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政府のデフレ完全克服と日銀の2%物価安定はともに当面達成できない目標

高市首相が、日本銀行の利上げを容認する姿勢に転じた要因の一つは、2013年の政府と日本銀行の共同声明(いわゆるアコード)に基づいて、政府と日本銀行は連携が求められるものの目指す目標は同じではない、という点を日本銀行が高市政権に納得させたことなのではないか(コラム「高市政権の日銀利上げ容認に3つの背景」、2025年12月12日)。
 
政府は、「日本経済はもはやデフレではない状況になった」としつつも、「まだデフレを完全に克服できていない」と説明し、それを根拠に、積極財政政策を正当化している面があるだろう。
 
そもそも安倍政権以降、政府が用いてきたデフレという言葉の定義はかなり曖昧だ。国際機関などが用いるデフレの定義は、2~3年など物価の下落が続く状態である。これに照らせば、日本経済は既にデフレから脱却している。
 
しかし、安倍政権以来、政府が用いるデフレとはもっと広い概念であり、かつ政治色が強いものだ。その場合、デフレ克服とは、単に物価が上昇する状態を取り戻すだけでなく、物価以上に賃金が大きく上昇し、雇用情勢が改善し、個人消費、経済全体が力強く成長し、国民が将来に明るい展望を持てる状況を取り戻す、ということだろう。
 
こうした定義に照らした場合、政府が仮にデフレ完全克服を宣言すれば、国民は「まだ生活は良くなっていない」として、それに強く反発するだろう。それよりも政府は、デフレ完全克服を目指して政策を進める姿勢を国民にアピールすることで、国民からの支持を得ることを選択するのではないか。この点から、政府がデフレ完全克服を宣言することは近い将来はないだろう。

日本銀行の目標はデフレ完全克服ではなく2%の物価安定

他方、高市政権が日本銀行の利上げをけん制したのは、デフレ完全克服という政府の目標達成に向けた経済政策の効果が、利上げによってそがれてしまうことを警戒したからだろう。
 
しかし、日本銀行が目指すのはデフレ完全克服ではなく、物価安定のもとでの持続的な経済成長の実現であり、その実現のために2%の物価安定の達成を目標に掲げている。
 
政府と日本銀行がそれぞれ異なる取り組みを通じて、それぞれの目標達成を目指すという構図は、2013年の政府と日本銀行の共同声明に示されている。
 
日本銀行は、依然として基調的な物価上昇率が2%に達していない中、政策金利の引き上げは金融引き締めではなく、金融緩和の縮小であり、それは経済を悪化させることはない、と高市政権に説明してきたとみられる。
 
加えて、過度な金融緩和が長く続けば、円安なども通じて基調的な物価上昇率が2%以上に押し上げられ、2%の物価目標の達成ができなくなる。そのため、過度な金融緩和を縮小する政策金利の引き上げが必要である、という点についても、日本銀行は高市政権に説明をしてきたのではないか。それらが受け入れられることで、高市政権が日本銀行の利上げを容認する姿勢に転じたと考えられる。

日銀の2%物価安定も当面達成できない目標か

他方、日本銀行にとっても、基調的な物価上昇率が2%に達し、2%の物価目標が達成されたと宣言することは、躊躇するのではないか。そのもとでは日本銀行は政策金利を経済に対して中立的とみなされる水準まで即座に引き上げることが求められる。その場合、今までのように、政策金利の引き上げは金融緩和の縮小であり、経済を悪化させることはないという政府に対する説明を続けることが難しくなるのではないか。中立水準を正確に測ることは難しいこともあり、政府は経済への悪影響を警戒して、日本銀行の利上げを再び強くけん制する可能性も出てくる。
 
こうした点から、政府のデフレ完全克服と日銀の2%物価安定はともに当面達成できない目標と位置付けられるのではないか。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。