉と賃上げだった。確かに、トランプ大統領を相手に関税合意に漕ぎつけたのは評価できる。
ただし、当初、政権は、トランプ関税は不当なものであるとして、すべての関税の撤廃を求めていたが、最終的には相互関税、自動車関税ともに15%で妥協してしまった。このことが日米合意を可能にしたとも言える。また、5500億ドルの投資計画は、先週末の覚書でも米国主導の不平等な取り決めとなっていることが確認されており、従来、日本政府が説明してきたものとは異なるように見える(コラム「日米合意の投資に関する覚書:米国優位の不平等な取り決めに」、2025年9月5日)。
この先、日米関税合意は再び見直される可能性が残されており、まだ完全な合意に至っていない、とも言えるのではないか。また、日米関税合意は国会の承認を必要しないため、とりあえず実現することができたという側面もあるだろう。
ただし、当初、政権は、トランプ関税は不当なものであるとして、すべての関税の撤廃を求めていたが、最終的には相互関税、自動車関税ともに15%で妥協してしまった。このことが日米合意を可能にしたとも言える。また、5500億ドルの投資計画は、先週末の覚書でも米国主導の不平等な取り決めとなっていることが確認されており、従来、日本政府が説明してきたものとは異なるように見える(コラム「日米合意の投資に関する覚書:米国優位の不平等な取り決めに」、2025年9月5日)。
この先、日米関税合意は再び見直される可能性が残されており、まだ完全な合意に至っていない、とも言えるのではないか。また、日米関税合意は国会の承認を必要しないため、とりあえず実現することができたという側面もあるだろう。
賃上げと物価高対策
岸田政権は賃上げ促進税制の拡充や企業、労働組合への積極的な賃上げの働きかけを行ったが、石破政権はこの分野で目立った活動をしなかったのではないか。7月分の実質賃金が7か月ぶりに前年同月比でプラスに転じたことを石破首相は賃上げ政策の成果に上げたが、これは月々の変動が大きい残業代、一時金によるところが大きく、実質賃金のプラスが定着するのは、来年になるだろう。
労働組合や企業にとって名目賃金の大幅引き上げは既に限界に近く、実質賃金のプラスを実現するには、大きく上振れている物価上昇率を引き下げることが近道だ。この点から、春以降の政府備蓄米放出によってコメの価格が一時期よりも安定したのは、石破政権の成果と言えるだろう。
さらに物価上昇率の押し下げには、円安の修正が有効だ。ドル円レートは一時期よりは円高水準にあり、この水準が維持されれば、先行き物価上昇率は低下することが見込まれる。
物価高対策として石破政権は、参院選挙の公約に一人当たり一律2万円の給付金を掲げた。一律2万円ではなく低所得層に絞った給付金の方が良かったと思うが、物価高対策として消費税減税を掲げる野党の主張よりは適切ではないか。しかし、石破首相の辞任表明で、給付金も宙に浮いてしまった。
労働組合や企業にとって名目賃金の大幅引き上げは既に限界に近く、実質賃金のプラスを実現するには、大きく上振れている物価上昇率を引き下げることが近道だ。この点から、春以降の政府備蓄米放出によってコメの価格が一時期よりも安定したのは、石破政権の成果と言えるだろう。
さらに物価上昇率の押し下げには、円安の修正が有効だ。ドル円レートは一時期よりは円高水準にあり、この水準が維持されれば、先行き物価上昇率は低下することが見込まれる。
物価高対策として石破政権は、参院選挙の公約に一人当たり一律2万円の給付金を掲げた。一律2万円ではなく低所得層に絞った給付金の方が良かったと思うが、物価高対策として消費税減税を掲げる野党の主張よりは適切ではないか。しかし、石破首相の辞任表明で、給付金も宙に浮いてしまった。
財政規律を重視する姿勢を評価
先般の参院選では、すべての野党が消費税減税や廃止を掲げる中、自民党は恒久財源を確保しない消費税減税に反対する姿勢を貫いた。石破政権が財政規律を重視する姿勢を見せた点は、先行きの経済・金融市場の安定の観点から評価できる。ここに、「アベノミクスを見直す」という方針の一端も垣間見られる。
しかし、参院で与党が過半数の議席を失う大敗を喫し、さらに財政健全化を重視する石破政権が終われば、その後、積極財政政策の傾向は多少なりとも強まることになるだろう。
しかし、参院で与党が過半数の議席を失う大敗を喫し、さらに財政健全化を重視する石破政権が終われば、その後、積極財政政策の傾向は多少なりとも強まることになるだろう。
当初は日本銀行の金融政策に圧力もその後は独立性を尊重
昨年10月に石破政権が発足した直後には、日本銀行に対して政府が目指すデフレからの完全脱却への協力を求め、利上げを牽制する姿勢を見せていた。これは、現在米国で鮮明になっている、政府による中央銀行への政治介入とも言える動きだった。
しかし、ほどなくして、石破政権は日本銀行の独立性を尊重する姿勢に転じていった。これも「アベノミクスを見直す」という方針の一端とも言え、評価できるものだ。石破政権のもと、日本銀行は2025年1月に追加利上げを実施した。
しかし、ほどなくして、石破政権は日本銀行の独立性を尊重する姿勢に転じていった。これも「アベノミクスを見直す」という方針の一端とも言え、評価できるものだ。石破政権のもと、日本銀行は2025年1月に追加利上げを実施した。
地方創生策は期待外れか
党内保守派に配慮して、「アベノミクスの見直し」を強く掲げることができなかった石破政権は、経済政策全般で岸田前政権の路線を踏襲するとした。物価上昇を上回る賃上げを目指す姿勢はその一環だ。
他方、岸田政権が着手した労働市場改革、貯蓄から投資へ、外国人人材活用、インバウンド戦略、少子化対策などの成長戦略を前進させることはできなかった。石破首相に対して最も期待されていた成長戦略は、石破首相のライフワークとも言える地方創生策だっただろう。石破首相は「地方創生2.0」を掲げたが、成果は限定的だったのではないか。この点が、石破政権の経済政策で最も期待外れであったと言えるだろう。
このように石破政権の1年を振り返ると、与党が少数与党に陥る一方、自民党内でも保守派と対立した。さらにトランプ政権からは関税で大きく揺さぶりをかけられた。まさに「内憂外患」の激動の時期にあたり、石破首相が本来実現したかった政策を思うように進めることができなかった1年、と総括できるのではないか。
他方、岸田政権が着手した労働市場改革、貯蓄から投資へ、外国人人材活用、インバウンド戦略、少子化対策などの成長戦略を前進させることはできなかった。石破首相に対して最も期待されていた成長戦略は、石破首相のライフワークとも言える地方創生策だっただろう。石破首相は「地方創生2.0」を掲げたが、成果は限定的だったのではないか。この点が、石破政権の経済政策で最も期待外れであったと言えるだろう。
このように石破政権の1年を振り返ると、与党が少数与党に陥る一方、自民党内でも保守派と対立した。さらにトランプ政権からは関税で大きく揺さぶりをかけられた。まさに「内憂外患」の激動の時期にあたり、石破首相が本来実現したかった政策を思うように進めることができなかった1年、と総括できるのではないか。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。