米国の小売店舗のPOSレジで、2次元バーコード1をスキャンできるようにする取り組みが「Sunrise2027」である。その目標期日は2027年12月末と2年先に迫っている。Sunrise2027は、流通標準を策定する国際非営利団体GS1の米国組織であるGS1USによって進められている。計画は2020年頃に立てられたが、これまで「Sunrise2027の準備を始めた」というニュースリリースはほとんど見られなかった。相応の投資と時間が必要であり、投資対効果を慎重に吟味する必要があるからだろう。
2022年5月のコラムでSunrise2027を取り上げてから3年半。ようやく、Sunrise2027の準備を進めている企業が登場したことがわかった。米国北東部のニューヨーク州を中心に食品スーパーマーケットを展開する小売業Wegmans Food Market 社(以降、Wegmansと略す)である。驚くことに、その動機は「Sunrise2027は米国の消費財流通業界全体で取り組む標準化活動だから」というだけではない。WegmansがSunrise2027に取り組むのは、後述するように「従業員の価値を最大化するための必然的な選択」と解釈できるのだ。
本コラムでは、Sunrise2027で使われる2次元バーコードのような業界標準を活用したデジタル技術を「デジタル標準」と呼ぶ。Wegmansの事例は、この「デジタル標準」を企業がどう採用すべきかを判断する上で参考になると考えられることから、ここで紹介する。
経営の根幹をなす哲学、Employee-First(従業員第一)
Wegmansは、1916年に米国ニューヨーク州ロチェスターで設立された、家族経営の非公開企業である。Wegmansにおいて経営の根幹をなす哲学が「従業員第一」であり、それが同社のあらゆる行動の指針となっている。従業員満足度の向上がサービス品質の向上につながり、それが顧客の満足度とロイヤルティを高め、最終的に企業の収益拡大と成長をもたらすという循環が重視されている(図1参照)。以下に述べるとおり、「従業員第一」はスローガンではなく、具体的な仕組みとして根付いている。
図1 Wegmansの「従業員第一」の経営理念の概念図

出所)参考資料3,4,5より筆者作成
手厚い福利厚生
図1に示した循環のスタートが「従業員への投資」である。福利厚生(医療保険、奨学金、能力開発)で手厚い制度が用意されていることから、このことがわかる(表1参照)。
医療保険はフルタイム従業員だけでなく、パートタイム従業員にも適用されている。学業と仕事を両立する従業員のために1984年から奨学金制度が始まり、これまでに4.8万人以上に対して総額1億5,000万ドル超の学費が支援された。キャリアの各段階に応じた研修プログラムも充実しており、年間の能力開発費用は5,500万ドルを超える(Wegmansの年間売上高は2024年で130億ドルであり、小売業界の営業利益率が2~4%であることを踏まえると、年間の能力開発費用は営業利益の1~2割に相当すると推測される)。従業員への投資は「コスト」ではなく、「価値創造の基盤」ととらえられていると言っても過言でないだろう。
表1 Wegmansの福利厚生制度の概要

出所)参考資料4,5より筆者作成
高い従業員満足度と低い離職率
フォーチュン誌とGreat Place to Workが、調査に基づき毎年「働きがいのある会社ベスト100」を発表している。米国内で千人以上の社員を雇用する企業を対象とした調査でWegmansは28年連続でランク入りを果たし、2025年は6位だった。同調査の小売業部門でWegmansは10年連続で1位である。Wegmansで働く従業員の満足度が極めて高いことがうかがえる。
2021年の社内調査では、従業員の91%が「自社は素晴らしい職場」と回答したという。この数値は、一般企業の平均である57%を大きく上回る。「従業員第一」の経営理念が、現場に浸透していることがうかがえる(表2参照)。また、離職率をみると、食品小売業界平均が58%であるのに対し、Wegmansは17%(フルタイム従業員に限れば、離職率は4%)と極めて低い(表2参照)。つまり、Wegmansは、採用コスト、教育コスト、習熟度の低い従業員による生産性損失を大幅に削減できるわけだ。
表2 Wegmansの高い従業員満足度と低い離職率

出所)参考資料6,7,8より筆者作成
Wegmansの経営理念と2次元バーコード活用の関係
前述したとおり「従業員第一」を掲げるWegmansは、従業員への投資を惜しまない。その高い能力と専門性を持つ従業員の価値を最大化することが、経営の根幹となる。デジタル技術である「2次元バーコード」の活用は、単なる業務効率化ではなく、従業員をより付加価値の高い業務へシフトさせ、その能力を最大限に引き出すための戦略的な一手と位置づけられる。具体的には、以下の効果が期待される。
従業員の専門業務への集中
賞味期限の自動識別による鮮度別在庫管理の省力化・自動化や、トレーサビリティ情報の即時参照が可能になる。これにより、従業員は目視での鮮度チェックや、問い合わせを受けた時にバックヤードで伝票を探すといった付加価値の低い作業から解放される。その結果、ワインやチーズなど商品の専門知識を活かした接客や、顧客との対話を深めるなど、機械にはできない人間ならではの質の高いサービス提供に集中できるようになる。
顧客エンゲージメントの質の向上
顧客がスマートフォンで原材料などの商品情報を自ら確認できるようになれば、従業員は顧客からの定型的な質問への対応から解放される。WegmansでCIOを務めるデイブ・デラウス氏が次のとおりコメントしている。「お客様は、私たちから購入する商品についてもっと知りたいと考えており、リアルタイムでその情報を提供することが最適な方法だと考えています」。2次元バーコード活用により、従業員の業務負荷が軽減されると同時に、従業員を「商品情報の案内係」から「顧客の食生活を豊かにするアドバイザー」へと役割をステップアップさせ、顧客エンゲージメントの質の向上につながる。
このように、Wegmansにとって2次元バーコードの活用は、「従業員満足が顧客満足を生む」という好循環を加速させるための必然的な選択といえるのである。
最新技術採用を信条とするWegmans
Wegmansは、最新技術を採用することを信条としている企業である。バーコード関連だけでも三つの例が挙げられる(表3参照)。
表3 Wegmansが採用したバーコード関連の最新技術

出所)参考資料3,9より筆者作成
一度目は、1次元バーコード導入だ。1974年6月、世界で初めて小売店舗のレジで1次元バーコードがスキャンされた。その4カ月後に、Wegmansは自社店舗のレジで1次元バーコードのスキャンを成功させた。つまり、同社は1次元バーコードのアーリー・アダプターであった。
二度目は、Wegmansが2015年に小売業界で初めて導入した、「電子透かし」という人間の目に見えないが、バーコードリーダーでは読み取れる特殊な印刷技術だ。商品パッケージ全体にその技術でバーコードを印刷すると、バーコードリーダーでパッケージのどの部分をスキャンしてもバーコードを読み取れる。レジ係が商品パッケージ上のバーコードを探す必要がなくなり、POSスループットが大幅に向上するわけだ。Wegmansはこの技術を数千品目に及ぶプライベートブランド商品に導入し、全店舗(当時は85店)のPOSレジにカメラ型スキャナーが据え付けられた。
三度目が今回のSunrise2027である。これまで「Sunrise2027の準備を始めた」という小売企業のニュースリリースをほとんど目にしたことがない。Wegmansは今回もアーリー・アダプターになる可能性が高い。今から10年前の「電子透かし」で導入されたカメラ型スキャナーが、今回の2次元バーコード移行のハードルを下げている。
デジタル技術を「従業員の価値を高める手段」として使いこなす
Wegmansの取り組みは、日本企業にとっても示唆に富む。それが示唆するのは、技術を「従業員の能力と価値を高め、経営理念を実現するための手段」として使いこなす発想だ。Wegmansがバーコードや電子透かしといった技術をいち早く採用したのは、それが従業員の負担を減らし、従業員がより創造的で専門的な仕事に集中できる環境を作ると判断したからに他ならない。
新しいデジタル技術を前にして、多くの企業は投資対効果や法規制対応を起点に議論を始めがちだ。しかし、Wegmansの事例が教えるのはそれとは異なるアプローチである。「自社の経営理念に基づき、従業員の価値を最大化するために、この技術をどう使えるか?」から設計を始める――。その視点の転換こそが、デジタル時代における企業の競争力を左右するだろう。
参考資料
- 消費財流通での変革の兆し~米国で準備が始まったPOSの2次元バーコード化~
https://www.nri.com/jp/media/column/mizutani/20220511_1.html - Unlocking Benefits of GS1 DataMatrix in Non-Retail Healthcare
https://documents.gs1us.org/adobe/assets/deliver/urn:aaid:aem:74e5c490-cd8a-4109-accf-dd59e191ca4b/Unlocking-Benefits-GS1-DataMatrix-Non-retail-Healthcare.pdf - Wegmans Powers Customer Experiences and Food Traceability with 2D Barcodes
https://www.youtube.com/watch?v=qClE_V3Jmps - Wegmansの福利厚生制度
https://jobs.wegmans.com/en/benefits - Wegmansの「従業員第一」
https://www.wegmans.com/values-in-action/employees-first - Certified companies - Wegmans Food Markets, Inc.
https://www.greatplacetowork.com/certified-company/1000459 - What’s Working: How Food Retailers Invest in Talent
https://www.fmi.org/blog/view/fmi-blog/2024/08/07/what-s-working--how-food-retailers-invest-in-talent - Wegmans is a great grocery store because it’s a great employer
https://qz.com/404063/new-york-city-is-getting-a-great-grocery-store-in-wegmans-and-an-even-better-employer - What is a Digimarc Barcode ?
https://www.barcode-uk.com/information-centre/what-is-a-digimarc-barcode
- 1縦と横の両方(=2次元)に情報を格納できる、1次元バーコードより大容量のデータを扱えるバーコードのこと。代表的なものにQRコードがあり、少ない面積に漢字やURLなど大量のデータを格納できる。
プロフィール
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水谷 禎志のポートレート 水谷 禎志
産業ITイノベーション事業本部 人材企画室
兼 システムコンサルティング事業本部 産業ITコンサルティング一部1991年、東京大学工学部卒業後に野村総合研究所に入社し、交通・物流の調査研究に従事。
2002年、米国カリフォルニア大学バークレー校工学部大学院で輸送工学を修了後、製造業・流通業のサプライチェーン改革支援プロジェクトに従事。
2019~2022年に一般社団法人ヤマトグループ総合研究所客員研究員を兼務、日本でのフィジカルインターネットの認知度向上活動に従事。
現在、物流専門誌ロジスティクス・ビジネスのコラム「フィジカルインターネット通信」を連載するなど、物流革新に向けた情報発信に取り組んでいる。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。