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はじめに

2026年5月29日、米国の第11巡回区控訴裁判所は、HFT(high frequency trading)と呼ばれる高速取引の最も有力な業者の一つとして知られるシタデルが、新興証券取引所IEX(Investors Exchange)によるオプション市場開設を承認した証券取引委員会(SEC)の決定の合法性を審査するよう求めた訴訟において(注1)、シタデルの申立てを棄却する決定を下した(注2)。
 
今回の決定は、HFT業者による市場間の気配更新速度の違いを利用したレイテンシー・アービトラージ(latency arbitrage)と呼ばれる「先回り取引」を困難にする仕組みの是非という、技術的ではあるものの、米国の株式市場構造に少なからぬ影響を及ぼす重要な問題に、裁判所としての判断を示した画期的な意義を有するものと言える。

HFTの「先回り取引」を阻もうとするIEX

IEXは、マイケル・ルイス氏のノンフィクション小説『フラッシュ・ボーイズ』(注3)の主人公として知られるブラッド・カツヤマ氏が、HFT業者の影響を排除する「投資家のための取引市場」を標榜して2013年10月に開設した電子取引システムであり、2016年6月、SECによる国法証券取引所としての登録を受けた(注4)。
 
IEXの取引システムの最大の特徴は、取引板上でマーケットメーカーの表示する注文と対当させる市場参加者からの売買注文について、システムの入口であるPOP(point of presence)と売買約定を成立させるマッチング・エンジンとを結ぶケーブルを物理的に伸ばし、総延長38マイル(61.15km)ものコイル巻きの状態で格納することで、350マイクロ秒のレイテンシー(遅延)を強制的に発生させるスピード制限(speed bump)を採用したことにある。
 
米国の株式市場には、国法証券取引所の市場のほか、気配公表義務を負うATS(代替取引システム)や気配公表義務を負わないATSであるダークプール、単独で気配表示を行うディーラーなど、多数の取引市場が存在する。現在17ある株式を取引する国法証券取引所(注5)で表示される売買気配は、証券情報プロセッサー(SIP: Securities Information Processor)を通じて統合され、最も高い買い気配と最も安い売り気配であるNBBO(National Best Bid Offer、全米最良気配)が配信される。取引参加者に対しては、最良執行原則によってNBBOよりも不利な価格での顧客注文の約定が原則として禁止されるため複雑で分散的な構造にもかかわらず、米国株式市場は、一つの統合された市場として機能しているのである。
 
こうした市場構造の下で、多くの取引市場では、常に現時点のNBBOを示す指値注文として取り扱われるペッグ注文という注文形式が認められている。NBBOは、刻一刻変化するので、手動で指値を訂正することなく、NBBOの変化に追随できるペッグ注文は合理的な仕組みである。しかし、ペッグ注文の価格更新がSIPによって配信される統合気配情報に基づいて行われる場合、市場間の気配更新速度の違いに着目するHFT業者によるレイテンシー・アービトラージ(latency arbitrage)と呼ばれる「先回り取引」が可能になるという問題点も伴うと指摘されてきた。
 
HFT業者は、各証券取引所等が配信する独自の高速気配情報サービスを利用する。個別に配信される高速気配情報と統合気配情報には、300マイクロ秒以上のタイムラグがある。そこで、NBBOを示していた市場が配信する高速気配情報を通じてNBBOが更新されることを知ったHFT業者は、統合気配情報に依存することで更新が遅れている他市場のペッグ注文に対して買い向かい(売り向かい)、指値が更新された後に売り向かう(買い向かう)ことで、ほぼノーリスクで一定の利益を確保することができるというのである。こうした取引手法が、レイテンシー・アービトラージである。
 
ところがスピード制限が設けられているIEXでは、HFT業者の売買注文が遅延している350マイクロ秒の間に統合気配情報を用いたペッグ注文も価格が更新されることになり、レイテンシー・アービトラージで利益を確保することは難しくなる。
 
更にIEXは、他の取引所から配信される高速気配情報を利用しながら気配値が変化するタイミングを予想する気配値崩れ指標(crumbling quote indicator)も導入した。この指標に基づいてNBBOが変化すると予想される場合、HFT業者の注文とマッチングしないよう、既存の注文の気配を変更する仕組みである。これらスピード制限と気配値崩れ指標によって、IEXでは、機関投資家等の売買注文が、HFT業者によって「略奪的(predatory)」な扱いを受けることはなくなるとされているのである(注6)。
 
なお、気配値崩れ指標に基づいて価格が変更される気配は、当初、対当するNBBO注文とのマッチングを希望する一部の非表示注文に限定されていた。2019年12月、IEXは、この仕組みの適用対象をマーケットメーカーが板上に表示するNBBOでの指値注文にも拡大するD-Limit(discretionary limit)注文制度を導入する規則改正の承認をSECに対して申請し、2020年9月、SECによる承認を得た。シタデルは、この承認が違法だとしてワシントンDC巡回区控訴裁判所に訴訟を提起したが、敗訴している(注7)。

IEXのオプション市場開設とシタデルの異議

IEXは2025年1月、現物株式市場と同様のスピード制限やD-Limit注文と類似した、気配変動が予測される場合にマーケットメーカーが板上に表示した注文の約定を止めるORP(Options Risk Parameter)の仕組みを盛り込んだ個別株オプション市場の開設をSECに対して申請し、同年9月、承認された(注8)。IEXは、オプション市場では、レイテンシー・アービトラージの「略奪的」な動きによってマーケットメーカーが撤退したり売りと買いのスプレッドを拡大したりするなど、流動性の低下につながる動きが生じており、スピード制限などの仕組みが必要だと主張する。SECの承認に対してシタデルが異議を申し立てたのが、今回の訴訟である。
 
シタデルの主張は、概ね次のようなものであった。
 

①オプション市場でレイテンシー・アービトラージが行われており、かつIEXのスピード制限やORPがレイテンシー・アービトラージによる弊害を適切に排除するというSECの事実認定は誤りである。

②IEXオプション市場で提示されるORPによって約定が一時的に停止される気配は、SEC規則レギュレーションNMSが尊重することを義務づける「保護される気配」(protected quotations)に該当しない。

③IEXオプション市場が、一部の取引参加者を不公正かつ差別的に取り扱ったり、競争条件を無用に歪めたりすることはないというSECの認定は、行政手続法によって禁じられる「恣意的で気まぐれな(arbitrary and capricious)」判断である。


なお、②の「保護される気配」については、若干の解説が必要であろう。「注文保護ルール」または「トレード・スルー・ルール」と呼ばれるレギュレーションNMSの規則611は、取引所市場であって「自動執行可能な市場(automated trading center)」で「自動的に表示される(automated)」気配を保護する、すなわち、そうした気配よりも不利な気配を示す他の注文と約定させる「トレード・スルー」を禁止している。つまり、「自動執行可能な市場」で「自動的に表示される」気配がNBBOを示す場合には、当該気配を無視して不利な価格で自取引市場に出された注文を執行したり当該気配を示す市場以外の取引市場に注文を回送してはならないのである(注9)。
 
レギュレーションNMSの定義規定である規則600は、対当する即時執行希望注文(immediate or cancel order)に対して「即時に(immediately)かつ自動的に」約定可能であることが、「自動執行可能な市場」で「自動的に表示される」気配とされるための要件だとする(規則600(b)(3))。シタデルは、ORPによって約定が停止される注文は、「即時に」約定できるものとは言えず、そのような注文が示す気配をNBBOを示すものとして保護する仕組みは認められないと主張したのである。

控訴裁判所の判旨

こうしたシタデルの主張に対して、控訴裁判所は、概ね次のように判示した。
 
個別株オプション市場でレイテンシー・アービトラージが実際に行われており、その結果としてマーケットメーカーが撤退するとか提示する売買気配のスプレッドを拡大するといった影響が生じていることは、SECによる承認に先立って市場参加者が寄せたパブリック・コメントの内容や過去のSECによる分析の結果から明らかである。
 
シタデルは、前述のD-Limit注文をめぐる訴訟でワシントンDC巡回区控訴裁判所が、数量データを重視する姿勢を示したことなども踏まえ、IEXがレイテンシー・アービトラージを排除することの必要性を示す数量データを十分に示していないとも主張する。しかし、D-Limitの訴訟では、既にIEXは株式取引に気配値崩れ指標を適用していたので、根拠となる数量データを提示することができたのに対し、オプション市場はまだ開設されていないので、データを提供できないのは当然である。また、行政手続法は、十分な数量データがなければ独立行政委員会は判断を下してはならないなどとは定めていない。
 
シタデルは、ORPの適用対象となる注文が「保護される気配」に該当しないと主張する上で、そもそもそうした注文は確定した(firm)気配を示すものではないと指摘する。しかし、どのような注文が確定した気配を示すかは各取引所の規則で定義され、シタデルはORPの適用対象となる注文がIEX規則に示された4つの非確定(non-firm)の類型のいずれに該当するとも述べていない。また、シタデルは、レギュレーションNMSを引き合いに出してORPの適用対象となる注文が「即時に」約定するものとは言えないと主張するが、そもそもレギュレーションNMSは現物株式の取引における注文の保護について規定しており、オプション取引に直ちにそのまま適用されるものではない。SECはオプション取引にレギュレーションNMSは適用されないことを前提にしており、シタデルの主張は失当である。
 
ORPの適用対象となる注文は、マーケットメーカーが表示する指値注文であり、その限りでマーケットメーカーと他の市場参加者が異なる扱いを受けることは否定できない。問題はそのような取扱いが不公正(unfair)かどうかである。シタデルは、ORPがマーケットメーカーにとって不利なNBBOの変化が予測される際に発動されることを問題視する。しかし、ORPの存在がマーケットメーカーの恣意的な気配表示差し控えにつながるといったシタデルの懸念には根拠がなく、マーケットメーカーをレイテンシー・アービトラージの脅威というリスクから保護することは、市場全体にとっても有益で合理的な保護である。また、ORPは、他の取引所で採用されている、一定の場合にマーケットメーカーの注文を一斉に取り消すといったリスク回避措置に比べても特別にマーケットメーカーを優遇するものとは言えない。
 
また、IEXによるオプション市場開設が、市場における取引所間、あるいはマーケットメーカー間の競争条件を不当に歪めるとか、競争条件への影響に係るSECの認定が「恣意的で気まぐれな」判断だとするシタデルの主張は説得的なものではなく、SECは、IEXによるオプション市場開設が競争条件を不当に歪めるものではないと合理的に判断したものと言える。

おわりに

日本でも取引所の取引システムが高速化していることを背景に、HFTの取引高が市場全体の30~40%を占めるようになっている。とはいえ、日本では、米国のような取引市場の顕著な分散化は起きておらず、NBBOのような仕組みがなくNBBOの変化に連動して価格が変わる注文といったものも存在しないことから、市場間の注文回送や気配変動のタイミングに着目するレイテンシー・アービトラージが広範に問題視されるといった状況にはない。
 
2021年6月に公表された金融審議会市場制度ワーキング・グループの「最良執行のあり方等に関するタスクフォース報告書」の取りまとめに向けた審議では、日本市場におけるレイテンシー・アービトラージの実態や規制による対応の必要性が検討課題の一つとなった。しかし、一律の規制を導入するといった方向は採用されず、金融商品取引業者(証券会社)が作成・公表する最良執行方針等の法定記載事項に「レイテンシー・アービトラージへの対応方針・対応策の概要」を追加することが提言されるにとどまった(注10)。
 
今回の司法判断やそこで検討された論点は、日本市場の現状に直接関係するものとは言えないが、取引の高速化がもたらす問題をめぐる一つの考え方を提示したものとして、参考に値するものではないだろうか。
 

(注1)IEXによるオプション市場開設の動きを紹介した先行文献として、志馬祥紀「IEXによるオプション市場開設をめぐる議論」証研レポート1754号(2026)がある。

(注2)Citadel Securities LLC v. SEC, No. 25-13631 (Eleventh Cir., May 29, 2026).

(注3)Michael Lewis, Flash Boys, W.W. Norton & Co. (2014). 邦訳は、度会圭子・東江一紀訳『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』文藝春秋(2014)。

(注4)詳しくは、大崎貞和「米国IEXの取引所登録承認」内外資本市場動向メモNo.16-10(2016)参照。

(注5)2026年7月以降、既に国法証券取引所登録を受けているテキサス証券取引所とグリーン・インパクト証券取引所が上場株式の取引を開始する予定であり、株式を取引する国法証券取引所の数は19に増加する。

(注6)控訴裁判所は、学術論文を引用しながら、レイテンシー・アービトラージによる投資家の損害は世界の証券市場で年間50億ドルに及ぶという英国の規制監督機関FCA(金融行為規制機構)による推計を紹介している。

(注7)Citadel Securities LLC v. SEC, No. 20-1424 (DC Cir., July 29, 2022).

(注8)SEC, "Self-Regulatory Organizations; Investors Exchange LLC; Order Approving a Proposed Rule Change, as Modified by Amendment No. 3, to Adopt Rules to Govern the Trading of Options on the Exchange for a New Facility Called IEX Options," September 18, 2025 

(注9)規則611による保護の対象は「自動執行可能な市場」で示される「自動的に表示される」気配だけであり、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の立会場など自動執行が行われない取引市場で示される気配や手動更新される気配には及ばない。そのため、2005年4月のレギュレーションNMS採択は、それまでNYSE上場銘柄の取引で高いシェアを占めていたNYSE立会場の地位低下を予想させ、2006年3月のNYSEによるアーキペラゴECNとの経営統合を通じた電子取引強化につながったのである。

(注10)これを受けて、金融商品取引業者等に関する内閣府令124条2項1号ハの規定が設けられた。

プロフィール

  • 大崎 貞和のポートレート

    大崎 貞和

    未来創発センター

    

    1986年に野村総合研究所入社後、1987年以降、経済調査部資本市場研究室、資本市場研究部等で内外資本市場動向の調査研究に従事。 政府審議会委員等の公職を務めた経験を有し、現在は大学でも教育研究活動にも携わるほか、日本証券業協会の自主規制機関としての活動にも参画している。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。